第六話
「きゃあっっ──……!!」
「う、うわぁっ、来るなあぁぁ──……っ!!」
逃げ惑う人々の間を風のように走り抜けるグウェンは、その奥に見えた光景に目を細めた。
「グルルルルル……」
それは人を嬉々として襲う、いや、喰らう七頭のコラティーマの姿。
──バギィッ、ゴリッ、ブチッ。
咀嚼され、引き裂かれ、人体が嫌な音を立て、其処此処に喰われる人の血が飛び散る。
決死の覚悟で岨道を進んでいたはずの人々は恐怖に呑まれ、生活費を稼ぐのに必要不可欠な荷物を捨て、逃げる以外の選択肢を選ぶ事が出来なかった。
(……まずいな)
あるものに目を留めたグウェンの眉間に皺が寄る。
どこかの奉公人だろう。まだ年端も行かぬ少年が一人、引き裂かれた者の血を浴び、恐怖のあまり腰を抜かして身動き一つ取れずに、その場に取り残されていた。
一頭のコラティーマの眼球が、少年の姿を捉える。
「っっ!!」
少年は目を見開き、絶望にその顔を染めた。
──まるでその恐怖を煽るように、巨体を揺らしながらゆっくりと彼に近付いたコラティーマは、己の愉悦に歪んだ人面を少年の顔に寄せた。
それは互いの吐息が掛かる程の距離。
「──っ」
何処から喰ってやろうかと考えるように少年の全身を舐めるように確認したコラティーマは、その鋭い爪を少年の肩口に置いた。
恐怖から、絶望から、少年の股間は濡れる。
軽くコラティーマが力を入れただけで、その爪が皮膚を裂いた。
嬲り殺そうというのか。一気に仕留めるのではなく、じわじわと小さな命を削って行くコラティーマ。
少年の肩が、赤く染まって行く。
「……ぁ、ぁ、いぁ……っ」
何時、腕を捥がれるのか。そんな恐怖も少年を襲う。
コラティーマは、更に力を籠めようとした。
「──よく頑張ったな」
突然、視界が何かに覆われ、恐怖の対象が見えなくなった直後、何処か優しい男の声が少年の耳に届いた。
少年の顔を自分が纏う外套で覆ったグウェンは、少年の肩を今も尚痛め付けるコラティーマの前脚を素手で掴み、捻り上げた。──そこで漸く少年は、強まる痛みから解放される事となる。
「ガル、グルァ!」
グウェンが目の前に現れるまで、その存在に気が付かなかったコラティーマは、はっと我に返り、掴まれた脚を振り解こうとした。
体格で言えば、コラティーマは人間の五倍。故に簡単に振り解けるものと思った。けれど、グウェンの腕はびくともしない。
焦るコラティーマに、少年を胸に抱えたグウェンは不敵に口許を笑ませた。
「俺が相手をしてやろうか?」
「「!!」」
瞬間、その場にいたコラティーマ達が怯えを見せた。
未だ脚を掴まれたままのコラティーマは何とか解放されようと、自由な方の前脚で少年ごとグウェンを叩き潰そうとする。
大きな脚が、グウェンの真上から落とされる。
──けれど、その脚が、爪が、グウェンと少年を襲う事はなかった。
二人の身を襲うよりも前に、コラティーマの身体が縦に斬り裂かれたのだ。
ドスンッ、と地を揺らしながら倒れる、二つに分かたれたその身体。
「グウェンを傷付けて赦されると思ってるの?」
抑揚は少ないが強い怒りを感じ取れる言葉を発しながら姿を見せたのは、別の場所で十三ものコラティーマを相手にしているはずのサリアナだった。
「早かったな」
「待機組、凄く弱かった」
コラティーマの身体から噴き出る血から、己と少年の身を外套で護ったグウェンは、顔を上げると状況を恐れる事なく軽い調子で口を開く。
それを受けて、サリアナも同様に軽く応じ。
「面白くないから、こいつらも直ぐ片付ける」
その冷たい双眸は、仲間を殺され、怒り興奮するコラティーマらに向けられた。
──そして宣言通り、サリアナは僅か数分で残りのコラティーマ全てを片付けてしまった。
「援護、要らなかったな」
息を切らす事もなかったサリアナに、グウェンは優しい目を向ける。
「褒めて」
「おう、よくやった」
頭を突き出した彼女の髪を乱さないよう加減しながら、グウェンはそれを撫でてやる。
嬉しそうに頬を僅かに緩めたサリアナに軽く笑うと、その視線を己の傍らに移した。
そこには肩を包帯で巻いた幼い少年が立っており。
「あの、ありがとうございました」
助けてもらった事と、手当てしてもらった事への感謝を込めて、少年は頭を深々と下げる。
「気が向いただけだ。気にすんな」
それより、とグウェンはある物を袋から取り出し、少年の小さな掌に乗せる。
「これを朝・昼・晩の一日三回。薬指でひと掬いした程度の量を綺麗に洗った傷口に塗ぬようにしろ。そうすれば直ぐに良くなるから」
少年が持たされたのは、小さな手と同じ位の大きさの壺。蓋をされたその中には、グウェンが調合した薬が一杯に入っていた。
驚く少年は、慌てた様子を見せた。
「ぼ、僕、お代を持っていません……」
「俺が勝手にした事だ、金はいらねぇよ。ほら、持ってけ」
代金を気にする少年にグウェンは笑みを向ける。
「あ、ありがとうございます!」
「素直なのは良い事だ。──じゃ、元気でな」
幾度も振り返り頭を下げながら、少年は無事であった連れの許へと戻って行った。
少年を見送ったグウェンとサリアナは、視線を交わらせる。
「帰るか」
「うん」
その時だった。
「──くぉらあぁぁっ、小僧に小娘ー!また儂らの許しなく妖魔狩りをしたな────っ!」
岩々に囲まれた岨道に、野太い男の怒声が響き渡った。
息絶えたコラティーマに怯えながらも、気を取り直して商業街ロアイへと向かって再び進み出した人々は、びくっと肩を跳ね上げさせた。
「……来たな」
グウェンとサリアナは、盛大に溜息を吐いた。
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