第四話




 約束の日の前日。空が白む前。

 グウェンはフード付きの外套を、サリアナは新調したローブを身に纏い、二人で暮らすには十分過ぎる広さを有する、成形した木で造られた家を後にした。

 人とは思えない足取りで険しい山道を下り、街で裸馬を二頭調達して目的地であるツィダルタ村を目指す。


 サリアナはそのかん──いや、昨日の目覚めからずっとご機嫌で、度々思い出したように口許を緩める。

 傍にあるグウェンは呆れたように、けれども穏やかにその様子を見守った。

 サリアナの機嫌が此処まで良いのは、二日前の約束が果たされたため。

 ──共に寝具に入り、腕枕をされ、大きな身体に包まれて眠った。

 それは一昨日の夜から昨日の陽が顔を出すまでの限られた時間。けれど、サリアナにとっては至福の時。

 包まれていた感覚を思い起す度に自然と、普段は変化に乏しい表情が緩む。

「──こら。ちゃんと前を見て乗ってろ。落ちるぞ」

「──うん。……ふふっ」

 流石に馬上で思いに耽るのは危険とグウェンが声を掛けるが、余り効果はない様子で、サリアナから思い出し笑いが溢れ落ちた。

 しょうがねぇな、とグウェンは自身が跨る馬をサリアナの乗る馬の横に並ばせた。

「……──わっ!?」

 途端、サリアナから小さな悲鳴が上がる。

 サリアナが驚き、瞬く間に、彼女の身体はグウェンの跨る馬の方へと移動していた。

 それをした犯人であるグウェンは、自分の前に横向きにして座らせたサリアナが未だ持つ手綱を、己の手に持ち替える。

「……グウェン?」

「この方が安心出来る」

 見上げるサリアナに、小さく笑う。

 器用に自分達が跨る馬とサリアナが乗っていた馬の手綱を操るグウェンに、サリアナの瞳は輝いた。

「グウェン優しい。大好き!」

「おいっ、危ねぇだろうが!!」

 いきなり抱き着いて来たサリアナに咄嗟に声を荒げるが、しかし彼女はきつくきつく抱き着いたまま。

 グウェンは、嘆息する。

「……落ちるなよ」

「うん!」

 自身の胸許に頬擦りをするサリアナに言葉を落とした。



 ・*・*・*・*・*・



 ──途中、立ち寄った町で食糧を調達し、休憩を取りつつも確実にその歩を進める。

 けれど、馬の脚でもその日の内にツィダルタ村に着く事はなく、金はあるものの宿に泊まる事をせずに、二人は郊野こうやで夜を越す事となった。

 枯れ枝を拾い、火を起こす。

 少し距離を置いてその傍らに布を敷き、二人並んで腰を下ろした。

「──ん」

「ありがとう」

 小剣で綺麗に皮を剥いた果実に切り込みを入れてサリアナに差し出したグウェンは、手許に残った紫色をした皮を無造作に火に投げ入れた。


 炎に包まれ高温となった皮は、含む水分を瞬く間に蒸発させる。そして自らも火を挙げ、その形を崩して行った。同時に仄かに色を含んだ煙を上げる。


 あまり知られてはいないがこの果実、中は別として、皮の部分を燃やした時に上がる煙と匂いは妖魔避けの効果を持った代物。

 そこで気掛かりなのは人ならざるものの血を引くサリアナだが、しかし人としての血が濃いために影響はなく、実の栄養価も高く遠出の際に持ち歩きやすいため、こうして外で夜を越す時にはよく使用していた。

 自身の分の果実も剥いたグウェンは、それに噛り付きながら皮を放り投げる。

「……グウェン」

「気にすんな」

「うん」

 応えたグウェンは黙々と果実を咀嚼する。それに倣って口を動かすサリアナの眼球は、一瞬、少し離れた場所に立つ樹々の方へと動いた。

「──明日も夜明け前に発つから、早めに寝るぞ」

「了解」

 食事を終え、これからの予定を確認したのちに放たれた言葉。素直に従うサリアナは、ぴとっとグウェンにくっ付いた。

「……サリアナ」

「寝るんでしょう?」

 貴重品の入った革製の背負袋を枕代わりに傍へと寄せたグウェンは、自身の腹に腕を巻き付けて来た彼女に目を眇めた。しかし悪びれる様子のないサリアナは、更に巻き付けた腕の力を増す。

 強い意思を感じ、ぐしゃぐしゃと己の髪を掻き乱したグウェンは一つ息を吐くと、自身の纏う外套に手を掛けた。

「……しょうがねぇ嬢ちゃんだな。──寒かったら、ちゃんと言えよ?」

 ふわり、と、掛け布代わりに自分達の身を外套で包むと、身に巻き付くサリアナごと身体を横たえた。彼女の小さな頭の下に己の腕を差し入れて、その背に手を添える。

 てっきり身を剥がされると思っていたサリアナは、良い方に予想が外れて、らんらんたるまなこをグウェンに向けた。

「……寝ろ」

 自分に向けられる喜色に彩られた瞳。それを大きな掌で覆って強制的に閉じさせたグウェンは短く言葉を吐いた。




 ──聴こえるのは、風が揺らす枝葉と、吹かれ転がる砂粒。月明かりだけが頼りの闇の中、活動する獣や妖魔の奏でる命の音。

 そんな中で、寄り添い眠る二人の無防備な姿に、怪しく光る幾つもの瞳があった──。






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