第三話
──グウェンとサリアナの出逢いは、もう十一年も前。
サリアナは人と人ならざる者の間の子らしく、迫害され、自分を産んだ女に首を絞められ、殺されようとしているところだった。
どうやら村の人間から『己の命か母娘共々死ぬか』迫られた結果らしい。
若きグウェンの姿を見たその女は逃げ、残されたのは命尽き掛けた幼いサリアナ。
『来い』
そう言って伸ばされたグウェンの手を、虚ろな目のサリアナは小さな手で弱々しく掴んだ。
以来、二人は共にある。
当然のようにサリアナはグウェンを慕い、何時からかそれは恋慕の情へと変化して、彼女は彼に見合う女になる事を目標とした。努力もした。──けれども、ある時からサリアナの身長の伸びは止まってしまった。
平均年齢で言えば十歳児のそれは、皺のない滑らかで張りのある肌を持つサリアナを幼く見せて。
必死に、早く大人の女になろうと努力して来たサリアナにとってそれは大きな誤算。
長身のグウェンとは一尺七寸も違い、年齢も十異なるサリアナは、実年齢以上に離れて見える事を極端に嫌がるようになった。
言わばそれは、禁句。
「……も、申し訳ありません!妙齢であられたとはとんだ失礼を……っ」
人通りの多い街中で騒ぐのは好ましくないと、グウェンの馴染みの店に移動した一同。
夫婦だという先程の男女が、店内でサリアナに勢い良く頭を下げる。
当のサリアナは臍を曲げ、機嫌は底に落ち、グウェンが苦笑して取り成そうとした。
「サリアナ。許してやれよ」
「無理」
取り付く島がない。
「サリアナ」
仕方がない、と不安げな夫婦を尻目にサリアナの手を取って店の奥に入ると、グウェンはその小さな身体を抱き寄せた。
「……」
向き合うようにして抱き締めると、サリアナの機嫌が上昇したのが手に取るように分かった。
絹糸のような手触りの髪を梳くようにして撫でてやる。
「今日、俺の仕事が終わってからだが、言ってたローブを買いに行こう」
「……」
「それから、南通りに行って牡丹色の髪飾りを買おう。珊瑚色でも良い。お前にはきっとどっちも似合う」
囁くように告げると、グウェンの硬い腹に顔を埋めるサリアナの手がゆっくりと上った。
「……もう一声」
立った人差し指を見て、頬を緩めた。
とっておきだぞ、と心中呟いて、グウェンは口を開く。
「──……」
「「……」」
機嫌の直った、寧ろ良くなったサリアナに、夫妻は戸惑いを見せた。
「悪かったな。……で?用件は」
座り直した二人に、しかし訊ねる事は叶わず夫妻は目的を口にする。
「……その、……
「サリアナに退治て貰いたい、という訳か」
「……はい」
何処か言いにくそうなそれに、直ぐに当たりを付けたグウェンの言葉が重なった。
肯定する男は眉尻を下げる。
男の言ったコラティーマとは所謂妖魔と呼ばれるもの。その顔は人に似ており身体は獅子。尾は、毒を持つ節足動物のそれに似ている、人を好んで喰らう魔物である。
好戦的で、群れて行動するのが特徴的なコラティーマ。
「何頭だ?」
複数だと確信して訊ねた。男は躊躇いがちに数を発する。
「少なくとも八頭はいるかと……」
コラティーマはその凶暴さ故に、『掃除屋』と呼ばれる、妖魔や賊を退治る事を生業とする者達にさえ忌避され、恐れられる生き物。
──断られるかもしれない。
その不安から夫妻は顔色悪く、二人を窺い見た。
「思ったよりも少ねぇな」
「うん」
しかし当のグウェンとサリアナは軽い調子でそれを受け止めた。
呆然とする夫妻を余所に、二人は言葉を交わし続ける。
「どうする?」
「やっても良いけど、根本的な問題がある」
「ん?」
「わたし、掃除屋じゃない」
サリアナの発言に大きな反応を示したのは夫妻だった。
「「……えっ!?」」
「まあ、そうだな」
驚く夫妻を
「生業にしていないのにそれをやったら、本業の者達に睨まれる。──相手にするの、面倒」
「確かに、彼奴らしつこいからな……」
何処か遠い目をする二人に、慌てた様子の男が声を掛ける。女は、未だ呆然と椅子に腰掛けたまま。
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
「「うん?」」
同時に首を傾げたグウェンとサリアナに、男は早口で問い掛けた。
「掃除屋じゃない……!?」
「ああ。偶に似たような事はするが、サリアナは掃除屋じゃねぇぞ」
あっさりとした返答に、夫妻は衝撃を受けた。
更にサリアナが追い討ちを掛ける。
「似たような事と言っても、わたし達の前を塞いで邪魔をしたから排除しただけ」
それが偶々人の悩みの種であったと。偶然の産物だったという。
頼って来た相手が、その生業に就ていないと知り、愕然としていた夫妻であったが、しかしある事を思い出し慌ててそれを口に登らせた。
「で、ですが、カーチョ・ラ・テリを退治たと風の噂で耳にしましたが……」
「……まあ」
カーチョ・ラ・テリ。人々に酷く恐れられる、空を自由に飛ぶ生首の吸血妖魔。
三年程前、グウェンと共に西の外れにある森まで稀少な薬草を採りに行った際に遭遇した。その時に、久方振りの人間だと喜び勇んで襲って来たため、飛んでいるそれを真っ二つに叩き斬ったのだ。
──人々に恐れられていた割には、随分と呆気なかった。
それが二人の抱いた感想。
だが、カーチョ・ラ・テリを容易く退治た事は掃除屋を稼業とする者達に目を付けられるきっかけにもなり。やれ『手合わせしろ』だの『やるなら掃除屋になれ』だのと散々追われる羽目になった。
一度に来てくれれば一瞬で片を付ける事も可能なのだが、バラバラに来る奴ら。蹴散らすのも面倒なその数に、辟易した事は鮮明に憶えている。
カーチョ・ラ・テリを倒した事が事実であると本人に確認した夫婦は、勇んで身を乗り出した。
「ならば、お願いします!お力をお貸し下さい!」
「お願いします。もう大剣使い様しか頼れる方がないのです!」
その言葉はある事を告げていた。
グウェンの瞳が夫妻を射抜く。
「掃除屋共には断られたか」
「……けんもほろろに……」
項垂れる二人は、サリアナに縋るような瞳を向ける。
それには心を動かされなかったサリアナだが、ふと思い至った様子で薄く唇を開く。
「……商業街って、もしかしてロアイ?」
「?はい」
呟きに似た問い掛けに男は頷く。
「──分かった。やる」
「サリアナ?」
「!本当ですか!?」
「ありがとうございます!!」
突然の受諾に、三者三様の反応が返る。
「ロアイ、偶にグウェンが行く。だからやる」
「お前……」
愛する男の身に危険が及ぶ可能性が僅かでもあるのならば、それはやらない理由にはならない。
グウェンはサリアナの想いに、幾度も瞬いた。
・*・*・*・*・*・
「……んじゃ、またな」
「ありがとうな」
ある石造りの家を後にしたグウェンとサリアナは連れ立って、店が立ち並ぶ街の中心部へと向かって歩を進めた。
──あの後、今日から三日後にツィダルタ村で落ち合う事を決めて夫妻と別れた二人は、グウェンの調合師としての仕事のために馴染みの家々を回っていた。
だがそれも今の家で終わり。
これから買い物を済ませてアガルスディマにある自宅に戻るのだ。
「──グウェン」
「ん?」
「約束忘れてない?」
「忘れてねぇよ」
サリアナの言う約束とは、臍を曲げていた彼女の機嫌を取り戻すためにグウェンが口にしたもので。
「今夜は一緒に寝るんだから」
『──今日は、抱き締めて寝てやる』
何時いつも、彼の寝具に潜り込もうとしては追い出されるが故に、サリアナも必死。
「お前との約束は、破った事ねぇだろ?──ほら。さっさと買い物済ませて帰るぞ」
「……──うん!」
差し出されたグウェンの右手。
頬を緩めたサリアナの左手が、その手を当然のように掴んだ。
──街の中心部で服を買った
その様子を建物の陰から窺う複数の男の姿があった。
「あいつらだな?」
「ああ。間違いない」
人目に付かぬよう身を潜めて、言葉を交わす男達。
「──抜かるなよ」
「「おお」」
二人に怪しげな影が忍び寄る──。
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