第5話 メリー・クリスマス
今日は12月24日。メリー・クリスマス。街はLEDライトで装飾された街路樹で煌びやかに輝いている。そこに電信柱の陰と見間違えるような全身が真っ黒な男が1人、繁華街にいた。頭から靴に至るまで全体的に黒で統一された男。俺だ。
何がどうなって俺が黒くなったのかというと、最初はJ SOULなんちゃらに憧れて、アレって人気あんのかな、ちょっと黒くなってダンスでも踊ってみようかな、って、でも俺ってダンスとかやった事ねーしな、ま、いーや、とりあえず海に行こう、海は限りなく自由だ、なんて軽い気持ちで須磨海岸に向かい、海岸に着くや否や全裸となり、太陽の光を全身に浴び、それが思いの外ギラギラとした日差し、このままだと「松崎しげる」みてーに真っ黒になっちまうんじゃねーか、これは参ったぞ、なんて心配も
では何がどうなって俺が黒くなったのかというと、この時期に鹿を連れて、いや正確に言えば鹿に似た動物、別に正確に言う必要性もねーけどな、って煙突から不法侵入してくる赤い烏帽子を被った白髪混じりの海外からの来客を迎え入れる為に、自宅の煙突掃除を始めたものの、1年間溜まった埃や煤を掃除するのはそうそう容易い仕事ではない、頭から埃や煤を被り、それでも煙突を掃除すれば楽しくて仕方がない、へっ、こんなに時間を忘れるくらい夢中になったのっていつ以来だろうな、と煙突掃除に夢中になり過ぎて気が付けば全身が煤けて真っ黒になってしまった。というわけでもない。なぜなら第一、俺の家はマンションで煙突などない。それに近代建築に煙突はそぐわない。そもそも俺は煙突のある民家など見た事がないのである。
朝、眼が覚めるとアリサは唐突に「洗濯機ぐらいの資金が欲しい」と言い出した。
「なぁ、アリサ『洗濯機ぐらいの資金』って具体的にいくらぐらい必要なんだよ」
でもよく聞き直すと「ケンタッキー・フライドチキン」の聞き間違いだった。
「だって今日はクリスマスでしょ、ケーキは私が買ってくるからさ、仕事帰りにケンタッキー・フライドチキン買ってきてよ」
思えばアリサと同棲を始めて1年になる。アリサは関東出身だから関西の文化にはまだ慣れていない。その日の会社帰りに俺は宝石店へ寄ってプラチナの指輪を購入した。指輪が入った水色の紙袋を大事に抱えてイルミネーションが輝く繁華街を歩いた。人混みでごった返している。街は繁華し続けているのだ。大通りに出ると「ねりまきタクシー」が走っていた。「ねりまきタクシー」は8個のタイヤを装着しムカデのように車体の関節部分をくねくねさせ、片道2車線の道路を塞ぎながら走行する。当然、後続の車の列は渋滞していた。俺は朝、アリサから頼まれたケンタッキーの店を探し繁華街を歩き続けた。だけどなかなか店は見つからない。とりあえずカーネル・サンダースに似たおっさんが突っ立っていたので声を掛けてみた。
「すみませぬ。このへんにケンタウロスのティキン・ショップはありませぬか?」
「は? このへんにはケンタウロスの店はねーよ。でも、そこの角を曲がったところに旨いティキンの店ならあるぞ」
「あ、そうなんですか、ありがとうございます、じゃ、そこ行ってみます」
おっさんに言われるがままチキン・ショップに行き、わけのわからぬチキンを1パック購入した。そして店を出ると俺は真っ黒になっていた。顔から、全身に至るまで真っ黒だ。手に提げていた水色の紙袋まで真っ黒になっていたのである。
街は「泥神祭り」で活気に溢れている。信号機やビルの壁面や電車の座席、家の玄関、あらゆる場所に泥が塗られていく。「めりめりめりめり」という威勢の良い掛け声と共に、泥まみれのシューズを履いた屈強な男衆が神輿を担ぎ街を練り歩く。街全体が真っ黒に染まっていくのだ。そして手に持った泥を通行人に目がけて投げつけていく。クリスマスどころではない。輝きなどない。
家に帰ると宅配便で勝手に送りつけられたゴルフバッグのようなアリサが転がっていた。俺はゴルフをした事がないというのに。玄関から続くフローリングの廊下は泥まみれの靴跡で汚染されていた。
「おい、アリサ、大丈夫か、しっかりしろ!」
アリサはすでに冷たくなっていた。手遅れだった。家の中に近所のクソガキ共が勝手に侵入していたのである。俺は鬼のような剣幕でクソガキ共に捲し立てた。
「お前ら、大阪に住んでて泥神祭りも知らねーのかよ! 学校で習わなかったのかよ、秀吉公の泥神祭りは勝手に他人の家に上がっちゃいけない、って歴史の教科書にも書いてあるだろうが。それに今日はクリスマス・イブだろう?」
「なんだよ、クリスマスって、そんなの知らねーよ! そんなのいいからさ、泥塗ってやろうか、あ、それ、あ、それ、めりめりめりめり」
「やめろよ、汚ねーな、気持ち悪い、こっち来んなよ! なんでクリスマスと秀吉公の泥神祭りが同じ日なんだよ、まったく、あほんだら!」
「めりめりめりめり、へっ、黙れ、クソが、めりめりめりめり!」
「バカヤロー、大人をからかうなよ、こっちだってやってやるぞ! めりめりめりめりめり!」
「負けるもんか! めりめりめりめりめりめり!」
めりめりめりめり、という窓を叩きつける不気味な風の音で眼が覚めた。随分、長い夢を見ていたようだな。眼に映るのは窓枠で切り取られた雪が舞う風景。この街に今年初めて雪が降ったんだな。向こうから押し寄せる風の音に耳を澄ます。めりめりと壁に喰いこむように押し寄せる風の音のほんの僅かな隙間。微かに鈴の音が聴こえた。
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