第二章 佐伯怜香 (六十六)
人もまばらな喫茶店。
古い造りで席がボックス型のように区切られている。その上には観葉植物の鉢植えがまばらに置かれているから、後ろの席に座る人の顔は見ようと思わなければ見えない、ひそひそ話をするには、もってこいの丁度いい場所かも知れない。
だが、ここに、ひそひそ話で済むような話ではない声が聞こえて来た。
「もう、どうするのよ。このままじゃ、あんたも番頭にも何もしないからね!これまでのお金も返して欲しいくらいよ!ちょっと、聞いてるの?」
そう言われた派手な顔の女は身体を小さくしている。が、自分がいかに頑張っていたかを、自分の向かいに偉そうに座るもう一人の女。
ヒステリックに叫ぶ、目がつり上がって化粧の濃い・・。目尻のシワに、ファンデーションが埋もれている年配の女に必死に言い訳していた。
「そんなぁー、冴子お嬢さん。私だって頑張ってるんです。でも、あの直美って女が邪魔をして・・。今じゃ若女将とあの赤ん坊に張り付いていて、何も出来ないんです。それに、私だって仕事がありますし・・。そうそう見張ってるわけにも行かないし、困ってるんです」
「そう、その直美って女、そいつがケチのつけ初めよね。あのぼんくらな孝一に、あの嫁!生意気な怜香って嫁をくっつけた張本人なんだから。私達の計画がメチャメチャよ!」
「はい、そうなんです」
「ああ!悔しい。どいつもこいつも私の邪魔をして、腹が立つたらありゃしない。大体、あの店の女将は私がなるはずだったの・・。なのに父さんが勝手なことして、兄さんとあのいけ好かない女にやったのよ。代わりにおまえにはマンションを買ってやるって。でもね、あんな小さなマンションと一楽じゃ、比べものにならないの!私はね、親に騙されたのよ。父親にね!分かる、この悔しい気持ち!」
なんて女だろう。ちゃんと貰うものを貰いながら、まだ足りないといっている。欲どおしすぎる。それに・・、
「本当にそうです。冴子お嬢さんのいうとおりです。」と、お金に目のくらんだ女がもう一人。正常な判断も出来ずに、ごまをするのに必死だ。
「あなたと、番頭だけよ。私の味方は・・ね。そうでしょ?」
「はい、そうです。冴子お嬢さん」
どうやら化粧の濃い、冴子お嬢さんと呼ばれた年配の女は機嫌をなおしたようだ。
「でね、今は、一楽は、重陽の節句が終わって母屋の一部を修繕しているのよね?」
「ええ、そうです。よく、ご存じで・・」
「一楽出入り禁止の私にだって、いろいろ教えてくれる人はいるのよ。でも、それは関係無いの。それより、その修繕工事で足場が入っているんでしょ?ねぇ、それを使えない?」
「足場を、ですか?」
「ええ、そう。足場をよ」
言われた派手な顔の女は意味が分からないようだった。
「もぉー、バカね。気がつかないの、小さな子が足場の下敷きになったらどうなる?」
「あっ!」
派手な女は小さく叫んで片手を口の前に当てた。
そして、化粧の濃い女の顔を確かめるようにジッと見た。
それから、承知したというように静かに頷くと、化粧の濃い女はニッと目を細めて笑った。
その顔は、まるで・・人では無い・・白塗りの、赤い口が耳まで裂けた、貪欲な雌キツネのように、恵子の目には映っていた。
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