第二章 佐伯怜香 (五十八)
三階にある怜香の部屋は、そこが病院というよりはまるでホテルのようだった。
大きな窓からは明るい光がこれでもかと入ってくる。
カーテンはドレープがたっぷりの淡いピンク色だ。縁には濃い色の赤に近いピンクのループが綴られて、甘くなりがちな印象を引き締めている。壁紙はアイボリーホワイトに薔薇の花の模様が浮き上がり、ぱっと見た目には目立たないが部屋の雰囲気を豪華に醸し出していた。
それは怜香がにこやかに座っているベッドに使われたシーツも同じことだった。リンネの柔らかな光沢と、フリル付きのデザインが上品だと理恵は思った。
「明るくて綺麗な部屋ね。それに・・、」
「ホテルみたい。とても病院に見えない・・でしょう。理恵さん」と理恵と直美を笑顔で迎えてくれた怜香が朗らかにいった。
「ええ、本当に見えないわ・・。一泊いくらの高級ホテルなみのお部屋ね」
「ええ、うちの古い日本家屋とは大違いです。でも、私はもうそっちの方が良くて・・。早く帰りたいんですよね」
怜香が拗ねた子どもように口を少し尖らせ、不満げな顔を理恵に向けていう。
「まぁ、すっかり一楽の若女将になったのね怜香さん」と、理恵がちょっと意地悪な言い方をすると、「ええ、馴染んじゃいました。私、」と怜香がおどけてこたえる。
だから今度はしんみりした顔で「そうね、さっきも・・。下で直美さんと話していたのよ」と理恵が言うと、「なにをですか?」と聞き返す怜香の顔が驚いている。
そこで理恵がすかさず笑顔になって「直美さんも、すっかり一楽の一員ね・・って」と言いながら後ろにいる直美を振り返って見た。急に話題を振られた直美は驚いて片手を左右に振りながら「私なんて・・。若女将の足元にも及びません・・」と慌てて否定した。
「そんなことないわよ、直美さん。理恵さんも、そう思われたんですよね」
「ええ」
「そうなんです。直美さん、頑張ったんですよ」
怜香が直美を褒めようと話し出したとたん、直美が前に出て、
「若女将、私のことより赤ちゃんのことです。理恵さんは忙しい中、今日、そのことでわざわざお時間を作って、お見えになられたんですから・・」と少し怒ったように言うと…。
「あら、いいのよ。直美さん、私のことは・・」と理恵が慌て。
「いいえ、いけません。時は金なりです。一番肝心なことを忘れてしまってはいけません」と直美が大まじめな顔で言う。
「あぁー、そうね。そうでした。理恵さん、私・・、怒られちゃったわ」
と、怜香が朗らかに笑った。
怜香のそのひと言で、三人は顔を見合わせて笑い出す。ひとしきり笑い合ったあと、ゆるゆる歩く怜香に合わせて連れだって部屋をでて二階の新生児室へと向かった。
乗り込んだエレベーターのドアが開くと、目の前の二階フロアいっぱいに半円形のガラス張り新生児室が広がる。そこには可愛らしい赤ちゃんたちが、モゾモゾと小さな愛らし手足を思い思いに、ゆっくりとゼンマイ仕掛けのお人形のように動かしている。
「まぁ、可愛い」
理恵が感嘆の声を漏らした。
嬉しそうだ。
「理恵さん、あそこです。うちの自慢のお姫様」と、直美が理恵の手を嬉しそうに引いて、丁度半円形ガラス窓中央へと連れて行く。
そこには他の赤ちゃんと比べても一段と肌の色が白い・・。目鼻立ちのしっかりした赤ちゃんが、小さな可愛らしい指を口元に近づけて、大きなあくびをしていた。
「まぁ、怜香さんそっくり」
「ええ、そうなんです。孝一さんも喜んで・・」
「若旦那、初めて赤ちゃんとご対面したとき、怜香さんに似て良かった。僕に似なくて良かったって、オンオン泣いてたんですよ。あの大きな身体で!」
「まぁー、でも、孝一さんらしいわね・・。いやだ、ごめんなさい」と言いながら理恵が慌てて口元を片手で押さえた。
「いえ、いいんです、理恵さん。女の子だから本当のところ空豆に似ると・・、ちょっと困るわねー・・とは、私も密かに思っていましたから」
「いやだ、怜香さん。空豆なんてぇ・・」
理恵が困惑した顔で今度は後ろに少し上体をのけぞるようにして言った。その横で直美が、グーの手を作って口元を抑え、理恵の方を見てクスクス笑っている。
言った怜香は平気な顔をして、中にいる看護師とガラス越しに目が合い軽く頭を下げた。
彼女は大きなマスクに顔が半分以上隠れてはいたが、にこやかな目で、こちらに向かって歩いて来た。
そして、佐伯怜香と書かれた名札の赤ちゃんをベッドから抱き上げて、こちらに見えやすいように抱っこし直す。
〝赤ちゃん、抱かれますか?〟と、彼女の目が訴えている。怜香がおねがいします・・と返事の代わりににっこり笑って頷いた。
すると彼女は目を細め歩き出す。
怜香が理恵に笑いかけて、三人は向かって左側の新生児室入り口へと移動した。
「理恵さん、抱いてやってください」
「ええ、赤ちゃんを抱っこするなんて何年ぶりかしら・・、ドキドキするわ」
理恵の嬉しそうな声に、マスク姿の彼女が優しく微笑んでいるのが、その目の表情で分かる。
理恵は、彼女から小さな命をとても慈しむようにそっと手渡されて・・。
その、何とも言えぬ軽い重さに感動していた。
「あすかちゃん。こんにちは」
理恵の、その言葉の意味でパッと周りの空気が代わり華やいだ。
怜香は嬉しそうに笑い。直美は何か聞きたくてうずうずしている様子だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます