第二章 佐伯怜香 (五十二)
「ちょっと待ちなさい。孝一、怜香さん。分かるように話してくれる?今更、どうして?あの子を、厄介払いしたあの子を一楽で雇わなければならないの?置いてやらなければならないの?そんなことは話の筋が通らないことでしょ?それとも、なに?あの子は、あの女は、あの時のお金では足りないとでも言ってきたの?そうなの?怜香さん」と一楽の大女将の言葉は丁寧だが、今にも怒鳴りそうな勢いだったが、それより先に孝一の方が切れた。
「違うよ!母さん、ヤヤちゃんはそんな子じゃないよ」と女将に受かって興奮した孝一が怒鳴ってしまっていた。
「ちょっと黙りなさい。孝一、あなたの話は見えてこないわ。怜香さん、どういうことなのこれは、私にも分かるように話して頂戴」
「はい、大女将、実は・・」
「実は?」
怜香は覚悟を決めた。あの時、女将と課長を騙してしたことを正直に話さなければいけない・・と覚悟した。
が、どこから話すかが問題だ。いきなり本題に入れば聞いて貰える話も聞いては貰えない。
―それは困るわ。牧原さんの為にも、そして今後の私達の為にも、それは避けないといけないことよー
怜香は伏せていた目をあげ、真剣なまなざしを義理の母である大女将の美也に向けた。
怜香が、美也の瞳を捉えると、大きく息を吸い。胸元に手を当てて居住まいを正し、ピンと背筋を伸ばした。
そして・・、
「私、孝一さんとお付き合いする前、とんでもない男に騙されていだんです」
と怜香が言い終わるか終わらないうちに、庭先にある鹿威しのカーンと言う音が響いた。怜香達三人は、今、一楽の敷地内にある小さな茶室にいた。
この小さな茶室は、一楽の母屋から裏庭を通って一番奥の一角にひっそりと佇むようにあり。普通の客は知らない。
特別懇意にしている客だけが知っている、秘密の場所だと言ってもいいだろう。
だから、何か人に聞かれたくない話の時などによく使われた。
今日も、そんな客からの要望で、この場所を使うため、大女将が準備の為の用意をしているところに、怜香と孝一が、直美のことを何とか穏便にすませたいために、その手を止めさせていたのだ。
「まぁ、怜香さん・・」
今頃?なぜと、美也の声が聞こえてきそうなくらいに驚いている。
無理もない。もしかしたらその男が、怜香になにか言ってきたのかと、誤解されても仕方ない話し方だ。
「ええ、でも、それを救ってくれた人がいたんです。だから私も目が覚めて、こうして孝一さんと結婚することが出来ました。」
「そう、そうなの。それは良かった。じゃ、今、その男が、ここにきた訳ではないのね?」
美也の声は明らかにほっとしていた。ほっとしたから言葉にはだせたのだろう。どうやら、美也は直美のことなど忘れているようだ。
―やはり誤解されたわね。でも、ここからが勝負よー
「ええ、その男のことはもう終わったことだからいいんです。ただ、その時に、私の目を覚まさせてくれたのだが、直美さんなんです。」
「ちょっと待って。怜香さん、それはどういうこと?」
美也は、怜香に声を掛けながら孝一をジロリとみた。見られた孝一は慌てて言葉を発しようと正座した姿勢から、お尻を浮かせかけたが、怜香に手を引かれ止められた。
「孝一さん、落ち着いて、」
「あ、ああぁ・・。そうだね、分かったよ」
落ち着きを取り戻した孝一が座り直す。美也は、顔をしかめて二人の顔を交互に見ている。
「実は、直美さんは当時私が付き合っていた男性が、どうしようも無い人間だということを知っていました。それだけなら、彼女も私をほおっておいたと思います。」
「そうね、そうでしょうね・・。関係ないんだから」
「ええ、でも彼女は、直美さんは、孝一さんが私のことを好きだと知っていて、一肌脱いでくれたんです。」
「えっ!」
「本当なんだ、母さん。ヤヤちゃんは僕の為に、僕が怜香さんと結婚出来るようにしてくれていたんだ!本当だよ。」
「ちょっと待ちなさい。孝一、なら、あなたと結婚したいと、二人で結婚したいと言ってきたのは、あれは全部嘘だったというの?」
「うん、そうなんだ・・」と孝一はニコニコしながらこたえた。
「呆れた・・こと。母さん、力が抜けるわ」
「ごめんよ、母さん・・。そんなつもりじゃなかったんだけど・・」
「じゃ、どんなつもりだったの?」
「ヤヤちゃんが言ったんだ。恋は最終段階まで行かないと、どっちが勝つかなんて分かんないんだから!ねって言ってくれたんだ。それで僕たち、これからどうするか作戦会議を開いたんだよ」
「とんだ、ぼんくら息子だわ。母親や叔父さんまで騙すなんて・・」
「ごめんよ、母さん。」
「まぁ、でも、それで、ぼんくら息子にしては、いい嫁をもらったわ。それは、それで良しとしましょう。でも孝一、それなら慰謝料なんて初めから要らなかったんじゃ無いの?それはどういうこと?それから怜香さんは、このことをどこから知っていたのかしら?正直に教えて頂戴。母さん、もう騙されたり、嘘つかれたりするのはごめんだわ」
さすがは一楽の大女将、終わったことを根掘り葉掘り聞いて怒りを蒸し返す気は無いようだ。
それよりも真実を聞こうと言っている。だから怜香は、余計に話の筋道を間違えてはいけないと自分に言い聞かせた。
そして、正直に話そうとも思った。
この人に、隠す必要などないのだと…。
「私が孝一さんと直美さんの作戦会議について知ったのは、あの日、婚約破棄の慰謝料を持って直美さんの家を訪ねた時でした」と怜香が言うと…、
「そう」と大女将はひと言怜香に返事して頷いただけだった。それ以上は何も聞かない、尋ねない。
その顔は、その瞳は、続きを話なさいと怜香に言っている。
少し重苦しい空気が流れ、大女将の静かな迫力に怜香も一瞬気後れしかけた。
が、そこは気の強い怜香である。もう一度深呼吸をして孝一の顔をジッとみると・・。
〝いいわね、孝一さん〟と怜香の無言の声がしたのか、覚悟を決めている孝一の目は怜香に向けて大きく頷いていた。
「実は、私、初めにこのお話を頂いた時に、はっきり言ってなぜ私が他人のことで関わり合いにならなければいけないのか?と思っていました。だから、そんな役目はお引き受け出来ません。と断るつもりでいたんです」
怜香の言葉に大女将はもっともだという顔をして頷いた。
「そう、でも、引き受けてくれたわね。それはなぜ?」と大女将が静かに聞いた。
「ええ、それは、ある人との出会いで私の考えが少し変化していたのと・・」
「理恵さんね」
「はい、そうです」
大女将はそうでしょう・・というように頷く。大女将の目が怜香に、それから?と続きを聞いている。一瞬強く風が吹いたのだろう。静かな茶室に木々の葉の揺れる音が響いた。
「あの日、いったん席を外した私は、大泣きして私に謝る孝一さんと話しました。そこで気がついたんです。牧原さんの…、直美さんの行動は、もしかして、わざとでは無かったかと…。そんな考えがふっと頭の中に浮かんで、とても気になったんです。」
「それで、あの日、断るつもりの話を受けた。受けてくれたのね」
「はい、お受けしました。どうしても本当のことが知りたかったからです。私の疑問の答えが知りたかったんです。」
「それで、どう分かったの?」
「まず一つは、私が傲慢な女だったと分かったことです」
「まあ、それは、どういうこと?怜香さん」
「大女将、いえ、お義母さん。私は、傲慢すぎて本当の男の人が見えていなかった。一生をともにする相手が、どれほど大切かも気がついていなかった。本当の人の真心や優しさに気がついていなかったんです。外見に直ぐ騙される大馬鹿者だったんです」
「怜香さん・・」
「でも、安心してください。お義母さん。私は、彼女のお陰で、直美さんのお陰で、孝一さんがどれほど私にとって大切な人か、大事な人かが分かりました」
そう言って怜香は、横に座る孝一の方に顔を向けて微笑んだ。怜香の微笑みに孝一は幸せそうに笑う。
二人の、その姿を見た美也の顔が和んだ。
場が和んだことを感じ取った怜香は、美也に向き直るとこう言った。
「そんななかで直美さんの生い立ちを聞いたんです」
「僕も聞いたよ」
孝一の言葉に、怜香が優しく微笑んだ。すると美也が大きく咳払いして・・。
「で、どんな生い立ちなのかしら?怜香さん。」
どうやら美也は、孝一に話の腰を折らないようにと、怜香の名前をわざと大きく言い、話を先に進めるようにと催促している。
孝一は、それが分からないのか一人にこやかだ。
「あまり良い話とは言えないので、他人の私が話すのはどうかと思いますが、この場合は、お話するのが筋だと思います。彼女の父親は他に好きな人が出来て、母親と、まだ小学生だった彼女と弟さんの三人を、家族を捨てて家を出たそうです。それから彼女は、母親の実家に帰り。おばあさんの家で暮らしていたそうなんですけど・・」
「けど・・?」
「今度は母親に好きな人が出来たからと、彼女と弟さんを、おばあさんのもとに残して家を出たそうです」
「まぁー、なんてこと・・」
「ええ、ひどい親だと思います」
「それで?どうしたの?」
「彼女は、直美さんがいうには、それほど惨めではなかったと・・。直美さんのおばあさんは、贅沢は出来ない質素な暮らしだったけど、彼女と弟さんを愛情深く育ててくれたそうです。」
「そう、それはよかったこと」
「ええ、ただ、そのおばあさんが、お年を召していることもあって入院しなければならないのに・・」
「お金がない」
「はい、そうです」と怜香がこたえたとたんに、
「はい、分かりました。もういいわ。事情は分かったから。牧原直美さんに支払った慰謝料は実は成功報酬ということね」
「成功報酬?って・・。母さん何のこと?」と孝一が不思議そうな顔をする。
「まぁ、この子は、自分のことなのに分からないの?」と大女将が呆れた顔をした。
「うん・・、あっ、でも、ヤヤちゃんに支払ったお金は僕が働いて返すよ!」
「ええ、そうね。そのとおりだわ。そうして頂戴。で、なぜ?今になってここに置いて欲しいと言ってきたのかしら・・。まさか、その、おばあさまが亡くなられた。とかいうことかしら?」
「はい、そうです。たった一人の弟さんは、二年前に、直美さんの田舎の、隣の県で農業を営んでいるお家の一人娘さんと結婚して養子に入っているそうです。直美さんが田舎に帰るまでの間、おばあさんのことは、弟さんがなにかと世話をやいてくれたそうです。だからこれ以上は、自分のことで、養子にいった弟さんに迷惑をかけられないと…。たぶん、養子先のお家で肩身の狭い思いをさせたくはないんでしょうね。姉としても」
「そう、身寄りが一人もいなくなった・・と、いうことね。」
「はい」
「分かったわ。そういう事情なら、ここで働くことは許します。けどね、怜香さん。直美さん自体、ここで働くことは辛いことになるかもしれなくてよ。たとえ今の話が本当だと分かっても、うちにいる人の中には直美さんのことを快く思わない人もいるでしょう。それも覚悟のうちで働くなら、私はなにも言わないわ」
「ありがとう、母さん。」
「お礼を言うのはまだ早いわよ。孝一、たとえ今の話が本当でも、世間はそうは見ない。いいですか、そのことを頭に入れて、よーく自分の行動に気をつけなさい。あなたが何気なくしている行動でも、世間は曲げて見たがるものよ。誤解されないように気をつけなさい。いいわね。」
「うん、分かったよ。」
「それと、もう一つ、その、ヤヤちゃんと呼ぶのもやめなさい。これからは牧原さんと呼びなさい。でないと、余計な噂の種を自分でまくことになるわ。いいわね、孝一」
「分かったよ、母さん。今度からはヤヤちゃんのこと、牧原さんって呼ぶよ」
「ええ、そうして頂戴。それから、あなたのことは孝ちゃんではなくて、ちゃんと若旦那と呼んでもらうように言いなさい。分かったわね。忘れないのよ」
「うん、忘れないよ」
と孝一は嬉しそうに返事をしていたが、美也は少し心配しているようだった。
あの事故から孝一は、覚えたことより感情の方が先に出てしまうことがあるので、ここで約束したことが守られるかは少々疑問が残る。
だが、それを心配していたところで仕方ない。それよりも美也には気になることがあった。
「この話は、これでおしまい。それより怜香さん。理恵さんには聞いてみたの?」
「いえ、まだなんです」
「それはいけないわ。今、いらっしゃっているんでしょ?」
「ええ」
「なら、あなたは直ぐに理恵さんのところにいって話してきなさい。それから孝一。孝一は、牧原直美さんをここに連れてきなさい。ここで働く以上、大女将として話があります。」
「分かったよ、母さん」
「さあ、時間が無いのよ二人とも、自分のすることを、ちゃっちゃとして頂戴」
さすがに女一人で、この一楽をしょって立ってきた美也である。余計なことは聞かないし、決断も行動も早い。
―お義母さんがいてくれるから、大丈夫―
ここ何日か・・、少し不安のある日々を過ごしていた怜香は、どこかほっとした面持ちで美也のことを頼もしげに見ていた。
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