第一章 其山怜香   (五十)

 怜香の結婚式は、その年のクリスマスイブに老舗料亭一楽で行われた。純白の綿帽子に白打ち掛けの純和風の式だった。理恵と出会ってから丁度一年後のクリスマスイブの日のことだ。

 怜香自身も一年前のあの惨めなクリスマスイブから、まさか一転して幸せを手に入れるとは考えてもいなかった。


 この日、一楽は朝から慌ただしかった。二階にある広間には8人用の塗りの座卓テーブルが幾つも置かれ、仲居達が怜香と孝一の結婚の祝いに招かれた客を迎える為の準備に大忙しだ。板長が張り切っていたのは言うまでもない。

 怜香はまだ夜が明けないうちから一楽に来て、一階奥の花嫁控え室の雪見障子をあけた。い草の良い香りがする。この日の為に女将が・・、孝一の母が怜香の為に畳を新調してくれたのだ。

 怜香は静かに部屋に入り、奥に掛けられた白打ち掛けを眩しそうに見た。床の間には小さな赤い実をつけた綺麗な南天が生けられている。その横の掛け軸には縁起物の鶴と亀が黒墨で生き生きと描かれていた。


 床柱のゴツゴツとでた節さえも、綺麗に磨き抜かれて黒光りしている。きっと、今日の日の為に念入りにこの部屋の全てを清めてくれたのだろう。そう思うと怜香の目が薄らとかすむ。 怜香の心に、あの日のことが思い出された。

 その部屋に、以前、孝一と直美のことで女将に呼び出され・・。


― 私は、自分には関係ないと腹を立てた。けど・・―

 この部屋に来なければ、今日、こうして孝一と結婚する怜香はいなかったかもしれない。

―今日から私は、ここで孝一さんと力を合わせて生きて行くのよ。しっかりしなきゃ・・―

 そんな怜香の固い決意とは裏腹に、新郎である孝一は純白の花嫁、怜香を見て式の間中泣いていた。これには「どっちが花嫁だか分からん。」と怜香の父親も顔をしかめていたが、今では孝一と一番の仲良しになっている。


 それに・・・。

 兄嫁が、「怜香さん、なかなか見る目があるわ」と兄の高広に言ったと、控えの間で怜香と二人きりになった時、兄が怜香に耳打ちしてきた。


「それ?どういう意味?」

「当然だろ?ブランド物しか興味のない義妹が外見じゃなくて中身で選んだ・・と、なれば見直すさぁー」

「失礼ねー」

「まぁ、怒るなって。おまえにしたら上出来だ。いい人じゃないか。幸せになれよ、怜香。」

「お兄ちゃん・・。ありがとう・・」

「おっ!鬼の目にも涙か?」

「もぉー!」

 本当に不思議なことだが、この結婚に反対するものは誰一人としていなかった。勿論、この結婚式には理恵も出席していた。





―あれから一年と三カ月・・・。―

 理恵は、怜香から相談したいことがあるので一楽に来て欲しいとの連絡をもらい出かけて来ていた。一楽で女将業の修行に忙しい怜香の為に、時々こうして理恵は一楽を訪れることがある。この日も、怜香に頼まれているブレンドアロマを持って一楽の裏玄関口へと向かっていたが・・・。

〝ふっ〟と、背中に強い視線を感じて振り返った。


…と、目線と目線がぶつかり、相手の方が素早く目を伏せる。が、動く様子はない。

 どうやら相手は理恵に声を掛けてほしいような気がする。目の覚めるようなピンク色のスプリングコートに、茶色く染めた長い髪。すらりと細い足が白いスカートからのぞいている。ふっくらとした顔に可愛らしい大きな目が魅力的だ。


―なかなかの・・、美人さんねー

 理恵は心の中で呟いた。そんな理恵のことを、相手は伏し目がちになりながらもチラチラと見ている。


―仕方がない。これも人助け、ー

 と、妙にウキウキした気持ちになった理恵は、身を小さくして道路向こう側にある角家の塀に隠れるように佇む相手に優しく微笑んだ。こっちにいらっしゃい・・というように。

 すると相手は、一瞬周りを見てキョロキョロした。そして・・、恐る恐る理恵に近づいて来て・・。


「あのぉー、一楽に行かれるんですか?この時間だと、まだ営業してませんよねぇー」

「ええ、夜の営業までにはまだまだ時間があるから・・。お店は、お休みだけど。母屋の方にちょっと用があって伺うのよ。あなたは?あなたも一楽に用があるの?」

「用っていうか…」

「ええ?」

「あのぉー、若女将に、一楽の若女将の怜香さんに会いたいんです」

「まぁ、そうなの?私も怜香さんに会いに来たのよ。」

 相手は、そうでしょう。そうだから見ていたんです。声を掛けたんですと、いうように上目遣いに頷いた。


―なにか?訳がありそうねぇ・・―

 その何ともいえないオドオドした相手の態度に、理恵は、何か素直に一楽の暖簾をくぐれない訳がありそうだと感じた。


「何か、訳がありそうね?」

 彼女は理恵に助けを求めるように頷いた。

「よかったら話してみない?」

「あのぉー、私、一楽の人には・・、怜香さんと孝ちゃん以外には、嫌われてるんです・・私。だから、きっと、私一人が行っても、怜香さんに会わせて貰えないと思うんです。」

「だから、誰かを待っていた。」

「はい、今日、誰も現れなければ・・、もう、諦めようと思ってました」

「今日?・・ということは、何日か前から待っていたの?」

「はい、一週間前から・・。でも、もう、お金もなくなってきて。今日ダメなら、田舎に帰る電車代は、それだけは残しておかないといけないから・・。もう、ホテルのお金も払えないし・・。でも、田舎に帰っても・・、おばあちゃんもいないし、アパートの家賃も払えないし・・」

「切羽詰まっていたのね。」

「はい」

 目の前の彼女は泣きそうな顔になっている。


― 孝一さんのことを、孝ちゃんと呼び。おばあちゃん・・。田舎。怜香さんと孝一さんの二人以外には・・、他の人には嫌われている。もしかして・・―

 理恵は、ある人物の名前が浮かんだ。多分そうに違いないとも思った。


「あなた、もしかして・・。間違っていたらごめんなさいね。もしかして、牧原直美さん?」

「はい、そうです!」

 直美は自分の名前を呼ばれて飛び上がらんばかりに喜んだ。

「おばあちゃんがいないって」

 おおよそのことは怜香から以前聞いていて知っている。孝一と別れる条件の慰謝料としてもらったお金で、直美が祖母を入院させたことも怜香から聞いていた。


―だから、そういうことね―

 と理恵の顔が悲しく歪んだ。

「あっ、心配しないでください。おばあちゃん、苦しまずに眠るみたいに逝ったんです。担当の先生も、看護師さんも、〝笑っているみたいね、おばあちゃん〟って言ってくれるくらい。優しい顔だったんです。」

直美は今にも泣き出しそうになりながらも、理恵に向けて必死の笑顔を向けていた。


「そう、きっと、あなたが側にいてくれたから、おばあちゃんも心強かったのよ。良かったわね、ちゃんと最期まで側にいれて・・」

 ほろりと一粒・・。

 小さな涙が直美の瞳からこぼれ落ちた。


 直美は、理恵にその涙を見られまいと素早く右手でふくと、「一緒に連れて行って貰えますか?怜香さんのところへ」と明るく笑った。 




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…名前の一字目に 『え』 の文字があるあなたへ、


…あなたが幸せになる為への「ひと言アドバイス」 …


☆嘘のつけない正直者&好奇心旺盛で活発なあなたは、ついつい目的を見失いそうになる。だからこそブレない自分軸を大切に!!☆


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