第一章 其山怜香 (四十四)
時刻は9時半、朝の慌ただしさから一区切りついた頃だ。
―商品管理センターとは名ばかりね・・―
駅からタクシーで15分。着いたその先に見えるはだだっ広い駐車場奥に・・、プレハブ2階建ての細長い建物3棟がポツンと見えるだけだった。
―さて、広瀬恵子がいる配送部門、商品室はどこかしら?―
タクシーから降り立った怜香は、コンクリートを照り返す眩しさと無風の空気にちょっとムッとした。
「何しに来たのよ!」
怜香の姿を見るなりそう叫んだ広瀬恵子は痩せて・・。
入社当時のガリ子よりはマジだが、えらくスリムにはなっていた。が、顔色は相変わらず良くない。
「痩せたのね」
「煩いわね。私が太ろうが、痩せようが、あんたなんかに関係ない。出て行きなさいよ」
「そうね、出て行くわ。でも、その前に、あなたにどうしても伝えたいことがあるの」
怜香はそう言って周りをぐるりと見回した。
一階の活気ある事務所から味気ない鉄階段を上がって、2階奥の広瀬恵子がいる商品室なる部屋の入り口直ぐには、むき出しのスチール棚に大小様々な形の白い紙が貼られたダンボール箱がびっしりとおかれている。その奥には山積みのダンボール箱があちらこちらに点在していて・・。
どう見てもそこいら中にダンボール箱が積み上げられた部屋の中に3人の人間が息を潜めて、謝りながら仕事をさせてもらっている・・という感じだ。
広瀬恵子たち3人の机は、部屋の一番奥壁寄りの一角にかろうじて出来たであろう空間を利用して、机がコの字に置かれていた。真ん中の机に向かって右手側には怒りで顔を真っ赤にした広瀬恵子が座っている。
真ん中の机には、髪の薄い、らっきょうのようは顔をした係長と呼ばれる男が、ワイシャツに地味なネクタイに生成り色の作業着ジャンパーを着て座り、先ほどから怯えた亀のように首をすぼめ、怜香をチラチラと盗み見ていた。
恵子の真向かいの席の主はどうやらどこかに出かけていて留守なのか、部屋のどこにもその姿は見えなかった。
―3人だけの小さな部署・・、なのにこの広さ。商品室とは名ばかりの・・、倉庫ね、ー
怜香は、ゆっくりと部屋の広さと人の数を比べた。
年代物のクーラーがウゴォーと小さな音を立てて息絶え絶えに動いていたが、ちっとも涼しくない。
むしろ積み上げられたダンボール箱の・・、紙の熱に負けて空気がムワンと澱んでいる。そのせいだろう、怜香はこの部屋に入るなり額に薄らと汗をかきはじめているのが自分でも分かった。
―とてもまともに仕事が出来る環境じゃないわよね。それに…ー
と思いながら上を見上げると、天井近くにある小さな二つの窓から光が入ってはいるが・・。
薄暗い。
―本当、陸の孤島とはよくいったものだわー
と怜香がひとり心の中で囁いた言葉が聞こえたのか、「言いたいことがあるなら早く言いなさいよ!」と怒りにまかせて叫んだ恵子は椅子から勢いよく立ち上がり、目は怜香をきっと睨んで鼻が大きく膨らんでいる。
これはもう完全なる戦闘態勢に入っているといいたいのだろう。
―相変わらず不細工な子ね・・。でもね、広瀬恵子さん・・ー
怜香は恵子に向かい静かに歩み出した。
「なぁ、・・なによぉー」
すると今度は、さっきの勢いはどこへやら・・。ゆっくりと近づいてくる怜香の姿に恵子の声は、恐怖を覚えたように語尾が微かに震えだしている。
「あら?あなた、私が怖いの?」
さらに怜香は一歩、恵子に近づいた。
「私、結婚することになったの。それで・・」と、怜香が言葉を言い終わらないうちに恵子は「なによぉー!」と叫んで怜香に突進してきた。
以前の太った恵子なら怜香の身体では到底受けきれなかっただろうが、以前よりも痩せて小さくなった恵子だったから、かろうじて怜香にも受け止めることが出来た。
が・・・。しかし、恵子の勢いには逆らえず、怜香は後ろに置かれていたダンボール箱の山に背中から体当たりした。
そしてそのまま崩れたダンボール箱の中に恵子とともに崩れ落ちる。体当たりして怜香の上に乗りかかっている恵子が金切り声で叫んだ。
「あの男!私に嘘ついたのねー。悔しぃー、私のこと馬鹿にして!どうして、あんたばっかりが良い思いするのよ!ちょっと綺麗だからって、それがどーしたのよ!」
もうむちゃくちゃである。
理屈なんか無い。
ただ、怜香が不幸になればいいと恵子は考えているようだ。
だが怜香も負けてはいなかった。
「綺麗に生まれたのは!私の責任じゃないわ!私の両親が、美男美女なだけよ!私は親の綺麗な容姿を、ただそのまま受け継いだだけよ!それを他人のあなたにとやかく言われて!逆恨みされる理由なんかないわよ!」
「私が親に似て不細工だって!いうのー」
「ええ、今のあなたは、あなたを大事に思ってくれる、その人の気持ちさえ分からない、見ようとしない大馬鹿者の不細工よ!」
「何ですって!もう一度言ったら許さないぃー」
「何度でも言ってやるわ!大切なものを見ないでトンチンカンな方向を見て私に八つ当たりしている今のあなたは、不細工きわまりない女だわ!」
「うるさぁーい!黙れ!其山怜香!」
「あなたこそ!黙りなさい!広瀬恵子!」
二人はお互いを罵りながら、上になり下になりの取っ組み合いの喧嘩になった。
だが積み上げられたダンボール箱の壁が二人の邪魔をする。
ぶち当たり、転がり落ちるダンボールの箱の中から配送書類が飛び出し舞いあがり、舞い落ちる。
紙の海だ。
そのうえ転がったダンボールに勢いづき隣のダンボールの山を崩していく。
ドスンドスンという音に、さっきほど怜香に、恵子がいる2階の商品室を教えてくれた一階の事務所の人間も慌てて上がってきたのだろう。
数名の人間が入り口近くに身を乗り出して・・。
二人の壮絶な姿を見ているが誰も何も言えない。
崩れて転がるダンボールの箱に、ドン、ドンと音を立てて当たりながら蹴散らし、怜香と恵子は互いの肩を抑えようと右へ左へと転がりながら移動する。
邪魔なダンボールを蹴った拍子に怜香のヒールがブスッと鈍い音をたてて突き刺さり・・、奪い去る。
恵子が履いていたサンダルは既に脱げ落ちてどこかに飛んでいた。
「やめないか!二人とも!」
慌てた係長が口から泡を吹き出しながら叫んだが・・。
「らっきょうは黙ってなさい!」と、怜香に怒鳴られ。
「うるさい!ハゲ!」と怒りにまかせた恵子の声がこたえる。
係長は青くなり「らっ・・。はぁ・・」と呟いている。入り口近くからは押し殺したような忍び笑いが聞こえた。
数十分後、舞い散る紙が床に落ち・・。
静かになった。
カサカサといわせて紙の海から先に立ち上がったのは怜香であった。
怜香の長い髪はもつれて牧草の塊のようだ。
白いスキニーパンツは青や黒の薄い汚れがまだらについている。サーモンピンクのサマーセーターはクビがダラリと伸びて、所々に糸がクルリとだらしなく引っ張り出されていた。
口紅の淡いピンク色が怜香の顔にかき傷のような線を描いて、見るも無惨な姿になっていた。
「言っておくけど、私が結婚する相手は、あなたが思っている。あの男じゃないわ」
それを聞いた恵子が立ち上がる。顔にかかっているストレートボブの髪を、いらだたしげに手ではねのけた。
恵子が着ている黒い制服のスカートの裾は見事に後ろで真っ直ぐに裂けている。ブラウスのボタンは第二ボタンまで取れてどこかに飛んでいた。
二人とも靴が脱げて素足だ。
「何ですって!どういうことよぉ!見合いでもしたってこと!」
「いいえ、違うわ。」
「なによ、美人は直ぐに男が出来るってわざわざ言いに来たわけ?」
「それも違うわ。」
「なら、なによー!」
落ち着き払った怜香とは違い。恵子はイラだたしい気持ちをそのままの言葉にして怒鳴っていた。
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…名前の一字目に 『わ』 の文字がある人…
☆その場を和やかに&頼れる人☆
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