第一章 其山怜香 (四十二)
この日の朝、淡いベージュのスーツできめた怜香は、
―理恵さんのイメージカラーの力を借りて、さぁ!行くのよ!怜香―
と自分の心に気合いを入れて秘書課のドアを開けた。
そして部屋に入ると直ぐに、課長が座る窓際奥の席に真っ直ぐ進んだ。
いつもと何か違う雰囲気の怜香の姿に〝うぅん?〟というように、書類から目を離した課長が片手でメガネを上にあげた。
「課長、すみませんが、お時間ちょっといただけますか。折り入ってお話したいことがあります」
孝一と二人だけの秘密の付き合いをするようになって3ヶ月。
季節は初夏に移り変わろうとしていた。課長の後ろに見えるガラス窓からは眩しいくらいの青い空が澄み渡っている。
孝一と付き合うきっかけになった、直美とのやりとりが行われた一月の、あの日見た冷たいどんよりとした薄墨色の雲などもう何処にも無かった。
「うん?何かな、其山くん。」
「それが、とても個人的なことなのですけど・・」
「まさか、結婚かね」
課長は笑いながらほんの少し冗談のつもりで言ったようだったが、怜香が嬉しそうに、「はい」と答えたものだから、課長もそうだが秘書課にいたメンバー全員が驚いた。
「ほぉ!・・、本当かね!其山くん」
「はい、それで課長に仲人をお願いしたのにですが、いかがでしょうか?」
「いや、それはかまわないが・・」と言ったきり、課長は驚きすぎて黙ってしまった。
周りのメンバーも怜香の突然の結婚宣言に一瞬ざわめいたが、今は一言一句聞き逃すまいと息を潜めている。
書類をめくる音さえ聞こえない。
そして課長は、多分、相手は誰だと言いたいが、果たしてここで言って良いのかどうか・・と迷っているようにも思えた。
「でも、その前に相手に会って頂きたいんです」
「そぉ、そうだな。そのほうがいい。僕も仲人を引き受ける以上は相手を知らないことには妻にも言えないからね」
「ええ、それで…、急なことで申し訳ないのですが、今晩、お時間頂けますでしょうか?」
「ああ、そういうことなら時間は作らせてもらうよ」
「ありがとうございます」
「いや、それにしても・・、急なことで驚いたよ。で、式はいつぐらいを考えているんだね?」
「仕事のこともありますが・・。なるべく早くにと考えています」
「そうかね。で、仕事は?」
「それが、相手の実家が自営なものですから、そちらを手伝うようになると思うんです。ですから、なるべく会社にはご迷惑をかけないように速やかに引き継ぎたいと思っています」
「そうか、それは残念なことだが・・。お目出度いことだ、仕方が無い・・。分かった。承知したよ」
「ありがとうございます。課長」
課長に対して丁寧に頭を下げながら・・、怜香の内心は可笑しくて仕方なかった。
―相手が一楽の息子。自分の甥、孝一さんだと聞いたら、課長・・。ひっくり返るわねー
「で、場所はどこかね?」
「はい、一楽です。一楽の女将さんにもご報告したいので、勝手ですが今晩の席をお願いしました」
「そうかね、分かったよ。一緒に・・・。いや、向こうで待ち合わせるのがいいね。其山くんは、お相手と一緒に来るだろうからな」
と最後の方は、〝そうだろう、そうだな・・〟と言いたげに課長の声は小声になっていた。
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