第一章 其山怜香   (四十一)

「私、小学校5年生までキツネは人を化かすものだと思っていたの」

 怜香と孝一の二人はキツネの檻の前にいた。


「おばあちゃんがね、父親の方のおばあちゃんがね。よく兄と私の二人に昔話をしてくれたの。ほら、日本昔話みたいなやつね」

 怜香は直美の言葉を思い出して、ゆっくりと、そして話を一区切り、一区切りしながら言葉にしていた。


 孝一は、ニコニコ笑いなから怜香の話を聞いている。

「それでね、一つ違いの兄と二人で、父に、動物園につれて行って欲しいと頼んだの。勿論、キツネが、本当に化けるのか確かめるつもりでよ」

「はい」

 孝一は目を輝かせ嬉しそうに返事をした。


―やだ、子どもみたい・・―

 今度は、そんな孝一を見て怜香が幸せそうに笑った。


「でね、兄と二人。まず、いの一番にキツネの檻の前に来て。二人で、ジッと見ていたの。でも、キツネは化けない・・」

 怜香は、檻の前の手すりをポンと叩いてフゥーと小さくため息をつくと、孝一の顔を見て鼻をチョコンと動かし、おかしそうに笑った。


「随分な時間を、兄と二人で見ていたけどね。とうとう、キツネは化けなかったの」

「それで、家に帰ってから、おばあちゃんに、〝キツネが化けなかったよ。どうして?〟と、兄と二人で聞きにいったの」

 孝一は目を輝かせて怜香の話を聞いている。

 返事さえしない。

 怜香の話しを聞くことに夢中になりすぎて、自分が話すことを忘れたようだ。

 だが、そんな他愛ない昔話に耳を傾け、真剣に聞いてくれる孝一の心優しい気持ちが怜香には嬉しかった。


「そうしたらね、おばあちゃんが言うの。〝そこに、葉っぱはあったかい?〟っていうのよ。だから、兄と顔を見合わせて、二人で真剣に思い出したわ。葉っぱなんて?あったかしら・・って」


 すると孝一は、怜香の言葉に反応するようにキツネの檻の中を綺麗な澄んだ瞳で見始めた。

「無いですね。葉っぱ?」

「そうなの、無かったのよ」


 怜香は、ここでクスクス笑い出した。

 どうやら孝一の中で、話のなかのキツネの檻と、いま目の前のキツネの檻との区別がついていないようだ。

 でも、そんなことはどうでも良かった。

 それよりも孝一が、怜香の話を真剣に聞いてくれて、小学校5年生の頃の怜香と一緒になって考えてくれる気持ちが嬉しかった。


「ねぇ、ちょっと早いけど、お昼にしない?」

「はい」

 孝一の嬉しそうな顔に怜香も微笑んだ。二人は、お弁当が食べられる休憩所の丸いテーブル席に座った。

「お口に合うかどうか・・分からないけど」

 怜香は、そう言いながら赤いトートバックから今朝早く起きて作ったお弁当を、一つずつ丁寧に出してテーブルに並べた。

 案の定、竹で編んだお弁当箱の蓋を開けて出てきた黒くて丸いものに、孝一は目を大きく見開いている。


「これ、実は、おにぎり。爆弾おにぎりよ」

「はい」

 孝一の嬉しそうな顔に気を良くした怜香は、紙皿に爆弾おにぎり、卵焼き、唐揚げ、フルーツトマトと一つずつ取り分けて孝一に渡した。


 孝一は、「美味しい、美味しいです。怜香さん」と、どれを食べても一口、口に運ぶたびに幸せな顔で、澄んだ瞳を向けて喜び、怜香を喜ばせた。


―幸せって、案外こんな単純なことなのかもしれない・・―と、


 怜香は何処までも高くて青い春の空と、心地よい軽やかな風に吹かれて・・。

 

孝一と二人で過ごす何気ないこの時間が、とても穏やかで幸せな時間だと感じていた。


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