第一章 其山怜香   (三十八)

 翌週の日曜。

 牧原直美との話し合いを、怜香は理恵のもとに報告しにやって来ていた。

それに怜香は理恵に直接聞きたいこともある。


 いつものように理恵のサロン&自宅の玄関を開けると、素早い動きで2階から階段をスルリと降りてきたチャロは、怜香のことを確認するように優雅に肢体を使って寄ってきた。


 怜香が、「チャロちゃん、こんにちは」と声をかける。

 まるでそれを待っていたように「どうぞ、こちらへ」とチャロが階段を先導して歩き、ドアの前で「早く、開けてね」といわんばかりにチョコンと座っていた。


「はい、どうぞ」と怜香がチャロに声をかけてドアを開けると、チャロは一瞬怜香の顔を見上げてから優雅に歩いていつもの場所に行き、丸くなってジッと怜香を見つめた。


―ありがとう・・って、いうことかしらね、チャロちゃんー

 そう思うと可笑しくて、怜香は後ろに立つ理恵に微笑んだ。


 それからいつものように二人して向かいあわせに座り。

 理恵が入れてくれる日本茶と、怜香が持ってきた生和菓子を二人で食べながら、怜香は直美とのやりとりをこと細かく順を追って理恵に話して聞かせた。



「そう、それは良かったわね。お互いに誤解が解けて」

「ええ、そうなんです。でも、本当に理恵さんの言われたとおりでした。私、上しか見ていなかったんです。足元がおろそかになっていたのだと、牧原さんと話していてよく分かりました。反省させられることの多い一日でした。」


「いいんじゃない。それで…、そうやって反省するのは、今までの自分に気づくこと。きっと目には見えないけど・・。昨日の自分と今日の自分は変わっているはずよ。」と理恵が笑いながら怜香に言った。


「ええ、私もそうだと思います。」

「ところで一楽の息子さん。孝一さんとは、怜香さんこれからどうするの?」

「それなんです。そのことなんです。今日、理恵さんにご相談したいのは・・」



 怜香は、自分のバッグを勢いよくトンと膝の上に置き、そこからペンと小さなメモ帳を取り出して素早くペンを走らせた。

 そして書き終えたメモ帳を、怜香は理恵の前にそっと出した。


「私・・、理恵さんに出会う前の私なら、彼のことなど男として見ることは到底出来なかったでしょうし。まして結婚なんて絶対に嫌だと思い、彼の言葉も、牧原さんの言葉も、完全に無視して黙殺していたと思います」


 理恵は、怜香のその言葉とともに受け取ったメモ帳に書かれた名前を見た。


佐伯さえき孝一こういち


「二人の相性を、良いにつけ、悪いにつけ・・、見て欲しいということね」

「ええ、だって理恵さんなら、悪いときはどうしたらいいかの方法を知っているでしょう。だから安心なんです。どちらに転んでも・・」


 理恵の鑑定は少し時間がかかった。いつものように名前の横に数字が書き込まれていく。

その理恵の眉が一瞬だが歪んだように思えて・・、怜香はこの静かな時間に不安で息が詰まりそうになる。


 ふっ・・と見ると、チャロが頭をもたげて怜香をジッと見ていた。

―チャロちゃん・・。なんだか怖い顔しているのね、ーと、怜香は心の中で猫のチャロに話しかける。

 するとチャロは、怜香が呟いた小さな心の声が聞こえたのか、大きな丸い目を意味ありげに理恵の方へと動かした。





―これは・・・―

『佐伯孝一』と書かれた文字の横に、理恵は怜香の名前をフルネームで、「其山怜香」と書き込んだ。

 そして静かに二人の未来・・相性を見た。

 それは切なくて、美しい未来だった。

 理恵は心の中でそっとため息をつく。


―これを、そのまま伝えるわけにはいかない。あくまでも姓名判断は統計学。外れるという余白がある。余白がある分、出てきた答えが百パーセント正解だとは誰にも言い切れないのだから・・―

 と理恵は自分の心を落ち着かせるように、もう一人の自分にそう言い聞かせた。

そして、このとき理恵は美しい未来の言葉だけを選ぶ決心をした。


「まず、佐伯孝一さんとはどういう人なのか?といわれたなら。そうね…、たぶん人が彼を見かけたとしても、殆どの人の印象には残らないでしょうね。」

「ええ、言いにくいことですが理恵さん、そのとおりです。きっと老舗料亭、一楽の息子さんだと知らなければ、誰も彼を気にする人はいないかもしれません。」


「ええ、彼は、彼には強いオーラーや、強烈なインパクトがあるわけではないの。それを持っている人ではないから・・。そのことは仕方のないことね。」

怜香は神妙な顔で理恵の言葉に頷いた。


「ただ、彼には彼にしかない魅力があるわ。もし彼と間近に接して、彼の瞳をのぞき込んだなら・・。その瞳の美しさにハッとするんじゃないかしら。繊細で、純真な人だけが持つ穢れのない美しさ・・、とでもいうのかしら。吸い込まれそうな、ハッとするような綺麗な瞳」


「ええ、ええ、そうです。本当にそうなんです。小さいけど、普段はメガネの奥に隠れていて分かりませんけど、子どもみたいな・・。少年みたいな無邪気で綺麗な瞳です。」

怜香はふっと孝一の、あの無邪気な笑顔を思いだし急におし黙ってしまった。


―やだ、私・・。本気で空豆に惚れちゃったのかなぁ・・―


「怜香さん?」

「あっ、ごめんなさい。私ちょっとボーっとしていました。お話つづけてください。」と慌てて理恵に返事した怜香は、ほんのりと頬を赤らめた。


―怜香さん、恋したのね。彼に、空豆さんに本物の恋を、ー

 理恵は口には出さないが怜香の染まる頬を見てそう確信した。


「ただ、彼のことをもっと知りたいと近づいても・・」

「近づいても、何ですか理恵さん!」


「壁があるわね。薄い壁があるのよ。多分、子どもの頃に大切な人を失った悲しみ。自分一人だけが助かった罪悪感。そして跡取り息子としての重圧に加えて、お母様をこれ以上悲しませたくは無いという・・。大きな責任感に押しつぶされそうになりながら必死で立っているんだと思うわ。それが彼の心に薄い壁となって、孤独という暗い影を落としているのね・・きっと」


「影・・。薄い壁・・ですか?」


「ええ、そう。ねぇ怜香さん。怜香さんと彼の相性はとてもいいわ。最高といえるくらいいいの。けれど、いまいった彼の悲しみ、罪悪感、重い責任から生まれる彼の孤独感の全てを、怜香さんは受け入れることが出来るか、彼の心に寄り添うことが出来るか・・。それが、この恋を幸せなものにするか、そうで無いものに変えるかの分かれ道だと私は思うの・・。でもね怜香さん。私は、今の怜香さんなら〝忄〟(りっしんべん)で生きるのでは無くて、〝心〟で生きることを選んだ怜香さんなら出来ると思うわ」


 理恵の言葉に怜香は静かに頷いた。その目が、怜香の瞳の奥が、私が彼を支えてみせるというように頷いた。

 理恵はその静かな決意のような頷きに心が柔らんだ。


 きっと、大丈夫。

 二人は幸せになれるはずだと・・、理恵は小さな不安の箱を見えない心の奥に押しやるように、そっと想いの一部にカーテンを下ろした。


 いつの間にかチャロがゆっくりと近づいて来て、怜香の隣にスルリと飛び上がり優雅に身体をくねらせ座る。

 それから安心したように怜香に顔を寄せて甘えだしていた。




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…名前の一字目に 『ろ』 の文字がある人…


☆リーダーシップをとれる人☆




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