第一章 其山怜香 (三十六)
「ヤヤさん・・」
宮部に見事に顔を殴られ、他の女の子に切れた口のあたりに大きな絆創膏を貼ってもらった孝一が、直美の目の前に肩を落ちしションボリとして立っていた。
「あっ!孝ちゃん?」
「ごめんなさい。僕のせいですね。ごめんなさい・・」
孝一は本当にすまなさそうに眉を八の字にして、チョコンとかけた黒縁メガネ越しの小さな目には今にも涙が溢れだしそうだ。
―空豆が、泣いているー
直美は咄嗟にそう思った。
そして、明るい太陽の下で実を付ける空豆くんを泣かせてはいけない・・とも思った。
「ねぇ、孝ちゃん。私、お腹空いちゃったからラーメンおごってよ!」と直美は明るく言った。
「えっ?」と言ったきり孝一は固まっている。
その姿がなんだかおかしくなって、そして暖かくて「ねっ、いいでしょう?」と言いながら直美は思いっきり孝一に甘えてみたくなっていた。
「はっ、はい。いいです。」
孝一は夢から覚めたように、そして、あのいつもの顔全体が笑っている優しい笑顔で返事をしてくれた。
それから孝一と腕を組んで二人で楽しそうに歩き出した。
10分ほど歩いてシティホテル近くにあるラーメン屋の前まで来たときだ。孝一が小さな声で「あっ!」と叫んで立ち止まった。
動かない。
そのままの格好で仁王立ちだ。
危うく直美は前につんのめりそうになった。
「もぉ!孝ちゃん、いきなり止まらないでよ。こけそうになったじゃない!」と叫んだが、どうやら孝一には直美の怒った声など聞こえていないようだ。
直美はいぶかしそうな顔をして仁王立ちになった孝一の目線を追う。
そこにはホテルの玄関前に止まったタクシーから降りるカップルの姿が見えた。
―綺麗な人。もしかして!―
「孝ちゃん、あの人?あの人なの?大きな薔薇で、小さなマーガレット?」
ほうけている孝一の腕を強く引っ張って直美が耳打ちする。するとまた夢から覚めていない孝一が、ウンウンとバカみたいに首を縦に振った。
―私、男の方は知っている。どうしょうも無い悪よ、あいつはー
「孝ちゃん、後をつけるわよ!」
「えっ?・・、あっ、はい」
直美は二人と距離を取りながら、孝一の腕を強く摑んでホテルへ入る二人の後を付けた。
二人はホテルのエントランスに入ると女の方は優雅にソファに腰掛けた。
男の方がフロントで二言、三言話をしてチェックインの手続きをしているようだ。直美と孝一は、二人が見える位置にある入り口奥のエレベーター斜め前に置かれているソファにさりげなく腰掛けた。
「どうやら、お泊まりするようね。」
直美の囁くような言葉に横の空豆がウンウン頷いている。
男の方が手続きをすませると女の方に振り返り軽く手を上げた。 それが合図のように女の方がゆっくりと立ち上がる。
それから今度は客室エレベーターへ・・、直美と孝一が座っているソファをくるりと回るように近づいてきた。
「孝ちゃん、ゆっくり下を向きながら私の方を見て!」
二人に顔を見られてはまずいと咄嗟に思った直美は、孝一に身体の向きを変えさせた。こうすれば多分、もし見られても孝一の背中と後頭部しかみえない。
そして直美も、さりげなく膝の上のバッグの中身を探るような仕草をして下を向いた。二人は直美や孝一には目もくれずにエレベーターホールへと消えていった。
「孝ちゃん、行くわよ。」
「はっ、はい」
直美は孝一に素早く声をかけて立ち上がるとエレベーターホールに急いだ。
そして頭上に並ぶ数字が一つ一つ順番に光出す後を目で追い、最終的に落ち着いたのは最上階を示す数字だった。
「最上階か・・。あいつ、今度は本気なのかも・・」
「あいつって?」
「ああ、気にしない。孝ちゃんは気にしなくていい。それより、これから作戦会議しよう!」
「うぅ、うん」
「なにしょげてんの、恋は最終段階まで行かないとどっちが勝つかなんて分かんないんだから!ね。とにかくラーメン食べて作戦会議。いい、分かった!」
「はっ、はい」
これ以上このホテルにいても何も出来ないと思った直美は、最初の予定通りにこの近くにあるラーメン屋に行くべく、孝一の腕を引っ張ると、なんだか嬉しそうに歩き出していた。
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…名前の一字目に 『り』 の文字がある人…
☆流行に敏感な人☆
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