第一章 其山怜香   (三十四)

「ねぇ、けんちゃん。けんちゃんの友達って、もしかして?これ?」

直美は、いつもの常連さん田中たなか健一けんいちが連れてきた友人を目で指し示してから、人差し指をクルクル回した。


「ヤヤ、おっまえ相変わらず失礼なやつだなー」と健一が言った。

「だって、さっきから全然話がかみ合わないんだもん!」

と直美は、ぷっと頬を軽く膨らませた。


「あのなぁ、孝一こういちは子どもの頃、交通事故に遭ってんだよ、生きるか死ぬかの瀬戸際までいったんだ。それで事故の後遺症がなぁ、ちょっと言語機能に残ってんだよ。だから、おまえみたいにペラペラ早口で喋られると、孝一は焦って考えが上手くまとまらなくなるんだよ。だから、ゆっくり喋ってやれよ。そうしたら大丈夫だからさ」

「ふぅーん。そっか、分かった。」


それから直美は孝一に向かいなるべくゆっくりと話すようにした。

帰るときも、いつもの誰に対してもするご挨拶のつもりで「今日は本当に楽しかった。また、明日も来てねぇー。私、待ってるからぁね~」と明るくいった。

だが、まさか本当に来るとは思わなかった。

しかも、毎日、一人で・・。



―こいつ、やっぱり?ばか?嘘で固めた営業言葉を信じてんのぉ?―


直美は初め自分を指名して毎日来てくれ孝一を、お金を落としてくれるバカな客だと思っていた。


だけど、毎日、帰りに直美と約束したからと「明日も来てね」と、いってくれたからとニコニコしてやってくる孝一に、だんだん嘘をついているような気がしてきた。

素直に直美の言葉を信じる孝一に対して、なんだか自分が汚いもののように思えて心苦しくなってきた。


だから、けんちゃんに言われたようにゆっくり話して、孝一の話し相手になっていた。


そんな中で孝一がポツリポツリと話してくれたのは、事故から目覚めたとき父親と姉の二人がいなくなり、自分だけが助かって悲しかったこと・・。

そしてもう二度と、お母さんを泣かせたくはない・・と思ったこと。


それから、これが一番気になった。孝一が叶わぬ恋をしていること・・を、ゆっくりとだが嬉しそうに話してくれた。


だから直美は、だんだん孝一と話すのがキャバ嬢とお客というよりは気のおけない純粋な友達のように楽しくなってきていた。


「ふぅーん、そんなに綺麗な人なんだ。」

「うん。綺麗だよ。お花みたいな人なんだ。」


「へぇー、どんな花?」

「ええぇーとね。外は、白い大輪の薔薇の花だけど。中は、小さな可愛らしいマーガレットの花なんだ」と孝一は嬉しそうに言った。



「はっ?外が大きな白い薔薇で?中が小さなマーガレット?意味分かんないよ?孝ちゃん」と直美が眉にシワを寄せて言うと…、

「うん。僕もよくわかんないんだけど・・。でも、そうなんだ。」


そう言って幸せそうにニコニコ笑う孝一をみて、直美は〝やっぱり、バカか?こいつは〟と思いながらもあんまり幸せそうに孝一が笑うから、チョッピリ嫉妬してしまった。


―こんな風に、幸せそうに笑う孝ちゃんに想われているその人は、いったいどんな人なんだろうか・・―


直美はそう考えだすと、なんだか今の自分が惨めたらしく想えてきた。

だから無意識にその考えから逃れたくて手を伸ばし、目の前のカクテルを口につけたと同時に、左腕を思いっきり上に引っ張られた。左手に持ったグラスの液体が流れ落ちる・・。

直美は小さな悲鳴をあげた。


「さっきから、何?ちんたらやってんだよ!こっちの席にこいよ」

酒癖の悪い常連・・宮部みやべだ。今日も既に相当に酔っ払っている。

この宮部、なぜか直美のことが気に入り、いつも他の客の席だろうとお構いなしに横入りをしてくる。いい加減、直美も、この宮部という酔っ払いの客にはうんざりしていた。


「ちょっと、離してよ!痛いじゃないのー」

直美はそう言うと、持ち上げられた腕を振り払うようにして勢いを付けて立ち上がった。いつもと違い反撃されるとは思っていなかった宮部は、酔っていたせいもあり、床にドスンと無様に尻餅をついた。

ついでに残っていたグラスの液体も宮部の顔と身体にかかる。


「何しやがる!この女!」

宮部は直美のことを口汚く罵り、殴りかかってきた。けど、宮部に顔を殴られたのは直美ではなく、直美を庇った孝一だった。


「ヤヤちゃん、困るんだよね。お客さん怒らせたり、怪我させたりされるとさぁー。まぁ、確かに、あの宮部って客は酒癖悪いよ。確かに悪いよ、あいつはさ、けどさぁー、お客さんなわけよ。ここにお金落としていってくれるんだよね。だからさぁ、他の子の手前もあるからさぁ。明日から来なくていいよ。悪いんだけどさぁ。ね、そういうことでお願いするよ、ヤヤちゃん。今日までの分は、はい、これね。」


直美は、その場で店を首になった。


「ムカつくぅー」

階段を上がり、地下の店を出て誰にいうともなしに直美は悪態をついた。

店の外の看板を蹴り倒してやろうかとも思ったが、あのケチな店長に「弁償しろぉー」といわれるのもしゃくに障るので止めた。


―あぁー、もぉ、ついてないなぁ。私、来月から・・、どうやって生きてくぅ~・・―

そう思いため息をついて空を見上げたが、都会の空に星はない。

あるのはキンキラキンに派手に輝くネオンだけだ。

道行く人は直美なんかに目もくれていない。

なんだか急に、春も間近な夜が真冬の冷たさのように感じた。




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…名前の一字目に 『よ』 の文字がある人…


☆平和主義者☆



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