第一章 其山怜香   (三十一)

怜香は考えていたというよりは自分に問いかけていた。


―あの時、会社のため、一楽のため・・と思っていたけどー

それは本当だったのか。


確かに牧原直美がしたことや、広瀬恵子がしたことを知って腹が立ったし仕返ししたい気持ちはあった。

無いなどと嘘をいう気はないが、それ以上に、この二人には会社にいてもらっては困る人間だと確信した。

あの時は・・。


だから直美に仕掛けた狡い罠に関しても後悔はしなかった。けれど本当にそれだけだろうか・・。

広瀬恵子はともかく、牧原直美は怜香が、「この子は一楽の女将に向きません」と・・。

いや、「私には無理です」と手放せば良かったのではないか。


そう考えると、怜香は自分の中に負けたくないという気持ちが強すぎて、その簡単なひと言が言えなかったような気がしてきた。


「やはり其山くんでもダメだったか・・」とか、

いや・・。

「怜香さんもたいしたことないわね。」とか人に言われるのが怖くて簡単なひと言が言えなかったのではないか。

人に笑われるのが恥ずかしかったのではないか・・。


―だから私は自分が傷付かないように、ダメージを受けないように小細工をした。ー


心が揺れる。

身体の力が抜ける。

勢いストンと音をたてて地べたに落ちてしまいそうだ。

なんだか気分もフニャフャニに、だらしなく揺らめきだしてきたような気がする。


―そして私は、悪いのは、あの二人だというように持って行った。ー

そこまで考えて怜香は目の前のコーヒーカップに手を伸ばし、すがるように両手で包みこんだ。


―温かいー

少し気分が落ち着いた。


「これは・・、彼女のことを試したのではなくて、自分を守るための・・。これは彼女に対する、牧原直美に対するいじめですね」

そして最後に「恥ずかしい。」と怜香はぽつりと言った。


「怜香さん、それでいいのよ。」

「えっ?」

「今、怜香さんは自分が彼女にしたことは試したのではなくて、いじめだったのだと気がついた。そして、そんな自分が恥ずかしいとも気がついた。怜香さん、それが、〝忄(りっしんべん)〟で生きる人生ではない。怜香さんの中にある、もう一つの怜香さんを輝かせることが出来る〝心〟で生きる人生なのよ。怜香さんは今、その道を歩き始めているのよ。それは、とても素晴らしいことよ。」


「理恵さん・・」

「怜香さん、今まで本当は無理していたんじゃないの?」


理恵の優しいひと言に、初めて、ここで怜香は胸の奥から何かが大きくうごめき、鼻の奥がツンと切なく詰まって目頭が熱くなった。そして、涙が自然に、ほろりと頬を伝って行くのが分かった。


あのクリスマスの夜、一人で食べたディナーの味がなにもしなくてワインで流し込んだ心寂しい夜が、想いが蘇る。


―私は、なんて傲慢だったんだろ・・―


「私・・、いやだ。私・・、どうして?涙なんかがでるんだろう。」

「いいのよ、怜香さん。それでいいのよ。」


そんな怜香の心に理恵が再び「いいのよ、泣いて」と優しく言った。

泣いて・・、いいの?私、泣いていいんですか・・。と・・、言葉にしたいのに出来ない怜香の瞳に、理恵が優しく微笑み頷いている。


この時を待っていたかのように、ほろほろと大粒の涙になって自分の頬を伝って落ちる温かな涙の粒を止めることも、忘れることも怜香には出来なかった。


悲しい想いが蘇る。

傷付いた想いが蘇る。


何度も蓋をし、気づかないように無視していた心が溢れ出す。

やっと気がついてくれたんだね・・と、自分に語りかけるように涙は溢れ出し、怜香は肩をふるわせ心のままに泣いていた。




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…名前の一字目に 『も』 の文字がある人…


☆自分を持った頼りになる人☆




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