第一章 其山怜香   (二十九)

「すみません、怜香さん。僕のせいで・・、僕の為に・・、す・・すいません。」と言いながら孝一は、今度は床にひれ伏して大泣きしだした。


「ちょっと、やめてよ!」

怜香は困惑した。

だが孝一は、怜香の声にいっそう声を上げて泣き出した。まるで大きな子どもである。



―なんなのよー、このバカ息子!―


怜香は目の前で派手に泣く孝一を蹴り倒してやりたくなったが、そうもいかない。膝をつき、不本意ながら孝一の肩に手をやり、なだめすかすが・・、らちがあかない。


孝一は必死に怜香の名前を呼んで謝っているが、泣き声と涙で、今では何を言っているのかもよく分からない。

それに顔は真っ赤になって糸目の目から溢れるように涙を流し、鼻水もすごい。


―まったく・・―


そのうち、この大きな身体を震わせてオイオイ泣く孝一の姿をみていると、さっきまで自分には関係ないことだと怒りに包まれていた気持ちがなくなり、怜香は、なんだか笑えるくらいに可笑しくなってきた。


「もういいから、分かったから泣き止んで・・。これで涙を拭きなさい」

怜香は、さっき使っていた白いハンカチで孝一の涙を拭いてやる。

それから孝一を立たせて、玄関直ぐの広縁に置かれた椅子の代わりの長持に座らせた。ガラス戸の向こうに中庭の小さな石灯籠と小さな池が見える。


孝一の斜め前に立った怜香は腕を組み、怜香の目線の先に座る、怜香の姿を捉えて離さない孝一の瞳にゆっくりと尋ねていた。


「あなた、いいの?牧原直美さんと破談になっても・・」

長持の上に身体を小さくして座っている孝一は、怜香の白いハンカチを手に持ち涙と鼻水を拭きながら小さく頷いた。


「分からないわぁー。あなたたち、結婚したかったのよね。」

これにも孝一は小さく頷いた。



―いったいどっちなの?―

ますます分からない。

破談を承知しながら・・。

でも、結婚したかった。


―いったい、なに?―

そう怪訝に思った怜香の心が見えたのか・・。

孝一は再び「すみません、すみません」と泣き出した。


孝一の手の中にある怜香のハンカチは、もう孝一の涙と鼻水でグチョグチョだ。なんの役にもたっていない。たたないのに孝一は、そのハンカチを握りしめて、どうやら離すつもりはないようだ。



―仕方が無いわね。ハンカチは諦めるわー


怜香はそう思うと、次に孝一の右側に座り・・。孝一の左肩に手をかけて、孝一の顔をのぞき込み、こう尋ねた。


「ねえ、本当に破談にしていいの?いいのなら、私が、あなたの代わりに牧原直美さんに会ってくるわ。でも、もし、まだ彼女と結婚したいのなら、私はあなたのお母さん。女将さんに、この話を断るわ。ねぇ、あなたは、本当はどうしたいの?あなたの本当の気持ちを私に教えてくれない?」


孝一は泣きはらした目を怜香に向けた。

そして小さな声で・・。

「僕は、・・、僕は、怜香さんと結婚したい・・」

今度は、そうはっきりと答えた。




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…名前の一字目に 『む』 の文字がある人…


☆自分の世界を持っている人☆



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