第一章 其山怜香 (二十四)
理恵は結婚するまでを九州の実家で暮らした。
結婚してからは夫が勤務する大阪で暮らすようになった。一男一女と二人の子どもにも恵まれ、その間ちょっとした小さなトラブルはあったが平凡だがまずまず幸せな人生だったと思う。
だが、こども達も大きくなり、やれやれと思えた人生の中休みで夫が癌になった。そう告げられた時は正直、頭の中が真っ白になって何をどうしたかさえはっきりとは理恵自身も覚えてはいない。
それでも癌は初期の段階だから大丈夫だと自分に言い聞かせていた。
・・いたのに・・。
初め、初期の癌であったはずがあまりにも進行が早く覚悟などという心が追いつきはしなかった。
理恵はこのとき、どうしていいのか分からない毎日に身も心もボロボロに疲れ果てた。そして夫が亡くなると、理恵の知らないところで動き出していた出来事は理恵自身はもちろんのこと、優しい子ども達をも苦しめていたことを知り愕然とした。
本当にあの頃、理恵の心は今にもちぎれそうだった。
そんな目の前の毎日に手一杯で何も考えられなかった理恵が、ふっ・・と心の奥に小さく自分に問いかけた想いが「一体、私の運命はどうなっているのだろう…」という疑問だった。
だがそんなことを思ったところで、誰かが、どこからか現れて親切に教えてくれるわけでもない。
でも理恵は知りたかった。
いま自分に降りかかる全ての出来事の正体が、一体なんであるかをどうしても知りたかった。
そして理恵はその答えを求めて、姓名学、四柱推命、家相、人相、タロットと、およそ占いとつくものを思いつくままにネットで調べあげた。そしてその中の占いの学校のひとつに通い勉強したのだ。
だが占いは統計学だ。
答えの全てがそこにあるわけではない。そう気がついて理恵は愕然とした。
―私は、何をしているのだろう…―
そう自分に問いかけて少し悲しくなった。虚しくなった。この時間はムダな逃避だったのかとさえ思った。
でも・・、と理恵は考えた。
名前や生年月日が同じでも人それぞれの人生は違う。
多分、どれ一つとっても似ているとことはあっても、まったく同じだということはないだろう。
そして、それが統計学では説明できない人間の、その人だけの運命なのだという考えに理恵は行き着いた。
そう考えれば同じ名前でも違う人生を歩むということも理解出来る。
それは、もしかしたら知らぬ間に名前が進化していくということではないのか・・。
つまり、画数が悪いとか良いとかのひと言で片付けられるものではない、何かがそこにあるはずだ。
それは人だ。
その人の意思や、考える癖、育った環境、それ以上に、そこに関わった人たちとのいろんな要素がその名前を進化させているのではないか。そこに、その人の人生の意味が隠されているのではないか。
そう考えた理恵は人間をもっとよく知ろうと思った。
「それで理恵さんはその後、心理学を学んで、そこからアロマテラピーを学ばれたんですか?」
「ええ」
怜香の問いに、理恵は静かに笑い返しながら言った。
「五行というのは、木は燃えると火を生み。火が燃えた後には灰になり土に帰る。そして土の中から金は掘り出される。掘り出された金の表面に凝結して水が生まれる。その水を得て木が育つ。つまり一つには、木・火・土・金・水の循環を表す言葉なの。」
ここで理恵が話しているのは五行の『相生』の関係を話している。
相生とは相手を助ける関係。
一方的に生じる関係を維持することで、木は火を、火は土を、土は金を、金は水を、水は木を・・と、このサイクルに取り込まれ間接的に一方向に助けられる関係をいうのだ。
だが、見返りを得るとこの相生のサイクルは崩れてしまう。結果、間接的な援助も受けられない。
これとは反対に互いが相手に勝とうと争う関係もある。
それが『相剋』だ。
相剋は、五行では木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木に、それぞれ
だが、この関係は一方の力が強かったり、逆に弱まってしまうとコントロールできなくなる。その結果、暴走を生み全てを滅ぼすことになる。
そして、もう一つ大事なことがある。
『比和』だ。
これは同じ気が重なり強まる関係だ。
例えば、夏の雨は木々にとって恵みの雨となり、冬の雨は木々を凍らせるというように条件によって吉凶が変化する。
言い換えれば同じ気が重なってますます良い場所になりもすれば、その反対にますます悪くなる場合もあるということだ。
このことから『相生』だけが良くても、『相剋』だけが良くても、『比和』だけ良くても全体のバランスがとれていないと万物は変化出来ない。
怜香は理恵の言葉に暫く黙っていたが、やがて口を開いてこう言った。
「それは相手から得たもので順に送られていくということですか?」
「そうね、違う誰かに助けてもらう関係、お互いに育っていく関係といえるわね」
それを聞いた怜香はまた黙った。
目を細め、何か少し怒ったように険しい顔つきで考えこんでいる。
―考える時間は必要よ。例え、それが自分にとって嫌なことでも。そして自分で自分の中にある何かに気づくことは、もっと必要なことだわ―
と思い、理恵はあえて怜香に声をかけなかった。
静かな時間が流れる。
すると、それまで大人しくソファの下で身を丸めていた猫のチャロが、もの言いたげに顔を上げ理恵の方をジッと見ている。
―チャロ、邪魔しちゃだめよー
理恵の目がチャロの可愛らしい丸い瞳に言い聞かせる。
するとチャロはゆっくりと立ち上がり身体をなめらかに伸ばして、さあ、私の仕事をしますかというように、語りかける理恵の瞳を無視して怜香の方に素早く歩いたと思うと敏捷な動きを見せて怜香の隣へと飛び乗り・・。
怜香の手を不思議そうに見てから顔を上げた。
そして…、早く私に気づいてよという風に、丸い瞳で怜香の顔を下から無邪気にのぞき込んだ。
―チャロ!ー
理恵は心の中で焦ったが、チャロはまるで、そこに落ちた怜香の気まずさの玉をどうやら拾ったようだ。
「あら、あなた、私を慰めてくれるの・・。ありがとう。」
そう言った怜香の顔からさっきの険しい顔つきは消え、柔らかな笑顔になった。
チャロに笑いかけていた怜香の目線が動いて理恵を見た。
「ごめんなさい、怜香さん。チャロ、おりなさい。」
「いえ、いいんです。この子は、このままで・・。ところで理恵さん、さっきの五行のお話なんですけど・・」
「ええ」
「私は、その考えからいくと私自身が助け合う関係ではなくて、壊す関係だけのように思えます。」
怜香は、そう静かに言った。
理恵は思った。
この、怜香という女性は自分のことをよく知っている。よく見ている。
だから素直に自分の悪いところも理解している。だが分かっていても自分ではどうすることも出来ないのだろう。
―それが人の人生なのかもしれない。ー
「怜香さん、五行にはいろんな側面があって、傷つけ合う関係もあるのよ」
「傷つけ合う?」
「ええ、木は土から養分を奪いとり土地を痩せさせ。土は水を吸収し流れを止める。或いは水を濁らせる。水は火を消し止め。火は金と金属を溶かす。金は、金属は木を切り倒す。助け合う関係とは違う、相手に勝つために相手を傷つける。つまり、誰かを傷つけたら誰かから傷つけられる関係」
理恵の言葉を理解したかのように、チャロがプイッと横を向いて素早く床に降りた。
その姿を目で追いながら怜香が無表情に静かにポツリと言った。
「まるで・・、今の私のようですね。」
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…名前の一字目に 『ふ』 の文字がある人…
☆誰に対しても公平に見れる人☆
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