第一章 其山怜香   (二十一)

倒れ込んだ恵子は、この展開にショックを受けていた。

恵子は当然、牛窓が自分を一番に助け起こしてくれると思っていたのだ。

だが現実は違った。


彼は倒れた恵子には目もくれずに、滑って壁に当たった記念品の無事を確かめたのだ。そして完全に自分を無視して、その視線は、笑顔は、恵子の上を通り過ぎ、恵子の斜め後ろにいる怜香に注がれている。

もう一度、恵子は怜香の顔を確かめるように見た。


―やっぱり、可愛いは飽きられるんだ。私は、この人みたいに美人じゃないから、可愛いだけだから・・。だからいけなかったんだ。ー


こんなとき祖父や祖母なら、いの一番に恵子のもとにやってきてくれる。

そして、「可哀想に痛かっただろう、怪我はないか?」と言って助けおこして優しく聞いてくれる。抱きしめてくれる。

だが今は誰一人として恵子に注目するものはいない。


中でも一番悲しかったのは、自分を愛してくれている牛窓までが恵子を無視して怜香に優しく微笑みかけたことだった。

この瞬間、恵子は牛窓に裏切られたと思った。


「なによぉー、二人して私のことをバカにしてぇー」

恵子は大きな声で恨み言をいいながら不気味に立ち上がってきた。そして壇上を背にして怜香の方に向き直った。


―なに?この、やせた鬼瓦みたいな子は・・、誰?ー

怜香の目が冷たく光った。


「牛窓さんはねぇー!琢実さんは、あなたじゃなくて、私を、私のことを愛しているのよ!」

恵子の・・、この叫びに周りが凍った。

テーブル越しに立っていた沙奈恵などは、〝今?なんてぇ?言った?牛窓さんが広瀬恵子を愛している?って、聞こえたけど・・。広瀬恵子自身がいま言ったのよね、それ、本当?〟と驚きを通り越して顔全体が疑問符の?マーク状態だ。


そして沙奈恵は、私の耳が間違ったことを聞きましたか?と、後ろの壁に椅子を並べていた先輩の方に身体をぐるりと反転させながら、無言の目で訴えていた。


訴えられた壁の人は・・・。

これも目を丸くして、〝うぅん、間違いない、そう聞こえた〟という顔で、うんうんと顔を上下に激しく動かした。そして恵子の言葉に一番驚いたのは、牛窓本人だった。


無表情で青白い顔色をした牛窓の顔がみるみる真っ赤になって怒っている。

いつもは何を考えているのか分からない、これといって特徴のない牛窓の顔、後ろの殺風景な壁に紛れてしまいそうな牛窓の顔が、今はっきりとした意思を持っていることが分かる。


肉のない長身の身体がすくっと立ち上がると、広瀬恵子の方に向けて、これでもかというくらい大きな声で牛窓は怒鳴った。


「なぁ!なに、バカなことをいっているんだ!そんな嘘つくんじゃない。」

牛窓の怒りに広瀬恵子は恐怖で両手を胸の前で固く握り、身体を牛窓のいる方向から反射的に反らしてビクンと縮み上がった。


「だぁ…、だって」

いつも私を庇ってくれたではないか?優しくしてくれたではないか。それに、人の目にもそう見えていたはずだ。

・・というように広瀬恵子の目が泳いで、「牛窓さんは恵子ちゃんのことが好きなのよ」と言った奥の壁際にいる先輩に注がれた。


・・が、恵子の視線を捉えた壁の人は、一瞬にしてサッと目をそらし、顔を伏せ、恵子を見ない。

その先輩の態度に裏切られたと、無言のうちに恵子は悟った。


「其山さん、これは誤解です。僕は、彼女のことなど何とも思ってはいません。」

必死で言い訳する牛窓に怜香は何もこたえない。

「そんなぁー」

弱々しい恵子の声が聞こえる。


「いい加減にしてくれ、君には本当に迷惑しているんだ。何度教えても仕事は覚えない。ちょっと体調が悪いといってはすぐ休む。この前は、家に誰もいないからといって、ペットの犬が可哀想だからと、さも当たり前のように連絡してきて休んだね。呆れたよ。僕にとって君は迷惑なんだよ、君の全てが、本当に!」

牛窓は、だだっ子のように地団駄を踏んで悔しそうに吠えた。


「じゃ私のことは、愛していないんですか!」

恵子は、牛窓の声に負けずに聞き返すというより言い返したというように怒鳴った。


「そんな嘘はつくな!僕が君を愛しているわけ無いだろ!何処をどうすれば、そんな言葉が出てくるんだ。僕は・・、僕が、愛してやまない人は怜香さんだ。其山怜香さんだ。君じゃない!」


真っ赤に怒った牛窓と、自分の期待するこたえとのあまりにもかけ離れていた言葉を聞いた恵子は、驚きすぎてこれ以上は開かないくらいに細い目を見開き、口を開けて牛窓を見ている。

そして、この牛窓のすごい告白に、またその場が凍り付いた。


すると・・。

二、三歩、ツカツカと前にでた怜香が恵子の前に立つ。

「ちょっと、鬼瓦さん。」

「えっ、おっ、鬼瓦って、わたし…」

怜香の乾いたひと言に、恵子の顔色がサッと色を失いワナワナと震えだした。


「ええ、そう、あなた、あなたよ鬼瓦さん。牛窓さんとお話し中に悪いのだけど。あなた、一体、仕事をする気があるの?無いの?無いなら、ここから出て行ってくださるかしら。あなたは邪魔なのよ。」

と優雅に腕を身体の前で組んだ怜香が恵子に冷たく言った。



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…名前の一字目に 『の』 の文字がある人…


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