第一章 其山怜香 (二十)
九月九日、会社創立記念日の朝から牛窓は気ぜわしく動いていた。今日は9階 ホールでちょっとした内輪のパーティーがある。その準備に忙しいのだ。
ホールへの入り口は3カ所。
一番扉の丁度前に壇上と司会者席、2番扉の前は人が立てるように何もない空間になっている。3番扉の前が左右に一楽の板さんたちが立ち、揚げたての天ぷらと寿司を握る屋台があり、その間を長いテーブルが二列、一楽から運ばれた料理を素早く並べられるように置かれていた。
そんな中・・。
「あの牛窓さん、これはぁ~」と恵子がオドオドと牛窓に声をかけた。
「ああ、それはこっちに置いといて」と牛窓がこたえる。
すると今度は「それから、これは・・?」とまたも恵子が聞いてきた。
いい加減にイライラし出した牛窓が「ああ、それはー、僕がもらうよ。」といった。
それでなくても忙しいのに、恵子は自分で考える気がないのか牛窓の後を、「これはー?」「あれはー?」と金魚のフンのように付いて回る。その殆どがどうでもいいことだ。ゴミが出たならまとめて捨てればいい。それをいちいち確かめにくる。
本当は恵子には来て欲しくはなかったが、課長が連れて行くようにと牛窓に言ったのだ。早い話が仕事の出来ない恵子に職場に残ってもらっても、はた迷惑なだけ。それなら何かの役に立つだろうと・・、現場仕事になったが、今度は牛窓の足手まといになっただけだった。
―いい加減に自分で考えろよ、同じ同期でも山本君は一度言ったら自分で考えてしているじゃないか。ー
チラリと沙奈恵を見ると・・。
さっきレンタル会社がホール奥3分の1の広さにセッティングしてくれた、白いテーブルクロスがかかった長い二列のテーブルの上を、沙奈恵は取りやすさを考えながら間隔を置いて取り皿と箸の塊を慎重に並べていた。
他の二人のメンバーも、壇上のマイクの用意や立食パーティー中に休める簡易の椅子を後ろの壁際に並べたりしている。牛窓は嫌な顔をして、壇上下で記念品の入った段ボールをのぞき込む恵子の背中に舌打ちしたくなった。
・・と、その時。
「牛窓さん」
「あっ!其山さん」
騒がしい音と、恵子を苦々しく見ていたのとで迂闊にも牛窓は怜香が入ってきたことに気づかなかった。
怜香は丁度、牛窓がいま立っている場所、壇上と長テーブルの間の位置から見える斜め前、左手の一番扉からこちらに向かって歩いてくる。慌てた牛窓は身をよじるようにして怜香に向き直り返事をした。
「もうすぐ一楽から板さん達二人と、お重と大皿の料理が届きます。」
「あっ、はい、分かりました。」
「あら、あなた、気が利くわね。ありがとう。」
怜香は、沙奈恵が並べた取り皿と箸の位置を見て微笑んだ。
沙奈恵は料理を取りに来た人たちが、どちら側から来ても皿と箸がとれるようにと皿と皿を縦真ん中に置き、その前に箸を縦に取りやすく置いていた。
「ありがとうございます。」
秘書課の怜香嬢に褒められて沙奈恵は嬉しくて小躍りした。
「それから、」と怜香が言いかけたとたんドスンと鈍い音がして、そこにいたみんなが一斉に音のする方に顔を向けた。
「なぁ!なにしているんだ、広瀬さん」
慌てた牛窓が壇上へと駆け寄る。怜香は牛窓の走る背中の先に、一段高くなった壇上で両手を広げて寝そべるようにうつ伏せで倒れている針金みたいな細い足とペッタンコのおしりを見た。
―なに?鶏ガラ?―
怜香は無様にこけている恵子の姿に一瞬そう思ったが、この際そんな子のお尻や足を気にしている暇はない。素早く目線を前に移した。
そしてその先には記念品が入った段ボールが・・、多分、滑って奥に移動したのだろう、箱は壁に角が当たったように斜めになって止まっていた。
そして牛窓がひらりと壇上に飛び上がり、その箱に素早く近づいて片足をおり跪くと真剣な顔で中身を確かめている。
「あぁー、よかった。其山さん、こっちは小雑誌ですから大丈夫です。包装も・・、大丈夫です。どれも汚れたり、傷付いたりはしていません。」
「そう、よかった。」
「ええ」
牛窓が、心底ほっとした顔で怜香に向けて目を細め幸せそうに微笑んだ。
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