第一章 其山怜香 (五)
「あのぉ~、先輩。さっきのぉ~、件ですがぁ・・」
―ほら、きたー
退社5分前。
案の定、牧原直美は首をすぼめて一番末席の出入り口に近い自分の席から、奥のガラス窓を背にして座る課長からみて左手斜めの怜香の席に恐る恐る近づいてきた。
そして、いつもの語尾を伸ばせばなんでも相手が自分の言うことを聞いてくれると思っている。本人にとっては、魔法のしゃべり方をして怜香の斜め前に立った。
―いいでしょう。今日は聞いてあげるわー
「何かしら、牧原さん?」
「あのぉ~、来週の水曜日の会長の会食ですがぁ~、人数とぉ~、時間ぉ~、・・・。それからぁ~、値段はどうしたらいいですかぁーなんてぇ?」
―この女は、この一年近く、私の何を見てきたのかしら?―
そう言ってやりたい怜香の心の声より先に、書類から目をはなした課長の顔が直美を見て眉をよせ、半ば呆れるようにくもった。
昼一番に頼んだ仕事の確認が、退社前・・。
課長が何か言い出そうとしたとき、怜香はそれを阻止するように直美にいった。
「人数は会長を入れてこちらが二人。相手方は三人と聞いていますから合計五人ね。でも、もしかしたら当日、こちらが一人増えないとも限らないから、その旨の連絡もしておいてください。
それから時間は夕方の5時からですが、相手方は直接一楽に行かれると聞いています。約束の時間の前に着く可能性もありますから、部屋は、その前の時間から確実に使用できるように手配してください。
それと、料理は大切な特Aランクにしてください。今回のお客様は我が社にとって重要なお客様ですから、一楽には、旬のもので、その日に入った最高のものでお願いしますと女将に伝えてください。
そうすれば女将が最高のもてなしをしてくださるはずです。ですから請求書は、いつものように秘書課に直接回してくださいと伝えてください。」
「はぁ~い、なぁ~んだ、値段、気にしなくていいんだぁー。心配して損したぁ、会社のお金で、そんな贅沢が出来るなんてぇ~、会長って仕事、ラッキーですねぇ!」
「牧原くん!」
ここで、とうとう怒った顔の課長がメガネに手を添えた。
これは、この仕草は、課長がキレる一歩手前のしるしだ。いつもは物静かで女性には優しい男性だが、流石に今のはひどすぎる。
ひと言、低い声で直美の名字をキツく言い放つ。だが、その続きをいわせる前に怜香がいった。
「それから、くれぐれも、日にちは間違わないようにしてください。」
「はい、来週の水曜日ですねぇ。」
直美は不機嫌そうな課長の顔や声も気にせず、懲りていないのか…、小さく舌の先をペロリと出して、自分の席にちょこまかと小走りに戻り、嬉しそうに座った。
―あなた、それが?可愛らしいと思っているの?それで、全てが許されるとでも?ここは、キャバクラじゃないのよ。会社よ?ー
と、怜香の冷たい目線が、昼間の怜香に対する無礼など、どこかに置いて全部忘れたように妙にうきうきしている直美の顔に冷たく注がれた。
・・が、それでも直美は、まだ電話をかけようとはしなかった。
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