第4話 フードファイター・餓鬼
小石がゴム製のタイヤに食い込みバネ越しにハンドルを揺らす。掌が痺れ始め、眉を越えて目の保護粘液を攻撃してくる汗の存在に僅かな体の疲れを感じた。僕は自転車に乗ったまま馬場猫公園へと入り適当なベンチの横に自転車を止めそこに座り公園に据付られた不格好でひょうきんな時計塔へと目をやる。時刻は午後二時。一番太陽から来る熱を感じる時間であり、あと十二時間で丑三つ時だ。「ジュースでも買うか。」とひとりごちた僕は地に足を押し付け尻を浮かす。すんでのところで大きな振動が起こり僕の目論見も予備動作もふいにされてしまった。
「古書店傾猫堂の店員だな。」
揺れを起こした本人が重そうに口を開く。驚きがあったとはいえ僕が思わず腰をおろすような揺れを起こせたとは思えないほど細身でひょろ長い男性が少し間をあけてベンチに座っていた。尖った鼻に真ん中で分けられた長髪。どこかで見たことのある顔だった。
「餓鬼先輩じゃないですか。」
頭の中ではいまだ誰だか分からないままだったのに口が勝手に動いていた。それほどに印象深い先輩だった。口が動くと同時に先輩のことを頭が思い出し始める。
当時限界八回生だった餓鬼先輩はその年に卒業できないと簡易卒業証書を貰う立場だったのにも関わらず授業は全欠席、なにをしていたかと言えばフードファイトしかしていなかった。彼には口元まで運ばれた料理を口を開く間もなく消す得意技があり、派手で怪奇なメディア好みのこの技は視聴者からの関心も高いらしく先輩のフードファイトは例えメジャーでなくとも全て放映されていた。先輩の餓鬼という渾名もフードファイト後のまん丸い腹に起因していたはずだ。そんな人のことは頭が忘れても脊髄が覚えていたらしい。
「お前、百鬼の元部員か。」
品定めするような視線がこちらに向けられるも先輩は僕を知らないらしく首を傾げる。無理もない。当時の退廃ジャポニズム映画サークル『百鬼夜行』の部員は百とも二百とも言われていたし、部員の具体的な数を調べようとした人は皆あと一歩のところで行方不明になっていた。そんな中で一介の部員である僕を餓鬼先輩が覚えているはずもない。
「そうです、それで古書店員の僕になにか用ですか。」
先輩の問に対する答え二つを混ぜながら言葉を返す。
「いや、偶数番街ということまでわかっているなら大丈夫だ。邪魔をしたな。」
餓鬼先輩がベンチから立ち上がると僕の体が少し跳ねた。ベンチはずっと餓鬼先輩の体重で歪んでいたらしい。それが今、矢を放ったあとの開放された弓の弦のように振動を起こしている。餓鬼先輩はそんなこと気にも留めず、ひょろ長な体にまん丸な腹というまるでこの公園の時計塔の文字盤が塔の真ん中まで下がったような体型で公園を出て行く。つられて僕は時計塔へと目を向けた。三時。先輩は時間すらも食べてしまうらしい。太陽も気づけば僅かな傾きを見せ、知らぬ間に乾いた汗のぱりぱりとした感触が不愉快だった。
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