第15話 エピローグ 僕と、夢と、夢の金貨

 翌日。

 学校からの行き帰り、街を歩くと、何となく昨日までよりも人々の表情が明るくなっているように思えた。

 僕は下校の途中で、街で一番大きな病院の中に入り、受付でお見舞いをしたい人の名前を告げた。

 病院の中はどこもかしこも、シーツも壁も、残らず真っ白だった。まるで、白黒街の空みたいだ。

「あなたが、ジョシュだったんですね。……大丈夫ですか?」

 目の前の人物は、今朝起きた時に全く元気をなくしていて、そのせいで階段から落ちて足を怪我したという。

 半日入院用の病室のベッドで寝そべりながら、彼はぶぜんとして答えた。

「地面に墜落したわけではないから、心も間もなく回復するさ。まさか見舞いに来てくれるとはね。モウアたちは、今日は大人しかったかい」

「ええ。これから少しずつ、良くなって行くんじゃないかと思います。僕がそうであるように」

「よく気づいたじゃないか。私がジョシュだと」

「ジョシュは、教えてもいない僕の名前を知っていました。そして、イーリーというあだ名で呼ばれることを僕が嫌うことも知っていました。よく見てくれていたんですね、僕のことを、学校で」

「君は、イーリーと呼ばれるとわずかに顔がくもるからさ」

「他のみんながいる場所で僕に近づかなかったのは、ジョシュと名乗ったのが僕の前だけだからなんですね。以前からの知り合いのみんなは、あなたの名前を知っていたから、……あなたをその通り、ギャロシーと呼んでしまう。先生も、白黒街ではもともと本名を名乗っていたんですね。でもそうしたら僕に、先生なんだとばれてしまうから」

「私は君に白黒街での過ごし方、とりわけレビヤタンの扱いをしっかり教え込みたかったんだ。でも、私だと知ったらせっかくの夢が窮屈だろう?」

「先生が僕のことを考えてくれていたんだと思ったら、誤解も解けました。あなたは、ただモウアたちと僕を両成敗にしたんじゃない。もし僕を一方的にかばってしまうと、今度は先生たちの目につかないところで、いっそう僕がいじめられてしまうかもしれない。それを防いだんですね」

「他に、もっとうまいやり方があればよかったんだが。すまない」

 窓の外では、木の枝に小さな葉がついていた。春が近いのだ。

「金貨は、あなたがくれたんですか」

「君にあげたのは、私ではない。私は自分の分しか持っていないからね。あの金貨はどこから来てどこへ行くのか、私も知らない。ただ、誰が君に金貨を与えたのかは、分かる」

「昔、勇敢に戦って……心の力を失った人ですか」

「そうだ。それでも大切に持ち続けていた金貨を、同じくらい勇敢な息子に託したのだ」

 ギャロシー先生が、体を起こす。僕はそれに、肩を貸した。

 僕と先生は、並んでベッドに座った。何だか、友達同士みたいだった。

「ひとつだけ、まだ分からないことがあるんです。両親はともかく、先生はなぜそんなに僕に手をかけてくれたんです?」

「私は、君のご両親と一緒に白黒街で飛んでいた。当時の私は決して上手なレビヤタン乗りじゃなかったからね、二人の最後の戦いの時に彼らが助けてくれなかったら、グリムルにつかまって墜落していたよ。その恩返しのつもりもあったのさ。二人がいなくなってから、腕を磨いたかいがあった」

「恩返し、ですか」

「それだけじゃない。何よりも、君という人間のことを信じられたからさ」

「そうですよね。信じてくれたんですね。先生も、両親も、僕のことを。僕が夢の世界に足を踏み入れても、現実を忘れて夢に溺れてしまうようなことはないと」

「そうだ。だから金貨を渡したのだろう。たとえ夢の中でも、何かひとつ信じられるものがあれば、居場所があれば、仲間がいれば――君は悲しみに負けてしまうことなんかない。私もご両親も、そう信じた。ただ、ご両親はすでに心の力を失い、現実の私もある程度以上には君を助けることができなかった。情けないことだ。あの時も言ったが、やはり君の方が、ずっと立派さ」

「でも、僕なんかを、なぜそんなに信じられたんです?」

 すぐ外で、小鳥が鳴いている。あんなに恐ろしかった鳴き声を、今は何とも思わない。

「なぜって? 信じられるに決まっているだろう。どんなに人から傷つけられても、時には立ち向かいながらも、自分からは決して人を傷つけようとしなかった君さ。君のような人がいるから、街はまだ、夢を見ていられるのさ」

 ほっぺたが、かっと熱くなった。ジョシュ――先生といると、よくこうなるので困る。

 病室の外を、患者が歩いている。あの人も、もしかしたら白黒街の空を、僕と一緒に飛んだことがあるのだろうか。

 街を行くあの人も、あの人も、あの人も。

 学校の中のあの人も、あの人も、あの人も。

 現実は大変だ。空も飛べないし、突っ込んでいけばやっつけられる相手ばかりじゃない。

 でも、あんまり、悪くはない。

 辛い時は、ポケットの中に忍ばせた金貨が、誰かがそばにいるように勇気づけてくれる。

 僕は、現実でも強い男になれるだろう。

 そしていつか誰かに、この金貨を贈る時が来るのかもしれない。夢の世界と、そこで出会う仲間の素晴らしさと共に。


 今日は家に帰ったら、まず毛布と壁板をつくろおう。自分のよりも先に、父さんと母さんのを。

 今朝から、何となく少しずつ元気になってきた二人は、もしかしたら喜んで、似合わないダンスのひとつもしてくれるかもしれない。

 僕の部屋の机には、あの日馬車の中で僕にかけてあったグレーのコートが置いてある。父さんに、返しに行こう。

 台所では、真ちゅうの鍋が、今日も薄いスープを炊いている。母さんの、手伝いをしよう。

 そして固いパンをかじりながら、夢の中の話をするのだ。

 二人がどんなふうに空を飛んだのか、白黒街にはまだ僕の知らないどんなことがあるのか、たっぷり、ゆっくり、教えてもらおう。

 そして聞いたことの全てを残らず、夢の世界へためしに行こう。

 なくしたように見えても、心は、消えてしまったりしない。僕らがそう信じれば。

 だから二人とも、昔のような笑顔をきっと取り戻してくれる。


 窓から降りそそぐ日差しが、温かい。

 風が穏やかで、世界が優しく感じられる。

 こんな日は、みんなで空が飛びたくなる。


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レビヤタンと夢の金貨 @ekunari

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