第9話 吐き捨てたくなるような現実


 夢の中ではめきめきとレビヤタンの腕前を上げ、グリムル退治に精を出していた僕だったが、現実での生活はむしろ悪化の方向をたどっていた。

 白黒街が楽しいお陰で、昼間の僕の顔色は随分よくなっていた。そのことが、モウアたちには気に入らなかったようだ。

 彼らからの攻撃は、次第に巧妙になり、威力を増して行った。

 直接的な暴力が、振るわれるようになった。力一杯やってもあとが残らない特別なやり方で腕をつねったり、髪の毛を数本無理矢理引き抜かれたり。

 文房具やハンカチなどの持ち物がなくなるのは日常茶飯事で、数日後にそれらがトイレットの便器の中から見つかったりもした。

 何度も、親や先生といった大人に訴えようとした。しかしモウアたちは、

「大人に言いつけた時が、最後のスウィッチだ。いよいよこっちは、手加減しなくなるぞ。覚悟しろ」

と、繰り返し僕に忠告した。

 いっそ、次に眠ったらそのまま目覚めなければいいのに、とも思った。

 けれど、夢はどんなに楽しくても結局は夢であって、現実は現実で対処しなくてはならないことも分かっていた。

 僕には、モウアたちの人格は変えられない。弱いものを痛めつけることが心底楽しくて仕方ないという性格を、僕の力で変えることなどできるはずがない。そして、大人にも頼れない。八方ふさがりだった。

 そんなことを相談されても困るだろうから、白黒街の人々にも打ち明けられなかった。何より、ジョシュ以外の人に僕がいじめられていることを知られてしまうことに、抵抗があった。

 学校からの帰り道、僕は最初に白黒街に行った時の空地へ寄った。馬車は、相変わらずそこに置いてあった。

 ジョシュによれば、何が自分のレビヤタンになるかというのは、特別にルールがあるわけではないらしい。ただ、初めて白黒街に行った時に一番そばにあったものがそうなる可能性が高いだけで。

 一度レビヤタンになってしまえば現実の馬車が壊れても問題ないということなので、もうこの空地へ来る必要はなかった。ただ僕の中に、ここへ来ればまた何かいいことがないだろうかという期待が少し――少しよりも、ちょっと多めに――あったのかもしれない。

 馬車の中へ乗り込んでみる。いよいよ寒さが厳しくなって来て、ものの数分とじっとしてはいられなさそうだった。

 割れた壁の隙間から外を見ていたら、街道に、仕事帰りらしい父さんの姿があった。時々、こんな風に早く仕事が終わることがある。

 僕は馬車の中から大声を出して、父さんを呼んだ。

「……おお」

 父さんは僕の方を向いて、ゆるゆると手を振る。僕は空き地から出て、父さんの横についた。

 父さんの手は、昔よりもずっと細くなった。幼い頃、よく肩車されていた時は、もっとゴツゴツして頼りがいがあったと思う。

 もっともそれは、この街全体に言えることでもあった。僕がまだ学校に通う前の頃は、街全体に湧き上がるような活気を感じた。ただ、その更に一昔前は今のように暗く沈んだ雰囲気だったとも聞いている。そんなことの繰り返しで、歴史というのは続いて行くのかもしれない。

「父さん、馬車の屋根に乗ったことがある? けっこう高く感じるんだよ」

 父さんの元気のないしかめっ面を見ているのが辛くって、そんな話をした。

 すると、思いがけない返事が返って来た。

「夢の中じゃあるまいし、危ないから、現実の馬車の上になんか乗るんじゃないぞ」

「えっ! 今、何と言ったの」

 父さんは、しまったという風に口を手で覆った。

「どうして、父さん、そんなことを知っているの」

「知らん、わしはそんなことは言っていない」

 父さんは早歩きになって、僕を置いて行った。

 ひどい不信感が、僕の中で渦を巻いた。父さんはレビヤタンのことを知っているということだろうか。もしかして、白黒街のどこかから、こっそり僕をのぞいているんじゃないのか。僕には一言の断りもなく。そんなのは、だまし討ちと同じだ。

 ジョシュの時とは、大違いだった。あの颯爽としていて思いやりにあふれた少年が秘密にしていることは、無理に聞かなくてもいいやと思えた。けれど自分の失言をごまかそうとしているだけの父さんには、そんな風には思えなかった。

 同じ秘密でも、人が違えばずいぶん違うものだ。

 元々、ジョシュと父さんでは似ても似つかないけれど。

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