第5話 現実世界と、味のないスープ

 頭上を見ると、もうグリムルはすっかりいなくなっていた。

 青白い少年が他の人たちに合図をすると、解散になったようでみんな散って行った。

 僕は彼のところまで上昇して、声をかけた。

「みんなとは知り合いなの? さっき、君は顔を隠していたようだったけど」

「まあ、さっきはそんな気分だったのさ。私は白黒街のほとんどみんなと仲がいいよ。それより、無茶をするものだね」

「つい、だよ。無茶が好きなんじゃない」

「ああ。君って、勇敢なのさ」

 正面からそう言われ、僕は何と言っていいのか分からなくなった。勇敢! 僕が?

「そ、それより、トッパーはどうなったの? あのグリムルというのは何なの?」

「トッパーは夢の力を奪われて、この世界から追い出されてしまった。もしかしたらもう二度と来られないかもしれない。グリムルは夢の世界に入り込んで来る、人々の心の闇さ。はるか昔から、ずっと現れ続けている」

「よく現れるの?」

「数日おきに、延々とね。だからああやって退治しなくてはならない。放っておいたら、夢の中がやつらの闇で覆われてしまう。グリムルを倒せば、心の闇が晴れて、人々は少しずつ元気を取り戻して行くのさ。今の暗い世の中では、なかなかおっつかないけども」

「ここは、夢の中?」

 少年は、やつれた顔で微笑んだ。

「そう。だから、もう起きたまえ。風邪を引くよ」


 目を開けると、日が暮れかけて気温も下がった空き地で、僕は壊れた馬車に乗っていた。

 寒気で、ぶるりと体が震える。

 夢を見ていたのか。帰りたい家ではないけれど、早く帰らなくては。

 ふと、右手に違和感を覚えた。手の中に、何かがある。

 それは、夢の中で見たのと同じ金貨だった。

 驚いてのけぞると、僕の体から何かがバサリと落ちた。分厚いグレーのコートだった。古いもののようで、あちこちひどく傷んでいる。

 馬車の外の、地面を見下ろす。霜の降りた雑草に、人の足跡がついており、空き地の外まで続いていた。

 誰かがここにいた。あの少年だろうか。

 そういえば、名前を聞き忘れた。

 また、夢の中で会えるだろうか。

 僕は馬車から飛び降りると、家路を急いだ。


 家に着くと、両親がまた、ほとんどお湯のスープを会話もなくすすっていた。

 遅くなった言い訳をする必要はなかった。二人とも、僕が冬の夕暮れまでどこで何をしていたかなんて、気にもしていなかったようだからだ。

 僕も自分の器にスープをよそい、テーブルに置いてあるカチカチになった丸パンをかじった。あごばかり疲れて、味はしない。

 スープの塩味は、朝よりも薄くなっていた。恐らく、残り物にお湯を足しただけなのだろう。

 両親は、そうした食事を、何とも思わないようだった。

 僕は食事を終えると、自分の部屋に逃げ込んだ。

 夢の中は、楽しかった。ワクワクした。けれど夢の中の方が生き生きと生きられるなんてことは、恐ろしく情けないことのように思えて、僕は穴だらけの毛布にくるまって悲しくなった。

 その夜は、夢を見なかった。

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