第4話 グリムルと、奪われる夢

 空には、風は吹いていなかった。

 そこら辺を行き交う人々が、僕らに手を振って来る。僕も手を振り返す。

 今までに到達したことのない高み。数十メートル離れたところに、この街で一番高い尖塔の細いてっぺんが、僕と同じ高さでそびえている。

 胸がどきどきした。僕は、空を飛んでいる。味わったことのない興奮が体の中で膨らみ、ほほが紅潮するのが分かった。

 ふと見ると、例の少年は僕より少し低い位置に浮かびながら、手のひらで顔を隠していた。僕に挨拶する人たちに、顔を見せないようにしている。

「どうしたの?」

「何でもない。それより、気をつけろ」

 少年が、空の一方を指差した。目を凝らすと、白い空のはるか奥の方に、黒い染みのようなものが見える。

「何、あれ」

「グリムルだ」

 黒い染みは、どんどんこちらに近づいて来た。一つの大きな塊ではなく、十数個の黒いもやのまとまりのようなものが群れを成しているのだということが、僕の目にもはっきり分かるくらい寄って来ている。

「あれって、悪いものなの?」

「レビヤタンを奴らに触れさせないことだ。君はここにいろ。私がやっつけて来る」

 言うが早いか、少年はクジャクの羽根の上で体を前に傾かせ、真一文字に黒いもや――グリムル?――に向かって飛んで行った。

 それに続いて、他の人たちも何人かがグリムルに向かう。

 彼らがグリムルのもとにたどり着くと、戦いが始まった。黒いもやは伸び縮みして、人々をとらえようとしているようだった。

 少年をはじめとする空飛ぶ人たちは、

「えい!」

「おお!」

と気合の声を発しながら、つかまらないように飛び回りつつ、隙をついてもやに体当たりをする。

 充分にスピードの乗ったレビヤタンをぶつけると、もやは砕けて散り、白い空に消えた。

 中でも、あの青白い少年の活躍がすさまじい。飛び抜けてスピードが速く、旋回は鮮やかで、宙返りすると彼に追いすがれるものはいなかった。他の人たちが一体のグリムルを倒す間に、彼は三体も消し去ってしまう。

 しかし、ホウキに乗っていた青年が一人、少しスピードが落ちた隙にグリムルにつかまってしまった。黒いもやがホウキに絡まり、すっかり包み込んでしまうと、ホウキはみるみるうちに真っ黒に染まり、その動きを止めた。

 あんな風になってしまうのか。これでは、体当たりによるやっつけ方は、恐ろしく危険だ。しかし後から聞いたのだが、グリムルを倒すには、夢の力の結晶であるレビヤタンをぶつけるしかないらしい。

「トッパー!」

 周囲の人たちが、つかまった青年の名前らしきものを叫ぶ。トッパーは悲鳴を上げながら、ホウキとともに落下し始めた。

 僕は、思い切り体を前に倒して、心の中で叫んだ。

(飛べ! 進め!)

 馬車は、弾かれたように飛び出した。

 まず、黒いホウキに馬車で体当たりする。まとわりついていたグリムルごとホウキは砕け散り、地面に落ちて行く。

 そして、僕はトッパーを空中でつかまえようと手を伸ばした。

 頭上であのやせた少年が、

「イエルバレット、トッパーを地面に落とすな!」

と叫ぶ。言われるまでもなく、僕はトッパーを馬車の屋根で受け止めた。

「ありがとう、君……イエルバレット、だね。俺はもうここには来られないけど、心から感謝して、君の幸福を祈るよ」

 そう言い残して、トッパーはみるみるうちに体が透明になり、馬車の上から消えてしまった。

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