第5話 ニートはやっぱりニート

「お兄ちゃん朝だよ」

 少女は木製のドアをちょっとだけ開いて、本が乱雑に散らかった部屋に向かって呼びかけた。

 ベッドで布団にくるまっている物体は少女の呼びかけに対して何の反応も示さない。

 少女は小さくため息をつくと、部屋の奥にある窓のカーテンを一気に開けた。

 朝の清々しい光がベッドの物体に降り注ぐ。

 だが、これにもこれといって反応を示さない。

「もぅ」

 少女はほっぺを膨らませながらベッドに近づいて、物体を激しく揺すった。

「お兄ちゃん起きてよぅ、お兄ちゃんっ」

「ん~...」

 ここにきてようやく物体がもぞもぞと動き始め、布団から顔を出した。

 すると、物体は素早く手を伸ばし、少女の胸に触れた。

「おっぱい触らせてくれたら起きる」

「もうっ、お兄ちゃんの変態!」

 そう言いながらも、少女は抵抗せず、なすがままにされている。

「今日は早く行かなきゃだよ」

「分かってるよ」

 妹の胸を揉み満足したのか、よっ、と体を起こすと「今日の朝飯はなんだー?」と部屋を出ていく。

「今日はビーフシチュー作ってみたよ!パン付けて食べてもいいと思うよ」

 ハクェイトは言われるがまま、添えられたパンを器のビーフシチューに付けて口に入れる。

「うん、うまい」

「良かった」

 リーナは毎日のことながら、料理をほめられるとにっこりと笑う。

 ハクェイトはこの笑顔が好きだ。

「あ、でもまた幼虫とか入ってるんじゃ...」

 そう思うと美味しそうだったビーフシチューも緑色に見えてくる。

「大丈夫。今日はただのビーフシチューだよ」

「それは助かった」

 ハクェイトは再びがつがつと食べ始め、ものの三分でたいらげてしまった。

「ごちそーさま」

「お粗末様でした」

 リーナがお皿を下げ、洗い出した所で、誰かが玄関を叩いた。

 リーナがドアを開けると、すっかり鎧に身を包んだアイネスが立っていた。

「そろそろ行くから、準備しなさいよ」

「わーってるって」

 ハクェイトは壁に立てかけてあった例の剣を片手に外へ出た。

 花火に飾りに陽気な音楽、すっかり街はお祝いムードだ。

 リーナも小物を入れたポシェットを片手に外へ出てきた。

「それじゃあ行きますか」

 城へ伸びる道も、踊ったり歌ったりする人でごった返していた。

 そこをハクェイトたちが通ろうとすると、その誰もが手を振った。

「すっかり有名人だな、俺ら」

 ちやほやされるのも悪い気はしない。

 ハクェイトは手を振ってくれた人一人一人にきちんと振り返しつつ、坂の上の城を目指して歩を進めた。

 あの城の下にはトゥエルヒが魔法をかけられた檻に入れられている。

 トゥエルヒがいなくなったあと、隣国の王は権力を取り戻したらしく、既にハンデルベンと貿易を再開している。

 いつもは人を拒むように閉じているどでかい城門だが、今日は開け放たれ、城の中も人で溢れかえっている。

 ハクェイトたちに気付くと、民衆は道を開け、盛大な拍手で迎えた。

 ハクェイトはあまりに大層な出迎えに苦笑しながらも、城の中に足を踏み入れた。

 民衆によって作られた通路は、ハクェイトが軍隊に入隊したときに入った広間に続いていた。

 その時と同じく、陛下は階段の間に立っていた。

「よく来た、ハクェイト=ベルシュタイン」

 三人はひざまずいてかしこまる。

「この度の活躍、見事であった」

「もったいなきお言葉」

 ハクェイトも数回の城通いで、陛下への対応に慣れつつあった。

「これからも兵士としてこの城を...」

「そのことなんですが陛下」

 陛下の言葉を遮ってハクェイトが立ち上がる。

「私は軍隊を脱退したいと思います」

 周りを取り囲んでいた民衆が驚きの声を上げる。

「私には、軍隊なんてものは似合いません。それより、家でごろごろしてたいです」

 ハクェイトが続けると、陛下は「ふぉっふぉ」と笑った。

「お主らしいの。脱退は認めよう。引きずり込んだのはわしじゃからの」

 陛下が言うと、よく分からないが周りから拍手が起こった。

「お主には相応の褒美を与えようと思うのじゃが」

「褒美...ですか」

 再びかしこまったハクェイトは尋ね返す。

「まずは報酬金として、いくらかの金をやろう」

「あっ、ありがたき幸せ」

 貧困で苦しむベルシュタイン兄妹には嬉しいことだ。

「それともう一つ...」

 陛下は照れたように鼻を掻く。

「お主をアンの婿にしたいのだ」

 民衆は沈黙した。

 お付きの兵士も沈黙した。

 ハクェイトたちも沈黙した。

「...は?」

 やっと口から出た言葉がそれだった。

「お主の功績は大きすぎて金だけでは解決できぬと思うてな。それにアンもお主を大層気に入ったようじゃし」

 すると、いつの間にいたのか ドレスを着たアンが階段を優雅に降りてきた。

 戦場にいるときとは打って変わって、年下にも関わらず、大人な雰囲気を醸し出している。

「ちょ、ちょ、ちょっと待って下さい?それって僕が王様になることになっちゃいません!?」

 動転のあまり、ハクェイトの口調が乱れる。

「そうじゃが?」

「そんなことになったらこの国滅びますよ絶対!!」

 ハクェイトの猛烈拒絶も陛下には届かない。

 ハクェイトが困っていると、アンが滑るようにハクェイトの横に来て腕を組む。

「お兄様...いえ、ハクェイト様。これからよろしくお願いいたします」

 アンが赤い顔を近付けて言うと、ハクェイトの顔は真っ赤になり、ショートして煙を上げ始めた。

 それを慌ててリーナとアイネスが引きはがそうとする。

「ちょっと、お兄ちゃんは私と一生一緒に暮らすんだからあ!」

「ハクと一番付き合い長いのは私なのよ!」

 ハクェイトは三人に挟まれてもみくちゃにされている。

「俺はやっぱり非リアでいいっっっ!!」

 ハクェイトは悲痛な叫び声は民衆の笑い声にかき消された。


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恋愛魔法 前花しずく @shizuku_maehana

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