第9章 時の神 ハル・ノルティクライユ

気が付いた時には、私は琥珀色の光の中に浮いていた。

「セカイ?」

呼んでも当然返事はない。しかし、その光はとても穏やかだった。まるで、セカイがずっと身の内に秘めていた想いが溢れ出したみたいだなと思った。


セカイの中には、私の力が詰まっていた。だからきっと、セカイは私の全てを理解していたのだろうと思った。セカイは私だったのだ。


そして、ふっと考えた。セリテイルに、春は来たのだろうか・・・?と。私は無事に春を運ぶ者(シャロン・レイト)としての役割を果たして、セリテイルに春を運べたのだろうか?大時計は再び時を刻み始め、止まっていた時間は、その流れを取り戻せたのだろうか?


その空間には、温かな光しかなかった。あぁ、終わったんだなぁと思った。だけど私は泣かない。そこに孤独はないのだから。

ただ、自分がしたことの結果を知りたいという、ささやかな願いはあった。

「知りたい?」

もう聞き慣れた魔女の声だった。

「できるのなら。でもそれは、きっと願うべきではないことですよね?私は時の神で、もう二度とセリテイルには戻れない。そういう約束だったハズですから。」

私は答えた。それが運命だというのなら、しょうがないことだと割りきって受け止めるつもりだった。

しかし、

「シャロンは本当にそぉ思ってるのかなぁ?」

魔女は楽しそうにそう言うと、私にとことこと近付いてきて、私の顔を覗きこんだ。魔女の青い瞳が心から楽しそうに笑っている。

「氷の魔女が、可愛いシャロンの本当の望み、叶えてあげよぉかなぁ?」

「本当ですか?また会えるなら、本当に会えるなら、一目でもいい。みんなに会いたいです。」

私の胸は感動で高鳴り始めた。

「でもねぇ、シャロンの姿は、みんなには見えないし、声もみんなには聞こえない。見に行くだけだよぉ?」

それでもいい?と魔女は聞いた。

「構わないです。」

私は答えた。

「私は、見ない方がきっと幸せだと思うけどなぁ。一度我慢の糸がほどけたら、人間は欲が出てくるモノだからねぇ。それは、神でも同じだよぉ。」

魔女は、意地悪を言うように言った。顔も声も笑ったままだったのだけれど。


私の中に、一瞬迷いが生まれた。その時、

―セリテイルは春だよ。ハル、見ておいでよ。―

声が聞こえた。それは、聞こえるハズのないセカイの声。

「セカイっ!!」

一番聞きたかった声。ずっと私に語りかけてくれた声。

「ふぅん。体はなくなっちゃったけど、意識の残滓は、残ってるんだぁ。面白いねぇ。シャロンは、いい友達を持ったねぇ。」

魔女はそう言うと、ぽんと私の背中を叩いた。突然のことでびっくりして、思わず目をつむる。


―破壊は再生へ。再生は破壊へ。世界はその間の夢の中にありや。―


魔女の詩が聞こえたような気がした。


おそるおそる目を開けると、そこにはカラフルに色付いた世界があった。そこは、めしべの宮の中であるようだった。がらすがいる。窓から一面に広がる華たちを見ていた。がらすの視線につられて、私も窓の外へと目を向ける。

「うわぁぁぁあっ!」

あまりの美しさに、歓声を上げてしまった。けっこう大きな声だったと思う。しかし、がらすが私に気付いた気配さえない。

「当たり前・・・か。」

淋しくなって、独り言を呟いてしまう。

「がらす様、ハルだよ。役割を果たして帰って来たよ。」

聞こえないのだとわかっていた。わかっていても、声をかけずにはいられなかった。魔女に会いに行く前に、つららと、がらすと、ここで話した時のことを思い出した。がらすは、ここから雪に埋まったセリテイルを見下ろして言ったのだ。

『もうすぐここから、一面の花畑が見えるぞ。ハル・・・、戻って来たら見においで。』

と。

「がらす様、本当に素敵だねぇ。私、この景色を見れて、幸せだなぁ。」

その時、私以外の声が、静かな部屋の中に響いた。

「ハル、本当にありがとう。お前のおかげでセリテイルに春が戻ったよ。ご覧。美しい都だろう?」

「がらす様っ!?」

がらすに、私の声が聞こえたのだと思った。しかし、がらすは隣りに立つ私には目もくれずに続ける。

「私の宝物だ。お前も、この都も、都の民も。みんな。」

がらすのほほに透明な滴がつぅ・・・と伝うのが見えた。きっとこれは、がらすの独り言なんだ。私が見えるわけぢゃない。私はそう気付いた。しかし、私に向けられたそのあたたかい言葉に、胸の中がほっこりとあたたかくなったような気がした。

「がらす様、私、もう行くね。」

聞こえないとわかっていたけれど、何も言わないで部屋を出て行くことはなんとなく気が引けたので、一応声はかけてみた。突然だけど、がらすからの返事はない。

私はがらすの後ろ姿をしばらくじっと見つめると、踵を返して階段を降りた。一度も振り返らなかった。


外に出ると、目の前には、色とりどりの華たちがあった。やわらかな風にそよぐ姿は、まさに、華たちが歌ったり、踊ったりしているようだ。都中に蜜の甘い香りが満ち溢れ、都の人々も見覚えのない、華やかな服を身に纏っていた。


私は、都で暮らした頃、よく歩いた、都の道を一人でたどった。

私に、お菓子をたくさんくれた人、少しのことでも、何度も何度も私をほめてくれた人、知っている人たちがたくさんいる。華やかな街並みは、雪に覆われ、ひっそりと静まりかえっていたあの頃とは、まったく違っていた。

「うわぁ。」

いちいち一人で歓声を上げ、目を輝かせる私に反応する人は一人もいない。あんなにみんな、私を可愛がってくれたのに・・・。私の姿は見えない。声も聞こえない。わかってはいた。でも、実際に経験すると辛かった。みんなに私は認識され得ないけれど、私には見えているのだから、自分が無視されているような気分になる。少し淋しくなった。


ぼんやりしていると、見覚えのあるおばさんとぶつかりそうになった。

「あっ、」

危ない!と叫ぼうとした。けれどおばさんに私の姿は見えない。おばさんは私を通り抜けるように通りを走って行った。私はもっと哀しくなった。今の自分はまるで幽霊のようだ。幽霊は成仏するべきなのかな・・・?

つららに会いたくなった。つららにも私は見えないし、声も聞こえないけれど・・・でも・・・、心のどこかで信じていた。つららなら私に気付いてくれるのではないかと。信じたかった。都のはずれにある、つららの家へと走った。いつも以上にすごく遠く感じられた。


走っているうちに、視界がだんだんとぼやけてきた。自分が泣いているのだと気付いたのは、それから少したってからだった。とにかく不安でいっぱいだったけれど、自分がまた“孤独”で泣いているのだと気付いてからは、結局泣き虫のまま、変われなかった自分が少し嫌になった。何度も通ったハズなのに、華でいっぱいの街並みは違う街並みに感じられる。見覚えのない景色。色付いた都は、もはや私が知っている都ではない。そして、今の私も。時の神となった私は、きっともう、みんなが知る、ハルとは違うのだ。


くねくねした道を走り、曲がり角を何度も曲がるうちに、自分がどこにいるのか分からなくなった。同心円状に広がる家や店は、どこも同じに見えるし、まるで迷路のようにくねくねと入りくんでいる。

誰にも見付けてもらえない私は、迷子になっても、ここから抜け出す術を持っていない。どうしよう・・・。セカイ・・・、やっぱり私は一人ぼっちなのかもしれないよ・・・。思わず道の脇に座りこんだ時、不意に手首を掴まれた。

「えっ?」

誰も私を感知できないハズの世界で、誰が私を見つけられ、誰が私に触れられるというのだろうか・・・?見上げるとそれは、知らない男の子だった。私と同じくらいか、少し年上くらいだろうか。肌は日に焼け、瞳は透き通るような漆黒だった。

「・・・・・・誰・・・?」

私の問いには答えず、男の子は言った。

「こっちだよ。」

そして、座りこんでいた私を立たせると、そのまま私の手を引いて歩き出した。私は、何も言えずに、男の子にしたがって歩いた。すると、あっという間にごちゃごちゃと入りくんだ家々の外に出た。そこは確かに、歩き慣れたつららの家へと続く小道だった。

「ありがとう・・・・・・。」

私は、どこに行きたいかなんて一言も言っていない。

「行きなよ。早く。」

男の子はそう言って、私の手を離した。

「うん。」

その時男の子の姿が私のよく知る友達と重なった。

「セカイ、ありがとう。」

私がそう言ってにこっと笑うと、男の子は下を向いて言った。

「やっぱり、ハルには分かっちゃうんだね。早く行きなよ。ハルに気付いてくれる人はいる。きっとわかってくれるから。信じて。ハル。ボクはいつでもハルの味方だよ。」

「うん・・・なんか、いつも助けられてばっかりだね。私。」

私も下を向いて言う。

「そんなことないっ!・・・・・・・ボクだって・・・。ハルに出会えてよかった。」

男の子は小さな声でそう呟くと、

「早く行きなっ!」

と、私を急かした。

「うんっ。」

私はそう言うと、歩き慣れた道を歩いた。胸がドキドキしているのが分かる。家に近付くにつれて、つららの家の周りに人がいっぱいいて、いつになく賑わっているのが分かった。

「どうしたんだろう・・・?」

思わず独り言を呟く。もう少し近付くと、純白のドレスを身に纏った天使のような人がいた。その隣に、同じく白いスーツを身に纏い、幸せそうに微笑む姿。二人とも、私がよく知る人だった。

「つらら、さくら。」

都の人々がみんなでお祝いしている。どうやら今日は、つららとさくらの結婚式のようだった。二人の近くに寄って、よくよく眺めてみた。

「つらら、ハルだよぉ。戻って来たよ。」

つららに声をかけてみる。つららは気付かない。

「さくら、結婚、おめでとう。ハルだよ。」

さくらのドレスを引っ張ってみるが、さくらも気付かない。今日何度目になるかわからない、涙が出てきた。本当にみんな気付いてくれないんだ・・・。私はここにいるのに・・・。時の神になったって、ハルはハルのままなのに。


その時、さくらが言った。

「結婚式、ハルちゃんにも見せたかったね。」

はっとした。

「ハルは、きっとどっかで見ててくれてるよ。だから、ハルの分まで幸せになろう?」

つららが優しい声で返す。きっと私は、みんなの中では、死んだことになっているのだと思った。

「そうだね。ハルちゃん、春をありがとう。」

さくらには、私が見えているハズはないのに、何もない空間に向かって、さくらはそう言って微笑んだ。魔女とは違う、優しい笑みだった。

「ありがとう。俺、お前に会えてよかったよ。予言を受けて、よかった。」

つららも、さくらの真似をして、私への言葉を言う。私がここで聞いているとは知らずに。


もういいや。と思った。私を想ってくれている人が、こんなにいるんだ。私に感謝してくれている人も、こんなにいる。私を覚えていてくれれば、それだけで十分幸せだ。と感じた。


私は時の神で、みんなはセリテイルという都の人間で、そこには見えない壁がある。その壁を越えて、私がみんなに出会えたことがきっと奇跡だったのだ。


帰ろう。みんなの、この笑顔を守るために帰ろう。


私はそう決めた。もう、迷いはなかった。


その時、ぽつり・・・雨粒が当たった。結婚式の参加者たちは、慌てて屋根のある所を探す。私は、そこに立ったまま、つららとさくらがよりそって家の前の屋根の下へ入るのを見ていた。心の中は、もう、満足でいっぱいだった。


ふっと、つららの視線が私を見た気がした。きっと気のせいだろうと思った。

「・・・ハル?」

私の名前を呼ぶ、懐かしい声。私はにこっと笑った。そして小さな声で囁いた。

「おめでとう。」

つららの顔も、私に微笑んでくれた気がした。


私はそのまま、空気に溶けるように消えた。


私は、きっと誰よりも幸せな神だと思った。人を愛し、世界を愛して、時を守っていける。私にしかできないやり方で、愛するセリテイルにありがとうを伝えようと思った。


世界は何度も壊されて、何度も再生されて、今までも、これからも、回り続ける。私は、それを、ずっと見ていよう。


「セカイ。」

―にゃあ。―

私の心の声に、返事が返されたような気がした。


私は目を閉じ、深い眠りにつく。明日の世界を、夢見るために―。


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時の神と氷の魔女 @Haruka_Himemiya

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