第7章 古(いにしえ)の司が語りし詩(うた)

私はその足でめしべの宮へと向かった。つららはきっと、私がもう一度東の山脈へ行ったと知ったら、また哀しい顔をするだろう。最初に行った時だって、つららが私を心配している様子を見ていたら、結局、魔女に会ったことを言い出せなかったのだ。つららは、私をすごく大事にしてくれる。本当の妹みたいに。それに、私が見てしまったことも、知ってしまったことも、全部華の司であるがらすに知ってもらう必要があると思った。春を運ぶ者(シャロン・レイト)のことも、氷の魔女のことも、がらすなら、何か知っている気がした。つららが、がらすが、都の人々が私に隠していることを今こそ、知るべき時なのだという、妙な確信があった。


時が止まった都では、正確な時間などよく分からなかったが、私が家を出てからだいぶ時間がたったように思った。


東の山脈からめしべの宮へは、とても遠く感じた。足はもう疲れ果ててガクガクで、一歩進むのもやっとだった。前よりも深く積もった雪が余計に私の行く手を阻んだ。大時計までやって来ると大きなガラス貼りの部屋に灯りがついているのが見えた。もう少し、もう少しとやっとのことでめしべの宮に辿り着くと、宮の入り口には、誰か知らない人が立っていた。

「何者だ!ここは緊急時以外立ち入り禁止なのだぞ!」

もうふらふらなのに止められた。

「今、が・・・、緊急の時・・・なの・・・。」

私の息は切れ切れだった。

「にゃあっ!にゃあっ!!」

セカイがわめくように鳴いた。その人を威嚇するように唸り声を上げる。

「ダメだ、ダメだ!さっさと帰れ!!」

その時、扉が開いた。

「よい。入りなさい。」

がらすだった。

「がらす様っ!?」

その人は驚きの声を上げる。

「よいのだ。」

がらすがもう一度言った。

「うん。」

返事をして、立ち上がると、がらすの後について、長い長い階段を登った。どうしてがらすが中に入れてくれたのかは不思議だったが、暖かい部屋の中に入れるのはとてもありがたかった。

「がらす様、どうして私を・・・?」

中へ入れてくれたのかと聞こうとした。しかしがらすは、私の疑問を読んだかのように、私の問いを途中で遮ると、言った。

「不思議だろう。ハルが来ることは、ずっと前からわかっていたんだよ。」

がらすの前でも私は自然に話すことが出来た。がらすも、優しいおじいちゃんのような口調だった。

「前に会った時は、みんながいたからな。」

がらすは、私の心を読んでいるように答える。

「もうすぐ、予言を受けし者(アルテシア)が、ここへ来るだろう。」

「あの・・・アルテシアって?」

それがつららのことだということは、すぐに分かった。しかし、それは私がずっと気になっていた呼び名だった。

「つららが来たら、全ては自ずと明らかになるだろうよ。その前に、ハル、お前の話を聞かせておくれ。」

「うん。」

私は、見たことを全て話した。氷の魔女のこと、その歌のこと、あやめのこと、そして、小さな花畑のこと。嘘をついているのではないかと疑われたらどうしようと不安だったが、がらすは少しも疑わず、私の話を全て信じてくれた。

「やはり・・・。そうだったか・・・。」

私が全てを話し終わって、がらすが深い溜め息をついた時、

「失礼します。」

聞き慣れたつららの声が聞こえた。

「つらら。」

私は、顔を上げてつららを見る。

「ハルが、ここへ来たって聞いて。めしべの宮は、がらす様以外立ち入り禁止だ。帰るぞ。」

つららの声は、少し怒っているように聞こえた。

「ごめんなさい。でもっ・・・話さなければならないことがあったの。」

「よいのだよ。つらら。話す時がきたようだ。」

「がらす様、しかし、ハルはまだっ・・・・・・。」

つららが焦ったような声で叫んだ。

「妹さんのように、ハルを失いたくないという、お前の気持ちもよく分かる。しかし、時は、満ちたのだよ。役割を果たす時だ。」

がらすはつららを諭すように言った。

「嫌です。」

しかし、つららの声はゆるがなかった。

「お前が話さなければならないのだよ。」

がらすも引かない。

「・・・嫌です。」

つららがまた、“拒否”の意思を示す。

「さっさと覚悟を決めぬか!!忘れたか?ただの狩人でしかないお前が、なぜここへ入って、私に会うことができるのかを。ハルは、お前の妹ではないぞ。自分の役割を取り違えるな!!」

見た目からは想像もつかないような大声だった。つららは、その迫力に押されて、とうとう決意したようだった。

「・・・・・・分かりました。」

「お前はあくまでも“予言を受けし者(アルテシア)”だ。予言は必然なのだよ。」

がらすはそう言って目を細めた。

「その子以外は誰も、例えそれが、どんなに大きくて強そうな人であっても、世界を救うことはできないのだ。」

がらすの暖かい手が、私の右手を両手で包んだ。

「こんな役割を与えてしまって申し訳ない。」

がらすのほほには、きらりと光る涙があった。

「教えてつらら。私は全てを知りたいの。」

私の目にはきっと今、強い、決意の光が宿っているだろうと思った。私が春を運べるなら、このセリテイルの地の雪が溶け、華が咲く。そうしたらきっと暖かさが溢れた、笑顔いっぱいの世界になるハズだ。私は、いつかつららや、さくらが話してくれた、年中華が咲き続ける都を思い出した。


―『表通りのカフェの蜜ジェラートがすごくおいしいのよ。』

『あのお店は、さくらのお気に入りだったな。デートの待ち合わせは、いっつもあの店で。』

『そうそう。つららは、桜色のケーキが好きだったね。』

『淡い桃色の花びらで飾られていてさ、飾りつけもよかったよな。』

『ハルちゃんにも、食べさせてあげたいなぁ。』

二人はそう言って、懐かしそうに笑った。―


さくらの優しくて、穏やかな声。私が取り戻せるなら、そのために何でも出来そうな気がした。たとえ、あの無邪気な魔女の前でさえも。


「ずっとずっと昔、突然大時計が止まった。」

つららが静かに語り出した。

「その時の華の司様は、時空の歪みを感じて、そこから響いてくる泣き声と、それをあやすような歌声を聞いたのだそうだ。しかし、司様はその日から高熱を出して、寝込んでしまわれた。この司様は、歴代の華の司の役割を負った人の中でも、特に強い力を持ったお方だったんだが・・・。」

「力・・・?」

私が聞き返すと、

「大時計が一秒もくるわず、正確に時を刻めるのは、時計が時を造り出すためのエネルギーを、司様が送っているからなんだよ。」

と、つららが説明してくれた。

「強い力を持った司様でも、時空の歪みを正して、時を刻み続けることは、難しかったらしい。しかし、司様は最期の力を使って、都をなんとか守ろうとしたのだろう。突然目を覚まして、予言の言葉を残されたんだ。」

つららは、そこで一旦、言葉を切った。そして私と目を合わせる。つららの目が、続きを聞きたいか?と聞いていた。

「予言?」

私はその問いにYesの返事を返した。つららの黒い瞳の中には、じっと私を見つめ返す私がいた。

「セリテイルの“時”はこのまま止まり、長い長い冬が訪れるだろう。都は深い眠りにつく。それを起こすことができるのは、たった一人だけ。都を揺らす、春風の姫。」

つららは、おそらく、当時の華の司が詠ったのであろう予言の詩を詠った。次につららが言うであろう言葉は、私にも分かった。


「それがハル。お前だよ。」


分かってはいたけれど、実際に言葉として口に出されると、それは思っていたより大きく、私にのしかかってきた。私の中で何かが弾けた気がした。


人に必要とされる重みは、私の中の孤独をゆっくりと溶かしていった。

「司様はお前を春を運ぶ者(シャロン・レイト)と呼んでいたよ。」

つららの言葉に、はっとした。最初に会った時の魔女の言葉がよみがえる。


―『あなた、春を運ぶ者(シャロン・レイト)ね。』―


「東の山脈に住む氷の魔女を殺し、セリテイルを再び華の都にすること。それが、お前の役割だよ。ハル・・・、ごめんな。」

つららは、目を伏せて言った。本当に申し訳なさそうだった。

「つららも、がらす様も、どうして私に謝るの?」

私は不思議だった。私にいろんな話をしてくれた、お菓子をいっぱいくれた都のみんなが、私は大好きで、その人たちに必要とされることは私にとって幸せなことだったから。そんな役割を果たせる自分が、誇らしかったから。

「俺は、お前のことを、本当に大切に思ってる。妹と同じように。」

つららは、私を抱き締めて言った。つららの服はほんの少しだけ火薬の匂いがした。

「お前は、まだこんなに小さい。だから、“殺し”なんてモノを味わわせたくないんだよ。」

つららの顔を見ることはできなかったが、私の肩越しに聞く声は、涙の香りを含んでいた。

そこに表れた感情は“憂い”ではなかった。それは、“愛情”。


自分の為にではなく、誰かを思って流す涙は、こんなにもあたたかいのだと知った。

「生きているモノを殺すことは、それが何であれ、つらいことだよ。たとえ、相手が魔女でもな。今まで目の前で動いていたモノが、突然その力を失うんだ。温かかったのに、だんだんと冷たくなっていく。ハル、生き物は弱いよ。」

今まで小さな動物たちの血をたくさん吸ってきたのであろうその手が、私の頭をポンポンと撫でた。

つららの手は、年のわりに大人びていて、つららの考え方も、大人っぽいな・・・とずっと感じていた。それはきっと、たくさんの死に触れて、いろんなことを考えてきたのだろうなぁと思った。

「どんなに強く見える者も、死に対しては弱く、無力だ。」

つららは、とても大事なことを私に教えてくれるように言った。そして、私を離すと、もう一度私に謝った。

「ハル、ごめんな。」

「役割は果たしたか?予言を受けし者(アルテシア)よ。」

ずっと黙って聞いていたがらすが口を開いた。

「つらら、つららの役割は・・・何?」

私が聞いた。つららが受けた予言とは何なのだろうか。

「俺も、ハルが予言を受けた時、司様から予言を受けたよ。いつかやって来るだろうお前を見つけるだろうと。そしていつか来る終わりの時にお前に予言を伝える役割をいただいた。俺は今、それを果たしたよ。」

「ハル。」

がらすが私を呼んだ。

「はい。」

返事をする私の目は、きっと希望に満ちていただろう。

「おそらく、魔女を殺すのは、大変なことだ。お前が命を落とすかもしれない。」

がらすの声からはどんな感情も読み取れなかった。

「うん。それは、分かってる。でも、私は時を静寂から解き放ち、都に春を運ぶために、魔女に会いに行く。」

私の決意は、それでもゆるがなかった。

「お前なら、きっとそう言ってくれると思っていたよ。」

がらすはそう言って、目を細めて、都を見下ろした。

「もうすぐここから、一面の花畑が見えるぞ。ハル・・・、戻って来たら見においで。」

「うん。」

私はうなずくと、セカイを呼んだ。

「にゃあ。」

「セカイも、一緒に来てくれる?」

「にゃあ。」

―もちろん。―

私とセカイは大きな想いを胸に階段を降りた。一度も、後ろは振り返らなかった。次にここへ来る時には、都は、甘い香りと、色とりどりの華たちで、いっぱいで、きっとみんなが笑っている。そんな未来を、私は信じたかった。




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