第5章 金魚の命は雪に溶けて

それから何日か経った。私は、雪に埋められた秘密を知らされることはなく、終わらない冬の中にいた。本来、冬は春への希望を孕んでいるものだ。華が放つ春の香りや、大地が息づく躍動の希望があるから、長く厳しい冬をのりきれる。しかし、セリテイルは違う。終りなく繰り返す白い季節は、限りなく絶望に近いものを人々に与えたのだった。それは、私も例外ではない。それでも、私をわかってくれるセカイがいるだけで十分救われると思った。


その日、私はセカイと外に出た。

「行ってきまぁす。」

ドアを閉めながら私が言うと、

「早く帰って来いよ。魔女の歌を聞いたら死ぬぞ。」

とつららに言われた。東の山脈にいる氷の魔女は、歌を歌う。その歌は、聞いた者を殺すと言われていた。誰も、それを見た者はいない。聞いた者もいない。しかし、それはいつの間にか誰かが言い出して、根拠もなく語られ続けてきた噂だった。人々はみんな、その噂を信じていた。

ある日突然やってきて、白い絶望で自分たちの生活を壊した魔女は、そうして、絶対的な悪にされていった。


「はぁい。」

私は、返事をして、家を出る。

「セカイ、私が望んだのは、こんな世界だったのかなぁ?」

それは、私がずっと気になっていたことだった。

「にゃあ。」

―ハルは自分の孤独を憂えたんぢゃないの?―

「うん。多分そう。私は、一人が淋しかった。」

―ハルは今、一人ぢゃないよ?―

「そうなんだけど・・・。」

―ハルはずっと孤独だった。だから、みんなの孤独が分かるんだね。―

そうだ。都の人たちはみんな、哀しくて淋しい、遠い目をしてる。あの頃の私と同じ。周りにみんないるのに、私は孤独だった。それは、希望がなかったから。

「春が戻って来たら、みんなは笑顔になるのかな?」

―わからない。でも、喜んでくれるかもね。―

「ねぇセカイ、東へ行ってみない?」

―ハルが行きたいなら。―

セカイは止めなかった。きっと私の気持ち、分かりすぎるくらいに分かってたから。私はただ、みんなに笑ってほしかった。


東の山脈は思ったより近く、雪は穏やかだった。

「誰もいないね。セカイ。」

噂を恐れているのか、本当に誰もいなかった。


びゅう


山の間に風が吹いて、風を切る音が響いた。

風に煽られて粉雪が舞った。

・・・と、目の端に、純白の世界にはあるはずのない色が映った。その色は、薄桃色だった。

「あ・・・れ?」

気になって近付くと、それは小さな華の欠片のようだった。

何でこんなところに・・・?という疑問と、あるならみんなに持って帰ってあげたいという、2種類の想い。


私はやっとこさっとこ崖を登った。崖と今を上ると、今にも折れそうになりながら、その華を見つけた。


思わず目を奪われた。視界に飛込んで来たのは、血のような赤だった。雪の中で、小さな紅の華が咲き誇っていた。まるで、金魚が雪の中を泳いでいるみたいだと思った。

「――っ。」

ただただ、息をのむしかなかった。

「これは・・・。」

その先の言葉は続かない。美しい。と思った。そこには、生命が息づいている。

雪の中で、人目を避けるようにひっそりと、しかし自分の存在をしっかりと主張して、とてつもなく優美に、その紅は咲いていた。

「セカイ、」

これを持って帰ったら、都の人たちは、つららは、笑ってくれるだろうか?みんなの孤独を癒すことはできるだろうか?

いろんな想いが、体中を駆け巡る。

―いいんぢゃない?ハル。―

セカイが、いつものように

「にゃあ。」

と鳴いた。私は、目の前に広がる赤い海へと、ゆっくりと一歩を踏みだした。セカイの声に背中を押されたように思った。

白いブーツの先が、海へと届いた。


私は夢中で、その中に飛込み、何本も何本も紅い華を摘んだ。

もう持ちきれないほど、両手いっぱいにその華を抱えて立ち上がった時、私を見つめる白い人陰に気付いた。


その人は、とても近くにいたのに、私はまったく気付かずに、華を摘んでいた。気付かなかった・・・というよりは、まるでその人が一瞬の間にそこに現れたかのようだった。その人は笑っていた。無邪気に。楽しそうに。私より年上に見えた。しかし、その笑みは、かつてすみれが見せた笑みよりも、ずっと無垢で、寒気がするほど美しかった。

その人が誰かは、見た瞬間に分かった。こんなところで私を見ているだろう人は一人だけ。でも、そんなこと、考えなくても、その人の体中から出る何かが、その存在を示していた。


―魔女だ。―


その人は、箒を持っていない。黒い服も着ていないし、猫も連れていない。でも確かに、魔女だと感じた。


シンプルだけど、魔女によく似合った純白のドレス。鎖骨のあたりで切り揃えられた、真っ白な髪。青く澄んだ瞳。


魔女は岩に座って子供のように足をぷらぷらさせて、にっこりと微笑みながら、私を見下ろしていた。

「あなた、春を運ぶ者(シャロン・レイト)だね。」

魔女が言った。その意味はまったく分からなかったけれど、魔女の声は、とても綺麗だった。その瞳と同じようにとても澄んでいて、透明感のある声。その声は、私がこの世界を欲してから今までに聞いた中で、一番美しい音だった。氷のような声だと思った。

「ねぇ、シャロン。あなたはその華を一体どうするつもりなのかなぁ?そんなに両手いっぱいに抱えて。」

魔女は歌うように聞いた。シャロンというのは、私のことだろうと思った。

「ごっ・・・、ごめんなさい。」

魔女の口調は優しかった。しかし、微笑を含み、自分に陶酔しるような話し方は、私を圧倒した。圧倒的な力を感じさせる、絶対の存在。

「あら?謝らなくたっていいんだよぉ。その華は私のモノぢゃないんだから。可愛いシャロンが、せっかく来てくれたんだもの。好きなだけ持って行けばいいよ。」

「・・・はい。」

私は頷いた。頭では、早く都に帰りたいと思っていた。だけど、体は動かない。目は、魔女の姿をまるで吸い込まれるように、見つめ続けた。

「シャロン、面白いモノを連れてるねぇ。」

魔女が、セカイを見て言った。

「にゃあ・・・。」

セカイは、不安そうな声で鳴いた。今までにないくらい怯えている。

「ふぅん。そっかぁっ。」

魔女は、何かに納得したように言った。

「セカイに手を出したら、怒りますよ。」

セカイの声を聞いて、急に元気がでた。私が守らなきゃと思った。だってセカイは、私に出来た最初の友達だから。

「手なんか出さないよぉ。だって、この子はこんなにも素敵な魂のカタチをしてるんだもん。」

「魂の・・・カタチ?」

思わず聞き返した。

「うん。そぉだよぉ。あなたのカタチは、“春を運ぶ者(シャロン・レイト)”だね。」

魔女は楽しそうに笑った。

「シャロンレイト・・・。」

「あなたはまだ分かんないのかもしれないね。でも、私には分かるんだぁ。だから私は、魔女なんだなぁっ。」

魔女はくすくす笑って言った。

「にゃあ。」

セカイが鳴いた。真っ直ぐ後ろを向いて、走って帰れと私の脳が叫んでいた。


私の足は、ようやく一歩、二歩・・・と後ずさりを始めた。それに気付いた魔女が言う。

「もぉ、帰っちゃうのぉ?淋しいなぁ。でも・・・しょうがないっかぁ。次に会うときは、きっともっとたくさん、お話しができると思うんだぁ。待ってるね。」

魔女は、全然淋しくなさそうに、いつまでも笑顔だった。

私は、くるりと後ろを向いて、一目散に走った。魔女から悪意は、まったくといっていいほど感じなかった。魔女が放つのは、ただ無邪気な笑顔だけ。それがなんだか怖かった。都の人たちが語る魔女は、もっと“悪”に近い存在だったハズだ。都の華を枯らし、時を止め、春を奪った魔女。歌で人を殺す、絶対的な悪。でも、私が会った、あの魔女は、例えるなら、無邪気な子供だった。華を枯らしたのも、時を止めたのも、春を奪ったのも、全部悪意故にではない。単なる好奇心なのだろうとぼんやり思った。


私は走った。早く、つららの待つ暖かな家に帰りたかった。早く、この紅い華を見せたかった。何度も滑ってずっこけそうになったけれど、そんなの気にしなかった。私の頭の中は、華をつららに届けるんだという目的でいっぱいだった。


しかし、めしべの宮に近付くにつれて、紅い華がその形を失い始めた。“枯れる”というよりは、“崩れる”に近かった。突然ぼろぼろと花びらを落とし始めたのだ。

「あっ・・・あっ・・・。」

急いで手を出すけれど、自分でもどうしたらいいのか、よく分からなかった。手の中で、どんどん金魚が死んでいくような気分だった。

「にゃあ。」

セカイの声も虚しく響くだけだ。


つららの家に着いた頃には、全ての花びらが散ってしまった後だった。私は泣いていた。あの頃のように、大泣きした。どうして散ってしまったのかなんて、考えなかった。ただ哀しくて、切なくて、この想いを誰にも伝えられなかったコトが辛かった。


意味もなく、遠い空に大声で叫んでみたけれど、空からは、白い白い雪が舞い落ちてくるだけだった。

「ハル?」

叫び声か泣き声に気付いたのだろう。つららが家から出て来た。

「つららっ・・・、私、私、お華が咲いてるのを見付けて、いっぱいとって来たのにっ、全部、散っちゃって・・・。」

つららは、一瞬、驚いたような表情をして、それからにっこり笑って言った。

「寒いだろ?中入れよ。」

そして、私の頭を撫でて、私の背中を押すように家の中へ入れてくれた。

「ちょっと待ってろよ?」

つららはそう言うと、ミルクを温めて、ルイ・トレアを作ってくれた。私は、セリテイルに春が来ないと知ってから、いつか蜜がなくなることを恐れて、ルイ・トレアを飲まなかった。都の人たちが、特別な時にしか、華を使った食べ物や飲み物を口にしないのと同じように。

「つらら、これ・・・。」

「元気がない時には、これがいいんだ。ほら、セカイにも。」

つららは、暖炉の前で丸くなっているセカイの前に、少し冷ましたルイ・トレアを置いた。

「にゃあ。」

ありがとうって言っているのがわかった。

「・・・・・・ごめんなさい。」

私の口からは、自然と謝罪の言葉が出ていた。

「何でハルが謝るんだよ。」

つららは笑っていた。初めて会った時みたいに。

「だって・・・、私、本当に持って来たかったの。これ・・・。」

私は、茎だけになった紅い華を差し出した。

「これ、どこにあった?」

つららの声は、少し震えているように感じた。

「・・・・・・東の山脈。」

反射的に怒られる・・・と思った。とたん、何か、暖かいモノが私を包んだ。つららが私を、ぎゅっと抱きしめたのだった。

「無事でよかった・・・。」

私にかけられたのは、安堵を意味する、とても暖かい声だった。

「ごめんなさい。」

私は、もう一度そう言った。

「この華は、多分アントライナムだと思う。」

つららは、私が渡した茎を見て言った。

「アントライナム?紅くて、金魚みたいなお華?」

「いろんな色があるけど、おそらく。」

つららは、華の都の人だけあって、華には詳しかった。アントライナムという華について語るつららは、イキイキとして見えた。

華は持って来れなかったけれど、笑顔は、持って来れたのかな?と、ちょっと思った。


ぱちぱちと、暖炉で薪がはぜた。そこには、憂いのない笑顔と、暖かな今があった。

私の魂のカタチ・・・春を運ぶ者(シャロン・レイト)

私は、紅い春を運んだのだろうか?

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