第3章 大時計は死灰(しはい)に包まれて

次に目を覚ましたのは、朝だった。

「ハル、おはよう。」

つららが私を、起こしに来た。

「おはようございます。」

先に目を覚ましていた私は、ベットからはね起きた。寒くて、ずっとベットから出られなかったのだ。

「うぅ・・・寒い。」

やっぱり、雪の国で

この格好はないかなぁ・・・と思う。

「寒いだろ?」

つららはくすりと笑った。

「はい。」

「こっち来いよ。」

つららについていくと、そこには大きなクローゼットがあった。

「何・・・ですか?」

私が聞くと、

「好きに着ていいぞ。」

と言われた。私がおそるおそるクローゼットを開けると、そこには色とりどりの服があった。みんな私が着ている半袖のワンピースよりも、ずいぶんと暖かそうだ。

「これ・・・は?」

私はびっくりして、つららを見上げた。

「妹の服。その格好で外出たら、お前凍死するぞ?」

「でもっ、妹さん、怒りませんか?」

「いや、あぁ、・・・、怒んねーよ。大丈夫だから着とけ?」

つららは、少し考えるような仕草をした。その瞳は遠かった。だけど私は、何も聞かなかった。聞いても、どうせはぐらかされるだけだろうと思ったし、第一に、私みたいな他人が聞いていいことだとは、到底思えなかったのだ。

「はい。ぢゃあ、お言葉に甘えて。」

「着たら来いよ?」

「はい。」

つららは、私の返事を聞くと、扉を閉めて出て行った。

「にゃあ。」

いつの間に来ていたのか、セカイが私を見上げていた。

―選ばないの?―

目が、私に聞いている。

「選ぶよ。」

私は、クローゼットの中の洋服を一枚手にとる。うーん・・・。散々考えて、大量の服をいくつも引っ張り出した末、やっとのことで、服を着替えた。暖かそうな、赤っぽい色のワンピースに、白い、腰からのエプロンを選んだ。ワンピースの裾は長く、靴下まで履いたら、ずいぶんと暖かくなった。


驚いたことに、つららの妹さんの服は、私にぴったりだった。私は、その部屋を出て、つららを探す。

「つららさん。」

見付けて声をかけると、朝食の準備をしていたらしいつららが振り返った。

「どうですか・・・?」

その目に、驚きの色が浮かんだ。

「いいんぢゃない?どこか、きつかったりしない?」

「大丈夫です。」

つららは私に近寄って来ると、私がうまく結べなかったエプロンのリボンを結んでくれた。優しくて、慣れた手付きだった。

「朝ご飯、出来てるよ。」

朝ご飯は、赤い実や、黄色い実が、たくさん入ったパンケーキだった。

「そういえば、ハルはどこから来たんだ?」

つららが聞いた。

「んー。どこでしょう?」

はぐらかしているわけではなかった。自分でも、よく分からないのだった。

「年はいくつ?」

「んー。10才くらいでしょうか。」

「俺の妹と同じくらいだ。それにしてもやっぱり変な奴だなぁ、お前って。」

つららはそう言って、また笑った。

「で、これからどうする?」

つららの声は、曖昧でない答えを求めていた。

「私は何かに呼ばれるように、ここまで来ました。でも、今は何も感じないんです。だから、どうしていいのか分かりません・・・。」

私の声は、震えていた。こんな答えでは、つららが満足してくれないような気がした。追い出されることが怖かった。今が、あまりにも幸せすぎて、それが壊れるのが怖かった。だから、つららが

「ハルさえよければ、ずっとここにいてほしい」

と言った時、ほっとしたのと、嬉しかったのとで、ついに泣いてしまった。

「あー、もう、泣くなよな?」

つららはそう言って、私の頭を撫でた。

「にゃあ。」

セカイも摺よってきた。私は泣いた。だけど、そこに、孤独はなかった。

私は嬉しすぎて、つららがどうしてそんなに親切にしてくれるのかを、考えることはなかった。


朝ご飯を食べ終わると、つららが口を開いた。

「俺、今日行かなきゃ行けないところがあるんだけど、お前は・・・。」

ちらりと、私の足に目をやる。昨日、凍傷になった私の足。ケガをしているから、連れていけないと言いたいのだろう。

「大丈夫ですよ。もう、治りましたし。」

私が靴下を脱いで、包帯をはずすと、その足は何事もなかったかのように、真っ白だった。

「そんなっ・・・、嘘だろ?」

つららが驚いている。

「私、治りは早いんですよ。」

私はふふふっと笑って言った。私にとっては、これも当たり前のことだった。

つららは信じられないという顔をしながら

「まぁ、いいか。大丈夫なら良かったよ。」

と言った。

「一緒に行ってもいいですか?」

「あぁ、俺も、本当は連れて行きたいと思ってた。会わせたい人がいるんだ。」

「どなたですか?」

「セリテイルの長、華の司様だよ。」

「華の司様・・・。」

私の心は、不思議とざわざわした。きっと緊張しているんだろうなと思った。


お昼頃、私は、白く、ふかふかなケープを被せられて、同じく、ふかふかのブーツを履かされて、つららと一緒に外へ出た。


外にでると、一面の銀世界だった。風が吹くと、白い粉雪が再び舞い上がって、キラキラと散った。

真っ白な色を重たそうに背負って、時折揺れる森があった。

「うわぁっ・・・」

私は思わず声をあげた。

「走んなよ?転ぶぞ?」

・・・遅かった。走り出した私は、サラサラの雪に足を取られて、顔面からずっこけた。

「ったくっ・・・。大丈夫か?」

「はいっ。」

私は、なんとか自力で立ち上がると、つららに手を貸してもらって、道を歩いた。

「つららさんっ、あのっ、」

私は足元の雪に足を取られて歩きながら、つららに声をかけた。

「どぉしたぁ?」

対するつららは、慣れた足取りだ。

「あのっ、私も妹さんに会いたいです。いっぱい服も貸していただきましたし、お礼しないとです。」

私の手を引く、つららの足が、急に止まった。


「妹は・・・死んだよ。」

聞いたことがないほど、暗い声だった。

空気が止まってしまったように感じた。何と言っていいか分からなくて、私も言葉をなくす。


「にゃあ。」

沈黙を破ったのは、遅れてついてきていたセカイだった。セカイの声で、空気が弾けた気がした。途端に、風の音が辺りに響く。

「あっ・・・ごめんなさい。」

私の声は、震えていて、目からは涙が今にもこぼれ落ちそうだ。

「泣くなよ。目につららが下がるぞ?」

そう言って、私の涙を拭うつららは、怖いくらいに優しい顔をしていた。その目に浮かぶのは“憂い”。何度も目にした遠い目は、きっと妹さんのことを思っていたんだろうな・・・と思った。

「お前さ・・・、似てんだよ。髪の毛も、目の色も、違うのにさ。何か・・・、雰囲気が・・・な?」

私はこくりと頷いた。

「・・・悪いな。お前と妹は違うって分かってんだけどさ。」

「いえ・・・。」

「にゃあ」

セカイが鳴いた。

―行こう。寒いよ。―

目が言っていた。

「行くか。」

セカイの気持ちを読んだのかどうかは分からなかったが、つららが口を開いた。いつも通りの明るい笑顔だった。

「はい。」

歩いて行くうちに、家が増え、人も増えてきた。どうやらつららの家は都の外れにあって、中心部に近いほど、家はたくさんあるようだった。

「つららさん、道に迷いそうです。」

「にゃあ・・・。」

右に左に何度も曲がるうちに、もはや、自分がどう歩いて、ここまで来たのか、分からなくなっていた。周囲は相変わらず一面に白い。二人と一匹の足跡も、次々と降り積もる雪に寄って、どんどん見えなくなっていく。正直、もう迷っていた。

「もうすぐだよ。ほらっ。」

つららがそう言った時、急に目の前が開けた。

「ここは・・・?」

目に飛込んで来るのは、一面の白。白。白。

何もない雪野原がひろがっていた。

「全部花畑だったんだ。」

つららの声には、陰があった。しかし、私の頭の中には、目の前の広大な土地が色とりどりの華たちによって埋めつくされている姿が浮かんでいて、その感動があまりにも大きかったため、私がつららの表情に気付くことはなかった。

「行くぞ。」

つららは先に立って歩き始めた。

「あっ、待って下さい。」

どうやらつららは、雪に埋もれた花畑を隔てて反対側にある、少し高い塔のような建物を目指しているようだった。やっとのことで、長い雪道を抜けて、入り口の前に立った。


それは、花畑の向こう側から見た時よりも、ずいぶんと大きかった。

「入れよ。」

つららがドアを開けてくれた。

「はい。」

よほど寒かったのか、私の足の間を抜けて、セカイがするりと中に入った。中には螺旋階段が上へ上へと続いていた。

「にゃあ。」

セカイの声が、反響している。つららが先に立って登り始めたので、私とセカイもそれに従った。


ざっと50段はあっただろうか。円形の部屋に出た。そこには、70才くらいの男性が部屋の中央に座っていた。その男性を囲んで、数人の大人が座っている。私は、どうしていいのかわからなくなって、つららを見上げた。つららは、真っ直ぐに、中央の男性を見ている。


「つらら、その子が?」

低い声だった。

「はい。華の司様。」

自分のことを言っているのだと、すぐにわかった。

「そんなにかしこまらぬともよい。予言を受けし者(アルテシア)よ。」

「恐れ入ります。」

つららが、緊張しているのが分かった。男性の口調は、ゆっくりで、穏やかだが、威厳があった。

「そなた、名前は何という?」

男性が私に聞いた。

「ハルと申します。」

私の口調も、つられて丁寧になる。

「ハルか。よい名前だな。そうか、そうか・・・。春はよい。華たちが歌って、踊っている。都中が輝きに満ちておる。」

男性は、思い出すように、目を細めた。

「こっちへおいで。」

男性が私を呼んだ。私は言われるがままに、男性の側へと寄った。

「私は華の司、がらすだ。この、“めしべの宮”で普段は大時計の記録をつけておる。」

「はぁ・・・。」

分からない言葉がいっぱいで、何を言っているのか、よく分からなかった。

「はっ、はっ、はっ、少し、難しかったか。」

がらすは、笑って言った。

「ここから見る都は格別に美しいぞ。」

がらすが、壁へと目を向ける。円形の部屋を囲む壁には、都が全て見渡せるように、窓がついていた。ちょうど、展望台のようになっている。


セリテイルは、ここ、めしべの宮を中心に、同心円状にひろがっているようだった。

「ハルちゃん」

誰が呼んだのかと思ったら、周りを囲んでいた大人の中の一人だった。私が、どうするべきか迷って、つららの方を見ると、つららが、今度は目を合わせて、こくんと頷いた。

行っていいという意味だろう。私は、名前を呼んだ女性の所へ行って座った。

「さくらよ。よろしくね。」

女性は、つららより、少し年上くらいの若いお姉さんだった。さくらの手には、おいしそうなクッキーがある。

「これ、あげるっ。」

さくらが私にクッキーを差し出した。

「ありがとうございます。」

私はクッキーを受け取って言った。

「これもどうぞ。」

不意に後ろからチョコレートを渡された。大人たちは、次から次へと、私にお菓子を渡して、私をちやほやと可愛がってくれた。


つららは、私がさくらの元へ行った後から、ずっとがらすと、何かを話していた。時折、

「ハルにはまだ早いと思うんです。」

とか、

「あの事はもう言ったのか?」

といった声が聞こえた。

―つららは私に何かを隠してる―

と感じた。でも、感じたのは怒りではなかった。つららなら、話すべき時に、きっと話してくれる。一緒にいた時間はそう長くはなかったが、つららは、十分信じていい人だと思った。

「ハルちゃん、私の娘たちと遊ぶ気はないかしら?ハルちゃんと、同じくらいの年なんだけど。」

さくらの隣にいた女の人が言った。

「うん。でも・・・少し、不安・・・。」

私は、同年代の友達と遊んだことがなかった。

「大丈夫よ。よく言っとくわ。」

女の人はにこっと笑って言った。なぜだか、大丈夫だと思えた。


大人の人たちは、たくさんのお菓子をくれたけれど、どれもとってもおいしくて、ぺろりと食べてしまった。

「ハルちゃんったら、食べ過ぎよ?」

さくらに笑われた。

「だって、おいしいんだもん。」

私も笑って返す。大人の人たちと話すうちに、はじめは気をつかって丁寧に話そうとしていたことも忘れ、年齢相応の話し方に変わっていた。この都も、ここの人たちも、お菓子もみんな好きになれそうって思った。

「にゃあ。」

今まで、いろんな人たちに頭を撫でられていたセカイが、私に摺よってきた。

「どうしたの?セカイ。」

―帰ろう?ハル。―

「そうだね。」

ちょうどつららも、話が終わったようだった。

「帰ろうか。ハル。」

「うん。」

「お菓子、食べ過ぎだ。」

「たっ・・・食べてませんよ?そんなに。」

口元に、ビスケットの粉をつけて、言い訳する私を見て、その場にいた全員が笑った。


それから私たちは、もと来た道を戻った。


「なぁ、ハル。」

「なぁに?」

私の手を引いて歩く、つららが言った。

「ハルはこの雪、何に見える?」

あまりにも唐突な質問だった。

「雪・・・?」

「そう。雪。」

「天使が無邪気に羽を降らせてるように見えるよ。」

私は、キラキラと、純白に輝く粉雪を美しいと感じたのだった。

「つららは、何に見えるの?」

私が聞くと、つららは、

「俺は、悪魔が灰を撒いてるように見えるよ・・・。」

と言った。その目は、哀し気だった。つららだけでなく、この都の人たちはみんな、雪を疎んでいた。だけど、それがどうしてかは、私には分からなかった。つららは、私の手をぎゅっと強く握って、家までずっと離そうとしなかった。まるで、離したら、私がどこかへ行ってしまうとでも、思っているかのように――。


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