第2章 雪吹く(ゆきぶく)都で

どのくらい歩いただろう・・・?いつの間にか雨はやんでいた。私はセカイと共に歩き続けていた。この世界に太陽は昇らなかった。私のいた場所と同じ、透き通るような灰色をした空が、重く、私達に覆い被さっていた。


「セカイ、疲れた?」

私は隣を行く、黒い友達に声をかける。

「にゃあ」

それは、肯定とも否定ともつかない声だった。

私は気にせず続ける。

「セカイは淋しくないの?」

「にゃあ」

セカイはそう鳴いて、長いしっぽをしなやかに振ってみせると、くるっと頭を私に向けた。そして緑色の瞳で私を見上げる。

―淋しくないよ。だってキミがいるから。―

セカイの目は私にそう告げていた。

「そっか。」

私はにこっと笑った。

あの頃と同じ灰色の空。あの頃と同じ閉塞感。だけど、そこには確かに、無ではない何かがあった。音が聞こえた。あの頃はキツネがいた。それでも私は孤独だった。どうしてだろう?何も聞こえなかった。


「にゃあ」

セカイが私を先導するように、2、3歩歩いて私を振り返った。

―行くよ?―

「待ってっ。」

私も足を運ぶ。どうしてだろう?今は、こんなにもセカイの声が聞こえるのに。


びゅう・・・と大きな風が吹いた。冷たく、湿った風だった。私の白いワンピースが、風にふわりとその裾を広げた。私の金色に近い色をした髪も、流されて揺らいだ。

「寒い。」

私は呟いた。セカイが摺よってくるのを感じて、屈んで頭を撫でる。


私は、半袖のワンピースを着ていた。しかし、時々山の方から、吹いてくる風は、真冬のように冷たかった。“くしゅん”小さなくしゃみをしてしまう。裸足の足も、寒さを体に伝える媒介物となっていた。


目の前には、山があった。ごつごつとした岩がある。岩と岩の間には、申し訳程度に枯れた様な草が生えていて、その草は、時折吹く風にその短い全身を揺らされ、かさかさと乾いた音をたてていた。


次第に草がなくなり、岩の上にはうっすらと白い粉が積もっていた。雪だ。足下では、セカイも寒そうにしている。とうとう岩よりも、雪の面積が大きくなり、辺りは一面、白銀の世界になった。ちらちらと、白い粉雪が絶え間なく降り積もっていた。足が冷たかった。だんだんとそれは、痛みに変わり、真っ赤に腫れて、何も感じなくなった。向き出しの腕や首筋も、凍えて真っ赤になる。意識が薄れてきた。

それはあまりにも唐突だった。私は、自分の体が雪の中に倒れこんだのを感じた。

私を襲ったのは、怖いや、痛いという感情ではなく、眠いだった。

「にゃあ」

耳元でセカイが一際大きく鳴くのを感じた。何度も何度も響くセカイの声を聞きながら、私の意識は、深い闇の底へと、沈んでいった。

深い海に沈んでいるみたいに、髪やワンピースが揺らいで、ふわふわ浮かんでいる気分だった。だけど不思議と暖かくて、不安はなかった。水面の方で、誰かの声が、私を揺すっている気がした。


その声に引かれて、私の意識は泡となって、浮かび上がった。水面に達するか、達しないか・・・という瞬間、泡が割れた。


私はゆっくりと目を開けた。眩しくて、思わず目を細める。

「気が付いたか?」

声の主を見ようと顔を向けると、私の薄い茶色をした瞳に、その男性の姿が写った。


「俺はつらら。セリテイルの狩人だ。」

男性はそう自己紹介する。男性の髪は漆黒で、少し長めだった。17、18くらいの青年に見える。

私は、大きな上着にくるまれて、そのままふかふかのベットに寝かされていた。傷ついた足は、ちゃんと手当てしてあった。

「セリテイル・・・?」

私の口から出たのは、小さな音だった。

「そう。ようこそ。華の都セリテイルへ。と言っても、今は雪に埋もれて、華はみんな、死んじまったけどな。」

つららの声は、軽い調子だったが、目は哀しそうだった。

「そうなんですか。」

私が起き上がろうとすると、私のほほにぴっとりとくっつくように身を寄せる、なめらかで、黒い球体に気付いた。

「まだ、起きちゃダメだ。」

つららは、私の体をもう一度寝かせると、私の視線に気付いて言った。

「俺が、罠の見回りしてたらよ、にゃあにゃあ鳴いてたんだよ。気になって見に行ったら、お前が倒れてた。そいつ、必死にお前を助けようとしてたんだな。」

「セカイ・・・。」

私はそう呟いて、セカイの頭をそっと撫でた。

「んー。」

セカイが、小さく鳴いた。

「セカイって名前か。いい名前だ。」

つららはそう言うと、料理用の小さなストーブから、ポットを下ろして、温められた白い液体をマグカップに注いだ。

「はい。私の初めてのお友達です。」

「友達・・・か。」

つららは、少し遠い目をすると、私に聞いた。

「お前の名前は何と言う?」

「私の名前・・・。んー。わからないです。」

私は逆に困ってしまった。だって、今まで誰かに、名前を呼ばれたことなんてなかったから。

「お前変わった奴だな。」

つららは私を見て笑った。

「そんな寒そうな格好で雪の中に倒れてると思ったら、名前がわからないとか言い出すんだもんな。」

つららは本当におかしそうに、真っ赤になりながら大笑いしていたけれど、私は、どうして自分が笑われているのかわからなかった。私にとっては当たり前のことだったのに。

「ぢゃあ、俺がつけてやるよ。そーだなぁ、・・・ハルってのはどうだ?」

「・・・ハル・・・。」

初めて口に出したその音は、不思議な暖かさをもって、私の耳に届いた。

「ハル。ハル。うん。すごくいいです。」

私は、なんだか嬉しくなって、何度も何度も自分の名前を口に出した。

「お前やっぱり変わってる。ほらよっ。」

つららはまた笑うと、さっきマグカップに入れた液体を私に差し出した。

「ホットミルクだ。あったまるから、飲めよっ。」

そう言うと、私の背中を支えて、ゆっくりと体を起こしてくれた。

「ありがとうございます。」

私はそれをありがたくいただいた。一口飲むと、甘い味が、口の中に広がる。

「あっ、甘い・・・。」

びっくりして、声が出た。

「何だよっ、そんな目、丸くして。セリテイルで採れた、華の蜜が入ってんだよっ。」

つららはくすくすっと笑って、少し誇らしそうに言った。

「おいしいです。」

セカイが起きて欲しがったので、少し舐めさせてあげると、おいしそうにピチャピチャと飲み始めた。

「お前ら二人とも、うまそうに飲むなぁっ。俺も嬉しくなるよ。」

つららは、自分のマグカップに口をつけて言った。

「だって、本当においしいですから。」

私もつられて笑う。

「ルイ・トレアって言うんだ。」

つららはそう言って、少し哀しそうな顔で窓の外を見た。さっきから、何度も見せる表情だった。

「つららさん、どうしたんですか?」

私は、さりげない調子で聞いた。

「ん?何でもねぇよ。飲んだなら、眠れ。寒い夜は眠ってやりすごすもんだ。」

答えるつららの顔は、元通りの明るく、華が咲くような笑顔だった。

「はい。」

私は、空になったマグカップをつららに返した。

「おやすみ。ハル。」

つららは電気を消して言った。電気を消しても、暖炉はちろちろと燃えていたので、ぼんやりと明るかった。

「つららさん、ありがとうございました。」

私はつららの背中に向かって言った。

「おう、いい夢見ろよ。」

つららはそう言うと、ドアを閉めた。


バタン。


暖炉で、薪がはぜる音がした。窓を吹雪が叩く音がした。お腹の中で、温かなルイ・トレアが踊っていた。そこに、涙はなかった。あるのは、あたたかな温もりだけだった。散々寝たハズなのに、私の意識はすぐに眠りの底へと、吸い込まれていった。


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