ショートショート15 麒麟も老いぬれば駑馬となる

 いつまでも駆けていられる。相棒を背負って、風をまとって。高らかに足音を奏でて。どこまでも駆けていく。そう思いながら毎日を過ごしてきた。それなのに、どうして。

 レースに出られるようになって五年。デビュー当初から立て続けに優勝してきた。その勢いのまま、いくつもの賞を獲得してきた。相棒とともに駆け回った競馬場の風はとても心地が良かった。それなのに。

 いつからだろう。吹いて来る風に心地良さを感じなくなったのは。

 レースに出場しても、先頭切って走っていくのはライバルの馬ばかり。私はその後を追いかけるばかりで、一向に追い越すことができないでいた。

 相棒には何の落ち度もなかった。これまで通り丹念に世話をしてくれたし、本番中の調教も申し分ない。いつも私を信頼してくれていたし、私も彼の裁量に全てを委ねていた。

 原因は私にあった。今までのように脚が軽やかに動かず、まるで重りを付けたかのように走行が鈍重になっていた。五年という月日はかくも重いものなのか。体力の限界が近づきつつあったのだ。

 認めたくはなかった。決して怪我を負った訳ではない。まだまだ走ることはできる。今は調子が悪いだけ。いつかきっと一番に返り咲くことができる、はず。

 そんな思いとは裏腹に、いつしかレースに出場する頻度は減っていった。大規模なレースには参加せず、地方へ赴くようになった。それでも、以前のような栄華を享受することはできなかった。しばらくして、とうとう一本もレースに出場することは無くなった。

 厩舎で待機する間はとても息苦しく感じた。そんな時だった。「引退」という言葉を相棒から告げられた。それは私の競走馬生活の終了を意味していた。彼の辛そうな表情がやけに印象深く映った。

 私にとって、走ることが唯一の行き方だった。他の馬より一秒でも速く、前へ走ること。それこそが私に課せられた使命だと思った。その使命を奪おうだなんて、なんと残酷なことか。

 しかし、走り続けるためには勝ち続けなくてはならない。今の私には、それが叶わない。勝てない馬には走る資格は与えられない。衰えた私には今さらどうすることもできなかった。

 相棒とは離れ離れになって、私はとある牧場へ引き取られることになった。引退する競走馬はこうして牧場へ引き取られて、その後の余生を過ごすそうだ。産まれてから八年。寿命はまだ先だというのに、もう既に死期が迫ってきたように感じる。競走馬としての私は引退するとともに死んだのだ。これからは全く違う私として生きていかねばならない。それがどのような生き方になるのか。私には想像もつかないでいた。


 引退してから二年。牧場での生活はつつがなく過ぎていった。飼育員の世話は、かつての相棒ほどではないが不満の出るようなものではない。飼料も十分に与えてくれるし、定期的に散歩も行なってくれる。それなりに満足できる生活だった。

 だが、それは競馬場を駆けたあの頃と比べると、どうしても物足りなさはある。先頭を突っ走る際の疾走感。優勝した時の高揚。相棒とともに凱旋する間の誇らしさ。あの感覚に勝るものは、この牧場生活では得られない。

 形容しがたい思いが日に日に募っていき、いつからか最低限の動作しか行わなくなっていった。ただ歩くだけでも億劫に感じた。なんの快楽もなく餌を喰らい、なんの快感もなく散歩に赴く。まるで世界が灰色に染められたようだった。


「おぉ〜。これがかの有名なレイクホープかぁ。引退しても、なおたくましいな」


 灰色の世界に埋もれた私を見つけたのは、なんとも覇気のない男だった。ヨレヨレのジャンパーに裾がダルっとしたズボン。所々に黒いシミのようなものが付着している。

 男は私を見てはしきりに頷いて、何やら嬉しそうに笑う。その表情はまるで少年のようだった。付き添っていた牧場主もつられて笑う。


「こいつだったらウチのテーマパークでも人気者になりますよ。なんせこの体格ですから。子供達をどれだけ乗せてもなんてことはないでしょう」


 二人の会話から察するに、私はまた別の場所へ連れていかれるようだ。既に引退したこの馬に、果たしてなんの期待をしているのだろうか。

 どうやら交渉は上手く事を運んだようで、私は正式に男の言う「テーマパーク」とやらへ貰われることになった。


「これからよろしくな、レイクホープ」


 男が私の顔を撫でる。その手はかつての相棒を思い出させた。思わず「ブルッ」と鼻を鳴らす。男は満足そうな笑みをこぼした。

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