第91話 霧香の顔

 見たくない。

 そうは思っていても、まるで呪縛されたかのように自然と視線が霧香の生首へとむかっていく。

 すでに眼球は時間経過のためか白濁していた。

 顔全体の筋肉が歪められ、開かれた口はいまでも無音の絶叫を迸らせているようにすら思える。

 かなり乱暴に首が切断されたらしく、頚椎の骨や黄色っぽい脂肪や神経叢といったものが、ささくれた筋組織と一緒に首の下から垂れ下がっていた。

 いまだに額では、呪わしい「魍」の字が残っている。

 眼鏡はすでに外されたらしいが、それでも相手が霧香であることは疑いようなもなかった。

 葦原でさえ、明らかに怯えているのがはっきりとわかる。

 おそらく霧香は男たちによって陵辱され、体の各部を切断されたあげく、その血肉を食われたのだろう。

 途中、拷問にかけられた可能性すらある。

 魍魎は人喰いの化け物だというが、だとすればその化け物すらをも食らう一般市民は、果たして人間といえるのだろうか?

 そこまで考え、自虐的に等は口の端を歪めた。

 偉そうなことを言える立場ではないことを思い出したのだ。

 すでに、自分は無辜の女の子の肉を口にしたのだ。

 いくらあとで吐き出したとはいえ、あのとき食欲に勝てなかった己に人々を難詰する資格などないのかもしれない。

 それでも、やはり憎悪が脳裏で滾っていく。

「これが……人間のすることかよ……」

 我知らず声が漏れた。

 否、悪いのは弥生のような人工知性体だと思おうとした。

 彼らが諸悪の根源なのだ。

 絶対人権委員会も結局は傀儡にすぎない。

 全人類の上に君臨する人口知性体群こそが、真の悪なのだと思い込みたかった。

 だが、それが嘘だともう等はどこかで理解してしまっている。

 このような社会をつくった人工知性体にもむちろん責任はある。

 しかし、この行き過ぎた人権主義という狂気じみた社会体制のおかげで、大亜細亜人権連邦の人々が生存できているのも、残念ながら事実なのだ。

 結局のところ、あまりにも人間が多すぎ、技術が進歩すぎたが、資源は有限である。

 電力などは原発で賄えているらしいが、水や食料といったものは簡単に増産できる類のものではないのだろう。

 かつては日本のように裕福な国が世界じゅうから食料を輸入し、贅沢な暮らしを送ることが出来た。

 しかしいまではなるべく多数の人類を生き残らせようとする人工知性体たちの意志により、かつてのような極端な貧富の差はなくなった。

 その結果、誰もが平均的に貧しくなったとみるのは、かつての日本を知っている者の感想にすぎない。

 逆に飢餓で苦しんでいた地域からすれば、現代のほうがはるかに「豊かな時代」に感じられるだろう。

 時間にすればほんのわずかの間だが、等がそんなことを考えている間にも事態は悪化していく一方である。

「魍魎だ……」

「ははは、三人ぶんの肉だ、結構、みんなで食えるかもしれないぞ」

 外から来た乙種市民も丙種市民も、みな利害は一致している。

 魍魎である等たちを殺そうがなぶろうが肉を食らおうが「反人権的行為」とは見なされないのだから。

 絶体絶命、という言葉がこれ以上、ふさわしい状況もそうそうないだろう。

 殺されるだけならともかく、さらにおぞましい運命が待ち受けている。

 特に光にとっては。

 家のあちこちからやかましい物音が聞こえてくる。

 庭のなかにも何人もの男たちが入り込んでいた。

 もはや脱出はほぼ不可能と考えていい。

「なんか秘密の出口とかないのかよ」

 葦原が慌てたように光を問い詰めたが、彼女はしばらく無言だった。

 弥生に見捨てられたことがよほど衝撃だったのだろう。

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