第76話 追跡
執拗に、背後から何人、否、何十人もの市民たちがこちらのあとをつけていくる。
甘かった、と等は今更ながら思った。
確かに葦原による威嚇は一度は成功し、人々は退散したように見えた。
しかし、人間は学習する生き物である。
新たに集まってきたものたちは、等たちの進路を遮るのではなく、後方からこちらの追跡を始めたのだ。
しかも今度は、武装している者もかなりいる。
いまの日本ではそもそも武器になるものが日常でもあまりないのだが、みな知恵を絞ってそれなりに使えそうなものを集めていた。
一番、多いのは工業用の鉄パイプである。
熱量を大量に消費する肉体労働は、現在では自律機が行うことが多い。
ただ費用対効果の面で、自律機よりも人間のほうが安価な労働力となる場面もある。
高機能の自律機が不要な単純労働などは、人力のほうが安くつくのだ。
建設現場などでも重要な箇所は自律機が受け持ち、あとは人間の手作業ということは珍しくなかった。
おそらくそうしたところから、鉄パイプは持ちだされたのだろう。
「ちっ……鬱陶しいな」
葦原にはいくぶん焦りが感じられた。
「あんな雑魚ども、どうってことはねえって言いたいところだが、数が集まると洒落にならねえ」
その理屈はよくわかる。
等たちにはあとがないので、いざとなれば必至になって暴れるつもりだ。
だが、それでもあまりに数の差があれば、いずれ圧倒される。
今はまだ、後ろから置いてかけてくるだけだから、まだいい。
「挟みうちにあうとしたら、本格的に厄介なことになる」
さすがに葦原は状況をよく理解していた。
「ただ、向こうもある程度、数をそろえてくるだろう」
「けど、相手には指導する者……ええと、リーダーなんていないんですよ」
「人が集まれば、だいたい仕切りたがる奴がでてくる。人間社会ってのはそういうもんだ。今頃、携帯端末つかって、この地区の連中は情報交換しまくってるだろうよ。なにしろこれは生涯にそう何度もはない『娯楽』だからな。一種の祭りみたいなもんだ」
祭りというものがあったことは知っているが、どんなものかはよくわからない。
もとは宗教的な儀礼から始まったらしいが、とにかく人が集まり騒ぐこともまた「祭り」と言ったようだ。
「今回の場合は『魍魎狩り祭り』ってところか。ったく、俺達は節分の鬼じゃあねえんだぞ」
セツブンノオニというのがなにかまでは、等にもわからなかったが、葦原が若いころに存在していた風習のようだ。
それにしても暑い。
この季節にしても不自然なほどに、今日は蒸し暑かった。
さきほどから汗がずいぶんと流れ出ている。
食料をつめた背嚢には水も入っていたが、あまり入れると重いのでさほどの量はない。
さらにいえば水分を補給している暇もなかった。
途中で足をとめれば、一気に群衆がやってくるのではないかという恐怖がある。
「おい……お嬢ちゃん、大丈夫か?」
霧香に葦原が声をかけた。
彼女の顔は、不自然なほどに蒼白になっている。
さらにずいぶんと汗も流れているようだ。
「まずいな。脱水、起こしてないだろうな」
人間の体から急激に水分が失われると脱水症状を起こすことがある。
「私は、大丈夫……です……」
そう答えた霧香の呼吸はずいぶんと苦しげだった。
「ちっ……やっぱり甲種のお嬢ちゃんにはきついよな。精神的な緊張も半端じゃない」
霧香を気遣っているようにしか思えない葦原の態度は、とてもなにも悪いことをしていない女性を乱暴して殺害し、残る一家も惨殺したうえ、女の子の肉体を食べた人間のものとは思えなかった。
果たしてどちらが本当の葦原なのかわからなくなる。
あるいは、両方ともがこの葦原という男の本質なのかもしれない。
人は誰もが矛盾した部分を併せ持つものだが、葦原の場合はそれが極端すぎて混乱させられるのだ。
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