第74話 露見

 犬をかたどった像のようだ。

 こんな「よぶんなもの」が持てる時点で、この家はやりは乙種でも相当に恵まれた家庭だったのだと再認識した。

「こいつをこうやって……よし、こんな感じたな。で、ぐるぐると振り回す。遠心力と重みで、立派な武器になる。試しにやってみろ。ちょっと慣れが必要だ」

「は、はい」

 言われた通りに、霧香が彫像を包んだ布を回転させた。

 もしこの一撃があたったら、かなり痛いだろう。

 当たりどころによっては、骨にひびが入ったり、骨折するかもしれない。

「ただこいつは、なかなかに扱いが難しい。それでも、誰もがこれを振り回せば危険は感じるだろう。相手に被害を与えるよりも、相手を近寄らせないことが大事になることもある」

 さすがにいくつもの修羅場をくぐってきただけのことはある。

 いつしか外が騒がしくなっていた。

 人々が学校や勤務先に移動を始めたのだ。

 たいていは徒歩か、自転車である。

 しばらくして、人々の声も途絶えた。

 あたりがしんと静まり返る。

 実際には幼い子どもたちや、主婦たちが家に残っているのだが不気味なほどに静かだった。

「よし、そろそろだな」

 携帯端末がないので時間が確認できない。

 だが、葦原は太陽の位置で、時刻がだいたいわかるようだ。

 玄関にむかっていくとさすがに緊張した。

 この家から外に出れば、いつ人に出会ってもおかしくはないのだ。

 心臓の鼓動が高鳴っていく。

 鍵を開けてついに葦原が外に出た。

 今日は晴天だが、湿気が多い。

 どうやら蒸し暑い一日ななりそうだった。

 ただし、これが人生最期の一日になる公算はきわめて高いのだが。

「おい、平。これからどっちいけばいいんだ?」

 あわててさきほど記憶した地図を脳裏に描いた。

「こっちです」

 かくして三人の魍魎たちは移動を始めた。

 やはりこの時間を選んだのは正解だったらしい。

 路地には人の姿はなかった。

 昔は散歩などという趣味があったらしいが、今では無駄な熱量は極力、おさえるのが常識である。

「いいあんばいだな……怖いのは、食料商店に入荷があるときだが」

 商店の種類はいまでは少ないが、そのなかでも食料商店は社会で非常に重要な位置を占めていた。

 なにしろ食料が購入できるのは、食料商店だけなのだ。

 食料供給がきわめて不安定なため、いつ食料商店に入荷があるかはわからない。

 母などはそのため、隣接した地区の入荷情報をいつも携帯端末で調べていた。

 いまのところ、すべては順調に行っている。

 順調すぎて、むしろ怖いくらいだ。

 厭な予感がしてきた。

 理屈では説明できない、本能的な感覚である。

「どうした? 顔色が悪いぞ」

「いえ、さっきから緊張しっぱなしなんで……」

 非科学的な妄想でまわりまで不安にさせるのはまずい気がした。

「しっかりしてくれよ、平。お前だけが地図、覚えているんだからな」

 そのとおりだった。

 こんなところで勝手に不安感に襲われている場合ではないのだ、と思ったその瞬間だった。

 自転車に乗った中年の女性が、血相を変えてこちらに近づいてきたのは。

 ぞっとした。

「クソ……マジかよっ」

 葦原が罵声をあげた。

「なんでよりにもよって、こんなときに……畜生、C国人の奴ら、まさか俺たちにあわせて食料商店に入荷させたんじゃないだろうな。あいつらならやりかねない」

 葦原の言っていることは間違ってはいない。

 絶対人権委員会なら、そういったえげつないことを平気でやるだろう。

 この時間に葦原や平、霧香の三人組の姿はただでさえ目立つ。

 普通なら働いているか、学校にいる時間なのだ。

 驚いたように中年女性がこちらを見て、悲鳴をあげた。

「ひっ……う、うそっ!」

 まずい、と思ったが女性は自転車を急回転させると、もと来た道へと戻り始めた。

 全力で追いかけても、人間と自転車では速度に差がありすぎる。

「最悪じゃねえか」

 葦原が路面に唾を吐いた。

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