第50話 小説の影響
「おい、高橋……」
「大丈夫だ。こんな小声なら、誰にも聞かれていない」
違うのだ、と叫びたくなった。
絶対人権委員会は、市民をまったく信用していない。
そのためいたるところに、超小型の撮影機と盗聴器がしかけられているのだ。
高性能なので、人間が聞き取れる音声は確実に拾っていく。
光に最初に教えられたときは驚いたが、いまではそれを前提にして、教室でも猫をかぶっていた。
しかしその事実を高橋に教えるわけにもいかない。
そんなことをすれば「なぜそんな秘密を知っているのだ」ということになってしまう。
一応、この盗聴器は光と等の声紋の声だけは「無視」するように、光がすでに弄っている。
だが高橋の声は別だ。
「実は俺の兄貴も、金井と似たような目にあったんだ」
初耳である。
そういえば、以前、高橋が絶対人権委員会に対してある種の怒りを抱いているのではないかと感じたことがあったが、気のせいではなかったらしい。
「もう三年になるが、いまも帰ってきていない。兄貴は、たまに絶対人権委員会に愚痴を言う程度だった。もっと飯を増やせとか、その程度だ。俺たちだって、たまについ言っちゃうだろ。でも、兄貴はたぶん回数があまりに多いと判断されたんだと思う」
うかつなことはいうべきではない、と等は判断した。
「それで、やっぱり啓発施設で再教育だ。でも、まだ帰ってきていない。たぶん、もう兄貴には二度とあえないと思う」
高橋の顔が歪んだ。
「たぶん金井も似たような感じだと思う。どこかで、うっかり、そういうことを人前で言ったんだ。絶対人権委員会のおかげで俺たちは生きていられる。それは事実だろう。人権解放軍のおかげで、帝国主義から解放されたのも感謝している。でも……な」
すべては嘘っぱちなのだ、と言ってやりたかったがそれは自殺行為だ。
「実は俺、噂になっている小説、読んだんだよ。米帝国の工作だと最初は思ったけど、最近、実は本当のことが書いてあるんじゃないかって……」
一般市民に絶対人権委員会の嘘を伝えるのが目的だったのだから、成功しているとはいえる。
が、まさか自分の友達にまでこんな影響を与えるとは思わなかった。
「電脳で検索しても学校で教えられた通りの歴史しか出てこない。でも、もし、すべてが嘘だったら……」
高橋は自分がどれだけ危険なことをしているか、理解していない。
過去について執拗に情報を検索していると、自動的に絶対人権委員会に通報されるのである。
「これ以上はなにも言うな。俺は、聞かなかったことにする」
厳しい表情で高橋に言うと、さすがに黙り込んだ。
心臓の鼓動がおかしくなっていく気がする。
かなりまずい立場にこれから追い込まれるだろう。
いきなり人が消えた場合、みなを納得させるのは「啓発施設で再教育をうけた」と言うのがもっとも効果的なのは事実だ。
だから光は、いつものように電網の情報を改ざんした。
しかし今にしてみれば、軽率だったのではないだろうか。
金井と仲の良かった自分までもが、思考感染などで疑いをかけられてもおかしくはないのである。
やはり光はどこかずれている。
彼女は対人関係にまつわる物事だと、まるで子供のように想像力を失うのだ。
いや、子供でさえもう少しまともだ。
また光が、生体部品を使った自律機のように思えてきた。
悪手だった、といまにしてみればだが、判断せざるをえない。
葦原にも相談したらしいが、相手が悪い。
彼はとうの昔に、絶対人権委員会に公然と敵対している立場なのだ。
具体的にどうやっているかはわからないが、ほぼ地下に潜伏しているようなものだろう。
そんな生活を続けている葦原は、もういまのこの国の一般市民の立場ではものを考えられなくなっていてもおかしくはない。
さらにこの問題が深刻なのは、光にまで疑いの目がむけられるということだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます