探索と発見・3
航さんと正式にお付き合いを始めてからは、しろくろの臨時スタッフな扱いで、お店の細々としたことを手伝わせていただくようになった。但し、航さんとわたしの休日が合致した日限定、となっていて、何故かといえば、その報酬(本当はなくていいのだけれど、どうしてもと言われてしまった)というのが、『休日しろくろ一日占拠権』だからなのだ。
そんなものでいいの?と航さんは心配そうに眉を下げるものの、全猫たちを、さらには好きな人を一日中ひとりじめ出来るのだから、わたしにとってこの上ない報酬なわけで。
……さすがに気恥ずかしいので、そこまでの本音は口にしてはいないけれど。
ともかく、しなければならないことはなかなか多岐にわたる。物品の補充、倉庫の整理、清掃、給餌などのルーチンの他に、ブログにアップロードする写真の撮影や、白玉の気を引いて、ポーズを取って貰ったりする役目を仰せつかったりとさまざまなのだが、
「ええと、それじゃ、今回のご希望の品はカネルエコバッグと、ストラップですね」
「うん。ストラップはあえてランダムで、っていう依頼なんだけど……ご主人の方が、明らかにストライプびいきだから、それでいこうかと思って」
並んで、しろくろのカウンターに座りながら、わたしと航さんは、お客様に差し上げるノベルティについての検討を行っていた。
というのは、つい先日のこと、ようやくわたしに続いてスタンプカードが一杯になったご夫婦がおられたのだけれど、商品の一覧がプリントされたカタログをお渡しするなり、大変に悩み始めてしまわれて。
結局、当日はお決めになることが出来ず、昨日、やっとご連絡があったそうなのだ。
「あれだけ迷ってらっしゃったから、やっぱりお気に入りの子のものがいいですよね」
「そうだね、ハンドタオルもあの二匹を買って行かれたくらいだし……よし、じゃあ、発送準備しようかな。在庫取ってくるから、ちょっと待ってて」
そう言って、椅子を引いて立ち上がりかけたのを待ち構えていたかのように、航さんの手元のスマホが着信音を鳴らし始めた。黒電話めいたベルの音だから、これはアプリではなく、普通の電話だ。
すぐさま、カウンターに置いていたそれを取り上げた航さんは、液晶を見るなり小さく声を上げた。
「あれ、吉野さんだ。なんだろ、仕事の話かな……」
「あ、じゃあ、お話の間にわたし、倉庫見てきます」
「え、いいの?じゃあ、ごめん、頼んどいていいかな」
わたしの申し出に軽く手を上げて、すまさなそうにそう言いながら、スマホを操作する。
はい、日置です、と応答する姿に小さく手を振ってみせると、わたしは奥の倉庫へと足を向けた。吉野さんがお相手なら、しばらくは雑談含め、話が続くだろうからだ。
途端に、足元で寝そべっていた白玉とクロエが立ち上がると、小走りに後をついてくる。最近特に、後追いがブームなのか、動きにつれてこうしてついて回ってきてくれるのが、ああ、懐いてくれてるんだなあ、と、実はちょっと嬉しくもあるのだ。
そんなわたしの感慨はともかく、きちんと職務を果たさねばならないので、奥の廊下を進んで、そろそろと倉庫の引き戸を開けながら、すかさず隙間から身体を差し入れる。
白と黒の身体を挟んでしまわないように、素早く引き戸を閉めてしまうと、ほっと息をつく。この部屋の中には、大惨事を引き起こしかねないので、猫たちは立入禁止なのだ。
すぐににゃあにゃあ、と不満げな声が聞こえてきたので、完全に拗ねられてしまう前に商品を持って出なければならない。確か、ストラップは左の奥だったはず、と思いながら、左右に並んだラテラルの間を奥へと進む。と、
……なんだか、見覚えがあるような。
目の端をかすめた『何か』に、そんな短い思考が走って、わたしはそちらに顔を向けた。
ラテラルの右手、上から二番目の棚。ちょうど、わたしの目の高さになる場所だ。
この間、そろそろしまってもいいだろう、と洗濯をして畳んだ覚えのある、冬用毛布の影に隠れるようにして、それはちんまりとわだかまっていた。
顔を近付けてみると、目を引いたわけが分かった。それは、クリアバッグでくるまれた、小さな包みだった。その表面が、倉庫の明かりをちかり、と反射したのだ。
そして、バッグの口を可愛らしく絞っているのは、いつか見た覚えのある、くるくるとカールした赤とオレンジの細いリボンと、猫の形をした、紙で出来たタグで。
「……これ、『熊とみつばち』かな」
そっと手に取ってみながら、わたしは小さくそう呟いた。
縦に細長いクリアバッグの下には、さらにブラウンのクラフトバッグが重ねられていて、その中にあるものは見えないように包装されているのだが、その包み方と、リボンとタグ、全てにあのお店の特徴が出ている。
でも、どうしてこんなものがこんなところにひっそりと、とひとり首を傾げていると、のんびりとした足音が廊下を近付いてくる音が聞こえてきて、思わず顔を向ける。
と、無造作にがらりと、引き戸が引き開けられて、さすがに慣れたもので、さりげなく足で猫たちの侵入を抑えつつ、航さんが倉庫に入ってきた。
「一花さん、グッズの場所分かった?……あ、それ」
「ご、ごめんなさい。あの、包装が可愛いので、気になってしまって」
思い切り言い訳めいてそう返しながら、慌てて元の場所に戻そうとしていると、何故か、航さんは、ああ、と何か沈んだ声を上げて、
「いいよ、戻さなくて……しまったなあ、もっときちんと隠しとけば良かった」
後ろ手に引き戸を閉めてしまうと、その言葉に目を見開いたわたしに近付いてくるなり、手を伸ばして、ぐりぐり、といった感じで、頭を撫でてきた。
それから、こちらの戸惑いを察したのか、苦笑を向けてくると、小さくため息を吐いて、
「これ、どのみち、一花さんにあげるつもりにしてたものだったから」
「え、わたしに、ですか?でも、どうして」
先日のエプロンのお礼は、もう次のお出掛けでしていただいたし、誕生日が近いとか、そういったわけでもない。だから、嬉しいよりも先に、疑問の方が沸いてしまって。
それに、何故、こんな風に隠して置いておく必要が、と考えていると、内心を読み取ったかのように、航さんは言葉を継いだ。
「疑問の答えは、ちょっと待って。とりあえず、仕事済ませてからでもいいかな」
「あ、はい。それはもちろん、構わないですけど……」
どうやらまずいことをしてしまったようだ、と今更ながら気付いて、語尾が小さくなる。
だって、その表情が、今までになく困惑しているというか、落胆交じりというか。
返した返事に、軽く頷いて作業を続ける航さんの背中を見ながら、わたしは次第に俯き加減になってしまいながらも、浮かんだままの疑問をぐるぐると考え続けていた。
それから、なんとか大過なく包装も添えるお手紙も完成して、ご夫婦のお住まい宛てに発送の手続きを終えて。
白玉たちと遊ぶのもそこそこに、航さんは急いた様子でしろくろを施錠してしまうと、わたしを車の助手席に乗せて、自身もどこか落ち着かなげに運転席に座る。と、
「一花さん、さっきの包み、持ってるね?」
「あ、はいっ。ここに、大事に」
慌てて、しっかりと膝に抱えた鞄の中を示すと、航さんはそっか、と頷いて、すぐさまエンジンをスタートさせた。そのまま一言もなく車を出してしまうのに、行き先を聞いていいものか、と悩んでいると、
「ごめん、一花さん。心配しなくていいよ、俺の家に行くだけだから」
「え……お家、ですか?」
予想だにしなかった回答に、オウム返しになってしまったわたしに、航さんは頷くと、ウィンカーを入れて、いつものように右折してしまう。と、
「着いたら、ちゃんと説明するから。その……一花さんが気にすることじゃないから、安心して」
「……はい」
するりと不安を取り除いてくれるような、穏やかな声音でそう言ってくれて、わたしはほっと息をつきながら、座席に深く座り直した。
そうしながら、あらためて航さんの表情を窺ってみると、なんとなくだけれど、照れているような印象を受ける。そういう時は、口元がちょっとだけへの字を描き、それでいて、困ったような微妙な眉の下がり方をするので、最近、ああ、そうなんだ、と見極められるようになってきたのだ。
……こういう時、ちょっとだけ、可愛い、って思ってしまうのは、まだ秘密だ。
そんなことをこっそりと思っている間に、坂の上のお家に着いてしまう。道路に向けて大きく開いた入口から車を入れ、山茶花の生垣を横に見ながら、上手に庭の奥にぴたりと停めると、すぐに家の中に招き入れられて、
「こっち、ついてきて」
上がり框に並べたスリッパに足を通すのもそこそこに、手を引かれるままに、二階へと連れて行かれてしまった。
玄関を入ってすぐに見えている、真っ直ぐで傾斜がきつめの階段をとんとん、と上がっていく。実は、こちらに上がらせていただくのは初めてなので、なんだか緊張してしまう。
上がり切ってしまうと、奥行きの短い廊下が伸びていて、左右に引き戸がひとつづつ、となっているうちの、左手のものを空いた手で引き開けた航さんは、そこでようやく手を離すと、
「どうぞ、入って。普段、俺の寝てる部屋だけど」
「え、あ、そうなんですか?えっと、お邪魔します」
促されるままに入らせてもらうと、なかなかに広い部屋だった。おそらく、だけれど、八畳くらいの広さで、引き戸の向かいになる位置には、大きな掃き出し窓が作られていて、さらにその向こうにベランダと、今は何もない物干し台が見えている。
そして、壁と床のブラウンから始まって、シンプルなベージュのカーテンに、ベッドはネイビーベースのタータンめいたチェックで覆われていて、色合いから見ても、男の人のお部屋だ、と、すとんと感じてしまうような、落ち着く雰囲気だった。
そう認識してしまうと、これはいわゆる『彼のお部屋』というものでは、と思い至って、思わず落ち着かなげに、しかし興味津々で周囲を見回していると、
「……一花さん、ここ、座って」
わたしがきょろきょろとしている間に、ベッドに腰を下ろしていた航さんが、ぽんぽん、と、空いたその隣を示してくれているのに、慌てて駆け寄る。
勧められるままに並んで座ると、航さんはひょい、と眉を上げてみせて、
「やっぱり、危ないなあ……素直過ぎるんだから」
「え?」
「いや、こっちの話です。さっきの包み、開けてみて」
小さく呟かれた内容は、いささか気になるものの、取り急ぎ、鞄から包みを取り出すと、そろそろとリボンを解いていく。ほどなく中から現われたのは、
「あっ、これ……前に、わたしが贈ったのと、同じ?」
クリスマスに贈った、航さんに似た雰囲気の、白黒の猫のぬいぐるみ。
そのシリーズと同じもの、と明らかに分かる、ブラウンの毛色のものだった。
ただ、もちろん細部は異なっていて、淡いクリームイエローのエプロンと、右の耳にはどこかで見た形のピンクのシュシュが、ちょこん、と乗せられていて。
「……もしかして、わたし?」
よくよく目を凝らしてみると、エプロンの胸元には、猫たちの刺繍とわたしのネームが、微細ながら、きちんと施されている。『Ichika』とあるから、もう違えようもない。
「そう。俺に似たのを眺めてたら、ちょっと思いついちゃって」
航さんは、そう言って立ち上がると、掃き出し窓の横、壁沿いにどんと置かれている、ダークブラウンの大きな本棚の一番上から、何やら透明なケースを取り出してきた。
アクリル製と見える、思ったよりは軽そうなその箱の中には、航さんに似た、あの猫のぬいぐるみが座っていた。ただ、少しだけ買った時と状況が異なるのは、ミニチュアの、公園にあるようなスチールと木で出来た長いベンチに、ひとり座っているということで。
そして、その左隣は、誰かを待ち受けるように、空いていて。
「友永さんとこに頼んで、出来上がってきて、ほんとはすぐにでも贈ろう、って思ってたんだけど……じっと見てたら、迷ってきちゃったんだ」
航さんの言葉に、そっと顔を向けると、照れも露わに、ほんのりと頬が紅潮していて、珍しいことに視線を泳がせながらも、ぽつりと続けてくれた。
「なんか、一花さんに似せて作ったら、その、手元に置いておきたくなって……」
長く一緒にいると、次第に色々なところが似てくる、というけれど。
その中でも、これは、とびきりに嬉しいことで。
自然に緩んできてしまう口元をそのままに、わたしはブラウンのぬいぐるみを膝の上に置くと、アクリルのケースの蓋を開けさせてもらった。
それから、再びぬいぐるみを持ち直すと、慎重に、そろそろと、ベンチの上に座らせて。
柔らかい素材のそれを、互いに支えるように、肩をそっと、寄せ合わせて。
しっかりと蓋を閉めると、ベッドの上に、少し離して置いてしまって、二人で眺めて。
やがて、どちらからともなく顔を見合わせると、肩を抱かれて。
ゆっくりと、航さんの顔が近付いてくるのに、応じるように瞼を伏せて、優しく触れてくる手に、唇に、されるままに身を委ねていたけれど、
「……ずっと、こんな風に、二人でいたいです」
ぎゅっと、きつくその胸にしがみついてしまうと、わたしは、心からの望みを告げた。
しろくろでも、このお家でも、穏やかで幸せな時間を、二人で紡いで。
そしていつかは、一緒に暮らしてゆくのが、当たり前になってしまうくらいに。
「……うん、俺もです」
わたしの髪を撫でながら、短く答えを返してくれた航さんの声に、嬉しさが満ちる。
そのせいか、まるで白玉が甘えてくれるように、身体を摺り寄せてしまうと、わたしは何もかもを任せてしまうように、暖かい腕の中でそっと身を丸めた。
そうしているうちに、うっかり二人して、そのまま眠ってしまって。
心配した父と母からの着信音に起こされるまで、ずっと抱き合ったままで、二人して、なんとなく赤くなってしまった。
そのせいで、猫たちの晩ご飯の時間が、かなり遅くなってしまって。
特に白玉の機嫌が完全に治るまでは、三日ほど日参して宥めなければならなかった。
……これからも、この点にだけは、本当に気を付けよう、うん。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます