六月

探索と発見・1

 こちらが一人暮らしで、向こうが実家住み、となると、必然的に来るのは私の家へ、ということになってくる。あちらはもちろんご両親も弟さんもいらっしゃるし、彼の部屋にお邪魔する、というのもなんだか申し訳ないし、気遣いをさせてしまうから、と思って、これまでは、特にそんな話もお互いにしなかったのだけれど、何故か、唐突に津田くんが謎の義務感に駆られたらしく、いきなり自宅に招待されることになって。

 「さあ、ようこそ俺のマイルームへ!一応ですけど掃除しましたから!おふくろと弟の監査が入ってますから、綺麗なはずですよ!」

 「なんか、微妙に二重表現なのが気になるんだけど……失礼します」

 細かいことに引っ掛かりつつも、促されるままに彼の部屋へと足を踏み入れる。と、

 「あれ、ほんと、片付いてる」

 失礼ながら彼の性格上、ごちゃごちゃしている部屋なのかな、と思っていたのだけれど、意外にも、シンプルですっきりとした感じだった。

 一番奥になる、おそらく外壁の素材そのままなんだろう、打ちっ放しのコンクリートの壁と、左右の淡いグレーの壁紙に囲まれた中に、ぼかしの入ったベージュと淡いブルーのストライプ柄のカバーリングで覆われたベッド。それに並行するように、反対の壁際には白のキャビネットとチェスト、さらにスライド式のデスクが並び、その上にはパソコンが置かれて、と、無駄のない配置になっている。

 さらに、壁の一部がクローゼットになっているようで、服なども見当たらず、せいぜい椅子にジャケットが掛かっているくらいのものだ。

 「家具とかも、いいね。何か好きな感じ」

 「ほんとっすか!?いやー、昔バイトして買った甲斐があったっすよー!!」

 私の言葉に、派手に喜んでくれた彼に聞いてみれば、これらは概ね、大学時代に揃えたものらしい。津田くんが高校二年の時に、このお家をご両親が建てられて、新しい部屋が貰えたのに奮起して、『目指せ、何か格好いい部屋!』をテーマに研究しまくったそうだ。

 部屋は八畳あるそうで、四畳半で過ごしてきた学生時代を思い返すと、正直羨ましい。まあ、弟たちみたいに、七畳で三人、という微妙なバランスではなかったし、姉弟の中で唯一の女だからと、さすがに部屋は別にしてもらっていたから、まだ恵まれていたけれど。

 「広くて、過ごしやすそうだし……うん、これはお家出ちゃうのもったいないね」

 用意されたクッションに腰を下ろしながら、何気なくそう言うと、途端にぎょっとした顔になった津田くんが、床に敷かれたラグを蹴とばす勢いでにじり寄ってきた。

 「そんなー、千穂さーん!!俺がここ出なかったらいつまでたっても千穂さんと一緒に住めないじゃないですかー!!それに家具とかは持って出れば解決ですしー!!」

 「ば、馬鹿、声大きい!ご家族に変な誤解されたらどうするの!」

 慌てて手を伸ばして、彼の口をふさいでしまうと、むぐっ、という感じの声を上げて、ようやく静かになる。

 今日は、前もってお伺いすることは、他のご家族にも伝えてあった。しかも、皆さんが揃っていらっしゃる、というので、いささか緊張しながらも、つい先程ご挨拶が終わったところだ。

 お父様は、寡黙だけれど感じのいい方で、お母様は、といえば、先に聞いてはいたのだけれど、本当に津田くんに性格がそっくりだった。そして、三つ年が下だという弟さんは、丁度、お二人を足して二で割った、という体の、しっかりした感じの子で。

 と、津田くんはふいに私の手を取ると、珍しく不満そうに眉を寄せて、

 「誤解なんてされる余地ないですよー。さっきも言いましたけど、『結婚を前提に』っていうスタンス、これからも絶対崩すつもりなんかないすからね」

 じっと間近で目を見据えられて、不覚にも私は赤くなってしまった。

 付き合い始めた時からそれとなく、最近でははっきりと、将来のことを含めて真面目に考えていることを告げられてしまって、正直なところ、嬉しいけれど、気恥ずかしい。

 さらには、先程も、その旨を全員の前で宣言されてしまっては、もう。

 「わ、分かってるけど。現実的にはまだまだ先の話じゃない」

 耐え切れなくて顔をそらすと、できるだけきっぱりとそう言ってしまう。

 実際、彼はまだ二年目だし、私だって、それなりに準備をするつもりではあるけれど、どうしても時間を要するものだし、それは仕方のないことで。

 すると、津田くんは真面目な表情を少し緩めて、苦笑を向けてくると、

 「そうなんですけど、やっぱモチベアップするためには、ブースト掛ける要素が欲しいじゃないすか。だから、こうやって俺の方の外堀埋めちゃって、次は千穂さんとこです」

 「え?……うちって、もう何度も来てるじゃない」

 思わず、素でそう答えてしまってから、彼のきょとん、とした表情に、また赤くなる。

 それに気付いたらしい津田くんは、掴んでいた手を離すと、そのまま腕を動かして、

 「時々、千穂さんマジで天然ですよね。そこがいいんですけど」


 ……なんでこう、ナチュラルに言ってくるんだろう。

 気付いてないかもしれないけど、そっちだって天然タラシ、だと思うのに。


 私の頬を軽く撫でて、本当に嬉しそうに柔らかく笑いながら、さりげなく身を寄せて。

 目を合わせて、自然に顔が近付けられてくるのに、瞼をそっと伏せた時、

 「……悪い、兄ちゃん。母ちゃんがお茶淹れたから取りに来いって」

 こんこん、と控えめなノックの後に、部屋の扉の向こうから、弟さんの声が響いて。

 ぎくりと硬直した私を見下ろして、小さくため息をついた津田くんが首を巡らせると、

 「了解ー、すぐ降りるって言っといてー。すいません千穂さん、ちょっと行ってきます」

 「え、それじゃ、私も手伝うよ」

 すぐさま膝を立てた彼を追うように、私も立ち上がろうと動く。と、制するように肩に手を置かれてしまって、

 「だめっすよ、千穂さん、お客様なんだから。それに、そんなことさせたら、俺がおふくろにしばかれますから」

 めっちゃ言い含められてるんです、と、いささかげんなりしたように言われて、どんなことを、と気にはなったものの、そういうことならこちらが引くべきだろう。

 大人しく待ってる、と頷くと、ちょっと目を見開いた津田くんが、ふいににっと笑って。

 「じゃあ、その間、好きに俺の部屋探検しといてください。あ、ベッド使ってくれても全然いいっすからー!」

 「使いません!もう、お待たせしてるんだから、早く行くの!」

 いつものノリで軽口に反撃すると、はーい、と素直に応じては、スキップでもしそうな機嫌の良さで部屋を出て行く。

 ぱたん、と軽い音とともに扉が閉まると、さっきまでの騒がしさが嘘のように、静かな空間に変貌して、普段、こんな部屋にいるんだ、とふっと考えた。

 探検、と言われても、人の部屋の引き出しやクローゼットを勝手に開ける趣味はないし、どこをどうしたものか、と中をぐるりと見回していると、ふと、奥のコンクリートの壁に設けられた、同じ素材の飾り棚が目についた。

 それはL字型で、壁のそこここにあるスクエアな明かり取りとバランスを取るように、少し離して五つほど作られており、それぞれに腕時計、小さな観葉植物、文庫本、新書、とジャンルが別れていた。

 そして、残る一つが、小さいけれど、やけにビビッドな色合いの冊子が並んでいて。

 なんとなく、惹き付けられるようにしてそれらに近付くと、赤に白のドットが散った、目立つ背表紙のものをひとつ、取り上げてみた。

 B5くらいのサイズのそれは、要するにフォトブックだった。表紙はシンプルに赤の地に白文字で『Vol.1』と印字されているだけなので、これを見る限りでは内容は分からない。

 見てもいいよね、とぱらぱらとめくりはじめた途端、思わず目を見開いてしまった。

 まず、最初のページが、いきなり私、だった。背景は、どう見ても職場の一階だから、写っている背中からしても、バイトの森さんと話しているところだ。

 確か、これ、彼の歓迎会に行く前、だったような……

 新採が入ってきた、ということで、フロア総出で近くの居酒屋に繰り出す前だ。その時、写メりますよー、などと皆を撮りまくっていたのは覚えているけれど。

 なんでこんなのブックにまでしてるの、と恥ずかしくなりつつも次をめくっていくと、職場の皆も写ってはいるけれど、基本的には私が必ず入っている、そんな写真ばかりで。

 それが一段落したか、と思えば、今度は、付き合い出してからの時期のものに変わっていって、それはそれで、また赤面する羽目になってしまった。


 ……なにこれ、もう、凄い満面の笑みだし。

 それに、自分だって、なにベタ甘な表情してるの。


 たいていの場合、どこかに出かけて写真を撮る、ということになると、彼の癖が出る。

 というのは、ただひたすらに密着したいがために、二人で自撮りを申し出てくるわけで。

 だから、津田くんに肩を抱かれて、ぎゅっときつめに引き寄せられた画像が、大量生産されてしまう、というわけなのだけれど、

 「……これだけ並ぶと、なんか、もうだめって感じ」

 客観的に見てもどうしても、取り返しのつかない感じで、頭を抱えたくなる。

 そうしていると、外からぱたぱた、と軽い足音が近付いてきたかと思うと、扉が大きく開け放たれて、

 「お待たせしましたー!さっきのブロンディに、おふくろ渾身のロイヤルミルクティーっすよー!……ってあれ、それ」

 「ご、ごめん、見させてもらってた……」

 「ああ、謝ることないっすよ。それやっと出来て来たんで、見せようって思ってたやつですから」

 うろたえつつも棚に戻そうとするのを、あっさりと津田くんはそう言って押し止めると、両手に抱えたお盆を見やって、手伝ってもらっていいすか、と笑いかけてきた。

 素直に応じて、しばらく折り畳みのテーブルの上に、かちゃかちゃと茶器などをセットする音だけが響く。さっきのフォトブックは、とりあえずベッドの上に置いたままだ。

 渾身の、と言うだけのことはあって、大変美味しい紅茶を頂いて、名前の通りに、こんがりといい色に焼き上がったブロンディを口に運んでいると、

 「……千穂さん、そのー、引きました?」

 「え?いきなり、何?」

 唐突にそう尋ねられて、意図が分からず、私は怪訝な声を返してしまった。

 すると、津田くんは手にしたカップを置いて、ばりばりと頭を掻くと、

 「いや、『千穂さんブック』思いっきり趣味で作っちゃったんで……あ、後半はもちろん、『俺と千穂さんの愛の軌跡』なんですけど!」

 「ごめん、その直球過ぎるセンスだけは却下で。……あとは、別にいいよ、よそに漏れなければ」

 「あっ、存在だけは池内さんに知られてるんですけど……あと中屋さんと」

 「……もう、この部屋から出さないって約束して」

 「出しませんよ、俺の宝物ですから!それに、こんな風に作るのずーっと楽しみにしてたんですよー!」

 そう、あまりにもにこにことしながら言うので、とりあえず理由を聞いてみると、同じ棚に他の緑や黄色や青の冊子が一緒に並べてあったのだが、それは全て、彼の『成長記録』なのだそうだ。ちなみに、弟さんも同様のものが存在しているらしい。

 「親父が写真撮るの割と好きでー、ほんと赤ん坊のころから、ずーっとおんなじように残してあるんですよ。それで、溜まった写メとか見てたら、千穂さんとの写真もそろそろ一冊目作んなきゃな、って」

 そんで、赤なのは、やっぱ愛ですから!と、驚くほどに胸を張ってそんなことを言ってくるのを、私はしばしぽかん、と見つめていたけれど、

 「……一冊目、なんだ」


 そういえば、タイトルも、シンプル過ぎるな、とは思っていたけど。

 もう、二冊目が存在するであろうことを、疑う余地もないくらい、確信しているからで。


 こらえきれない笑みが、胸の奥からすっと沸き上がってくるままに、唇から零れて。

 「えっ、千穂さん!?俺かなり真面目に言ってるんですけど……」

 「ごめん、分かってる。だから」

 落胆したように眉を下げた津田くんに、私はそう笑うと、テーブル越しに腕を伸ばして、首の後ろに手を掛けてから、ぐい、と思い切り引き寄せてしまって。

 耳元に、短い言葉を落としてから、そっと身を離して、彼を見上げる。と、

 「……あったりまえじゃないですかー!!もー俺明日から大車輪で働いてめっちゃ出世しますからねー!!マジで頑張りますからー!!」

 「こ、こら!暴れないで……って誰も抱き上げていいとは言ってないー!!」

 どれだけの効果を及ぼしたのか、テーブルを踏み越える勢いで突進してきた津田くんに、ベアハッグ並みに抱き締められ、ぐるぐると部屋中を抱えて回られて、何事かとご家族に様子を窺いに来られてしまって。

 ……毎回こんなことになるから、しばらく、甘い言葉は抑えよう、かなり本気で。

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