三月
シュシュとアレンジ
わたしが昔からずっと髪を長くしているのは、それなりの理由があってのことだ。
元々膨らみやすい髪質で、油断すると、ただでさえ多めの髪が五割増しのボリュームになりかねないし、ショートにすれば、どうにも肉厚の茸の傘めいてしまうので、伸ばして、なんとか重力に助けてもらおう、という意図で。
だから、かなり梳いてもらって、さらにブラウンに染めているのも、軽めな印象になる、という美容師さんと千穂の助言があって、初めて勇気を出してやってみたのだが、
「そういや、就職した当初って、ボリュームもっさり気味で黒かったねー。だからっていうか、大人しさ倍増って感じだったもん」
「あの時、池内さんが言ったこと、まだ覚えてますよ。一花見るなり『いやー、これは茶髪の正しい使い方だわー』って」
「……あの、千穂、今のちょっと痛かった」
「うわ、ごめん!ピン引っかかってた!」
土曜日の夜、千穂の部屋の、リビング。
とても座り心地の良い、白いソファの真ん中に座ったわたしは、すぐ後ろに立っている池内さんと千穂に、二人がかりで髪をいじられていた。
今日は、何を思ったのか、池内さん企画の『女子力強化合宿』だ。今月のシフト決めの段階で、いきなりわたしと千穂が召集されたかと思うと、この日千穂ちゃんとこねー、と、有無を言わさず予定が決まってしまって。
全員が早番だったから、皆でスーパーに寄って食料品を買い込んで、それから、近くの銭湯に行って、帰ってご飯とデザートを食べて、と、要するにお泊り会なのだけれど、
「んー、やっぱ悩殺するんだったらアップにすべきかなあ。うなじ重要だよね」
「いや、夏じゃないんですから……がっちり纏めちゃうとまだ寒いですよ?」
「そっかー、じゃ、やっぱふわふわ可愛い系かな。あの店長さんって、そっち系好みな気がするんだけど、一花ちゃんどう思うー?」
「……それは、わたしが知りたいくらいです」
いつの間にか、来週に迫ったホワイトデーにおける傾向と対策、みたいな内容になってきてしまって、なんというか、どうしようもなく照れてしまって。
赤くなって俯いていると、お、と声を上げた池内さんが、ぐるっとソファを回ってくる。それから、テーブルに並べていたヘアアクセサリーの中から、ひょい、とあるものを取り上げると、にっ、と大きく笑って、
「こーんな可愛いものわざわざ贈ってくれるんだから、絶対そうだってー」
「しかも、ちゃんと一花が使うだろうもの、っていうところがポイント高いよね。よく見てるなーって」
広げた手のひらの上に乗せて、池内さんが示してくるのに、横に腰掛けた千穂までそう続けてきて、しかも、二人ともにやにやを隠すつもりもなくて、わたしはうっと詰まってしまった。
バレンタインの夜に、店長さんからいただいた、あのクリームイエローの袋の中身は、シュシュだった。全部で五本入っていて、パールがかった白に、黒、ブラウン、ブルー、それから、シルバーグレイに黒の縞々。縁飾りは、布の色目に合わせた、パターン違いのレースが施されていて、大変凝ったつくりだ。
そして、ドーナツ状の天辺には、ちょこんと控え目な猫の耳、そして、まるでピアスのようにしろくろの猫たちをかたどった、小さなチャームが付いていて。
せっかくいただいたのだから、今度のお出掛けにはつけていきたい。だけど、一人では髪のアレンジがなかなか決まらないので、池内さんに教えを請う流れになったのだ。
そのうちの、ブルーのものを手に取って眺めていた千穂が、ふとわたしに向き直ると、
「でも、このくらいだったら職場で使っても全然大丈夫じゃない?店長さん、だいたい一週間に一度くらいは来るんだし、つけといたげると喜びそうなのに」
「うん、それも考えたんだけど……なんだかもったいなくて」
あまりにも可愛いので、店長さんにお礼方々、どこのお店のものですか、と尋ねてみたのだけれど、『熊とみつばち』経由で職人の方に特注です、と返ってきて、とても驚いた。
さらに、もしやしろくろのスタンプカードの特典予定のものですか、という問いには、違いますよ、いわゆる一点ものになるんですかね、との答えで。
おかげで、しばらくメールの返事が返せなかった。嬉しいのと、どうしてそこまで、という気持ちが混じり合って、なんと言っていいのか分からなくなってしまって。
そういう経過を、聞かれるままにぽつぽつと話していくと、池内さんは目を見開いて、
「なにそれなんという純情!っていうか、そんなほんわかじりじり感って味わったことないわー」
「……なんかそんな感じですよね、池内さん」
「うん。即断即決即実行、というか」
千穂とわたしがそう返すと、先々月のお見舞いの時のように、ソファの向かいに置いたベンチチェアに移っていた池内さんは、少し小首を傾げて、
「まあそうなんだよねー、ほのめかしとか中途半端なの苦手だしー。だからこないだ、思いっきりずばっと聞いてきちゃったんだけどさ」
その言葉に、千穂がぴくりと反応を返すと、すぐに口を開いた。
「それ、萩原さんに、ですよね。池内さん、動くんですか?」
この場合の『動く』とは、人事異動のことだ。もし、池内さんが異動することになれば、当然ながら、同じ階に残留が確定している津田くんに影響が出てくるから、気になるのも無理はない。そして、まことしやかに囁かれているのが、一階のチーフが二人を引き合わせたのは、営業部に引き抜くための布石ではないか、ということなのだ。
ちなみにわたしは二階に配属されて二年目、千穂は一階で一年目をそれぞれ終えようとしているところだから、慣例からすると異動の可能性はごく低い、と言われている状況だ。
「そのへんは当たり前に守秘義務で流されたよ。ま、人事に文句言われるようなヘマはしないでしょ、普通に上狙ってくつもりはあるみたいだし、どうせじき分かることだしさ」
あっさりと返してきた池内さんに、千穂は目に見えて気が抜けた様子で、息を吐くと、
「やっぱそっか……じゃあ、例のチョコとかってどうなったんですか?」
「あげたよー普通に。さすがに全部じゃないけど、あたしも一緒に酒と食べたし」
思ったより美味しかったー、と笑ってから、池内さんはふいに真面目な表情になって、
「で、結構マジで口説かれちゃった」
唇から飛び出したのは、とてつもなく端的な言葉だというのに、一瞬、千穂もわたしも、何を言われたのか理解できなくて。
ようやく、硬直の解けたわたしが、おそるおそる尋ねてみた。
「……ええと、じゃあ、今度こそお付き合いを……」
「それについては保留。だって、まだ二回しか二人で会ってないもん」
「口説くって……なんて言われたんですか?」
「えー、千穂ちゃんも津田に言われたこと吐いてくれたら言ってもいいかなーとかー」
「……なら、いいです」
「冗談だってー。でもほんと、大したことは言われてないよ?」
と、千穂の問いにも次々と切り返してきた池内さんは、少し眉を寄せると、
「ただね、上手いんだよねー、攻め方が。こっちに効くところを妙に押さえてる感じで、声のトーンまでばっちり違うし、なんかさあ、あの人、だいたい表情変わらないじゃん?そのくせ、とんでもないことさらっと言ってくるから、めっちゃタチ悪いっていうかー」
「……それは、確かに」
先日の、宣伝ブースでの一件を思い出して、思わずわたしが頷いていると、千穂が何かぎょっとした顔になって、
「なに、萩原さん、一花にまでなんか言ったの!?」
「ち、違う違う!ちょっと、あの、店長さんのことで、からかわれたというか」
ここで変な誤解を招いてもいけないので、状況を含め説明すると、池内さんがんー、と短く唸って、
「周りを良く見てるんだよね、確かに。仕事的にも尊敬していいかなーって感じなんだけど、それにしたって展開早過ぎだと思うし、まだ信用しきれないっていうか?だから、まだまだ警戒警報発令中、ってとこー」
「……なんだか、難易度高そうですね」
一言一言にとても高度な読み合いを要求されそうな印象を受けて、わたしがそう言うと、池内さんは珍しく、ちょっと苦く笑って、
「こんなの、必要ない恋の方がいいよ、きっと。無防備すぎるのも、怖いけど」
その表情と、零れた言葉があいまって、一瞬どきりとする。
どこか、切なげで儚げで、とても綺麗で。
静かに秘めているものが、わずかに姿を見せた気がして、魅入られてしまっていると、突然、キッチンの方から不釣り合いなほど明るいメロディが流れてきた。
慌ててソファから立ち上がった千穂が、足早に音の方へと近付くと、充電中だったのか、コードが刺さったままの白い携帯を取り上げると同時に、音が止まる。
折り畳み式のそれを開けて、液晶を見ながら忙しく操作を始めたのに、池内さんが眉を上げると、
「ていうかさー、電子レンジの上で充電ってどうなの?」
「コンセントの都合ですよ。他は埋まってるし、テーブル近くに電源ないし」
「なに、電話?あいつだったら遠慮なく掛けてやったらいいよー、こそっと聞き耳立てとくけど」
「メールですよ!女子会何してるんですかー、って」
頬を染めつつも、そう千穂が振り返った時、今度はわたしのスマホが短い音を立てた。
テーブルの上に置いていたそれを取り上げると、この間、店長さんに教えてもらった、更新お知らせアプリが起動していて、しろくろのブログが更新された旨が表示されている。
池内さんにそれを告げて、ちょっと見てもいいですか、と尋ねた時、
「……何なの、このシンクロっぷり」
「……ほんとですね」
なんと、池内さんのスマホまで、ベルのような、澄んだ音色の着信音を立てたのだ。
ともかく、丁度良い、ではないけれど、三者三様にそれぞれのお相手(わたしだけ少し違うけれど)に、しばし返事やコメントを書いたりすることになった。
今日のメインは白玉で、リクエストがあったのか、昨年のバレンタイン衣装と、今年のものを比較する画像がアップされていて、凝ったそれに凄い、と思わず呟いてしまった。
昨年は、赤の王女がテーマだったそうで、赤い薔薇の刺繍が施された、たっぷりと襞を取ったマントに、花と蕾をかたどった頭飾りで、その姿はきりりとしつつも可愛らしい。
ちなみにこれも、やはり友永さんの奥様プロデュース、だったそうだ。
でも、やっぱり彼女は王女、じゃなくて女王様みたいですね、などとコメントを残して、一旦閉じる。店長さんはレスポンスを返すのにとても律儀だから、他の方にももちろん、時間を掛けて返信している。だから、またしばらくしてから見ることにしているのだ。
そうして顔を上げてみると、ひとまず用件が済んだのは、わたしだけのようだった。
千穂はどうやらやりとりを何往復かしているようで、まだ電子レンジの側に立ったまま、液晶に目を走らせているし、池内さんはと言えば、わずかに眉を寄せ、何やら難しい顔で手にしたスマホをじっと見つめていて。
声、掛けない方がよさそうかな、などと考えていると、キッチンの方から、え、という短い叫び声が飛んできて、わたしはそちらに顔を向けた。
「千穂、どうしたの?」
「うん……津田くんから、リクエストが飛んできちゃって」
「あいつ、うちのチーフと中里くんと飲んでるんだっけ。調子に乗って、変な要求してきたとかじゃない?」
池内さんがそう尋ねると、千穂は困ったような表情になって、
「変、っていうほどじゃないかな……せっかく三人だから、スリーショットの画像とか送ってください、って」
それを聞いて、わたしも池内さんも、ほぼ同時に同じ意見に達したらしく、
「なにそれ微妙ー。小倉さんのパジャマ姿見たいです!とか素で言いそうなのに」
「ですよね。確実に千穂だけしかいらないはずなのに、なんでなのかな……」
「……とりあえず、却下、って送っときます」
「別にいいよー。どうせ津田だったら、すっぴんだろうが何だろうが見られたところで痛痒感じないしー」
というようなやりとりの末、一番画素数の高い、池内さんのスマホで撮って送ろう、とひとまず決まった。ソファの真ん中にまず千穂、その左にわたし、そして右に池内さんが並んで座って、精一杯腕を伸ばして、
「そんじゃいくよー。いっせーのーでー、つーだー、もっと仕事しろー!!」
わざわざ作った野太い声でそう言われて、わたしも千穂も、こらえきれずに吹き出してしまう。つられて池内さんも声を上げて、三人で笑い転げながら、シャッターを切って。
撮れた画像を見ながら、これは無理でしょ、とかやばいよね、と取捨選択をしていって、ようやくこれなら許せる、というものが決まって、送信を終えて、しばし。
「……返事、なんだか遅くないかな」
「どうだろ……確かに、いつもならもう返ってきててもいいくらい、かも」
「こっちから送った、って言ったって、千穂ちゃんが傍にいるの分かってるしねー……っと、来た来た」
噂をすれば、はアプリにも適用されるということなのか、池内さんのスマホが、先程と同じ音を立てる。と、見る間に怪訝そうな表情になった彼女が、液晶を睨みながら、数度瞬きを繰り返したかと思うと、何も言わずに指先で、その中心に触れた。
それから、目線が幾度か、文面をなぞるかのように動かされたかと思うと、止まって。
「……何言ってんだろ、この人」
ぽつりとそれだけが聞こえたあとに、小さく、ばーか、というように唇が動いて。
長く下ろした黒い艶やかな髪を、空いた手で無造作にざっと掻き上げると、立ち上がる。
「ごめん、ちょっとベランダ貸してー」
「え?いいですけど……どうしたんですか?」
わたしと同じように、息を詰めるようにしていた千穂が尋ねると、池内さんは、ほんの微かに口角を上げて、
「頭冷やしてくるの。それと、萩原さん、津田たちと合流してたみたい」
思いも寄らないことを付け加えると、リビングを突っ切るように足を進めて、見る間に外へと出ていってしまった。
後ろ手に閉じられた掃き出し窓の向こうで、手摺壁にもたれて俯いているその背中を、他に何もできずに見つめていると、ふいに焦ったような千穂の声が届いた。
「……一花ってば!スマホ、なんか鳴ってるよ!」
「え、あ、ごめん!」
なんだか落ち着く暇もないなあ、と思いながら、テーブルの上で忙しなく明滅している画面を見ると、そこには意外な名前が表示されていた。
「……敦子さん?」
起動しているのはメーラーで、確かに連絡先の交換はしたから、来てもおかしくはない。ただ、誘われた飲み会は来月、ということだったから、急ぎの用事などはないはずで。
何の用件だろう、と思いつつも、とにかくメールを開いてみると、
From:敦子さん
Title:先日の写真です。
こんばんは、敦子です。
遅い時間にごめんなさい、ご迷惑でなければいいのですが。
夫が、パソコンを上手く使えないので、代理で送るように
頼まれました。
容量が大きいので、ひとまず厳選したものだけですけれど。
なにしろ、猫たちの写真、あの人、撮り過ぎちゃって。
来月の件は、そろそろ席を押さえておくつもりだから、
日置さんとご一緒に、是非、遠慮なくいらしてください。
それでは、おやすみなさい。
……ご一緒に、って、吉野さん、もしかして何か言ってないよね……
含みを持たせたようなその一言に動揺しながら、本文を読み終えたわたしは、取り急ぎ画像を確認することにした。まさかわたしにまで何か、と心配そうに傍で見ていた千穂も、中身を話すと、ほっとした様子で一緒に見始める。
画像は吉野さんの前言通り、ほとんど猫たちと店長さん、それからわたし、という組み合わせで、主に撮影イベントの合間のものが多かった。
ずっと着けているのは、どうしても猫たちが嫌がるから、一旦外した衣装を整理していたり、雰囲気にあてられたのか、ちょっと興奮気味の白玉を二人でなだめたりしていて。
楽しかったなあ、と、お手伝いしていた時のことを思い返しながら、最後の画像を開く。
と、目に入ってきたのは、にわかには信じられないもので。
瞬時に固まったわたしに気付いた千穂も、横から覗き込んで、驚いた声を上げる。
「……一花、確かツーショとか全然無理だった、って言ってたよね?」
「え、あ、だから、これはたぶん何かの間違いかもしれないし!」
混乱のあまり、自分でも意味が通ってない、と頭のどこかで認識しているものの、目の前にある画像は、見まごうことなくわたしと店長さん、二人だけのものだった。
しかもどういうタイミングだったのか、猫たちもおらず、あのソファに座って、間近に向かい合って、しっかりと目を合わせていて。
そして、わたしを見下ろしている店長さんの表情は、びっくりするほど優しくて。
見ているうちに気恥ずかしさが沸き上がってきて、うろたえながら視線をさまよわせていると、それぞれの背後に、さりげない様子でパールピンクのクッションが置かれているのに気付いて、目を凝らす。と、
「うわ、だめ!これはほんとにだめ!」
「ちょ、今凄い音したよ!どっか打ったんじゃないの!?」
ソファから、飛び上がりそうな勢いで立ち上がったわたしに、千穂が慌てて声を掛けてくれるものの、膝をテーブルにぶつけた痛みも分からないほどだった。
……だって、これ、絶対、皆さんにばれちゃってる。
店長さんの傍には、ストライプの、そして、わたしの傍には、アユタヤの。
しっかりメッセージ入りの面がこちらを向いていて、なんというか、確信犯の仕業、としか思えなくて、わたしは真っ赤になったまま、その場に立ち尽くしていた。
そうして騒いでいるうちに、気付いた池内さんも戻ってきて、容赦なくからかわれて、状況をとことんまで追及されて。
結局、時間切れになったので、アレンジ教室はまた後日、ということになってしまった。
……あのシュシュ、ちゃんと可愛くつけていけるように、本気で練習しとかないと。
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