ハートと写真・1
店舗を構える、という時点で、営業努力を怠っては何事も成り立たない、ということは重々承知した上で開業したつもりだ。第一、いくら単身だとはいえ、この年で路頭に迷うなどもってのほかだし、今後いかなる迷惑も決して掛けない、と約して方々に頭を下げたのだから、経営を維持していくためにも、やはりさまざまなイベント展開は欠かせない。
そして、猫どもの魅力だけに頼らず、何よりもまずお客様に楽しんでいただけるように、自身でもあれこれと試行錯誤をするべきで。
それはもちろん理解しているのだが、時々、なんとなく切なくなる時もあるものだ。
「なにため息ついてんだ。彼女と上手くいってねえのか?」
「いや、そもそも上手くいく以前の問題ですから」
水曜日、つまりしろくろは定休日の、午後五時過ぎ。
一眼レフの立派な(という程度しか俺には分からない)カメラを、真っ直ぐにこちらに向けてきている
今、何をしているかといえば、バレンタインイベントの準備だ。去年もやったのだが、二月十四日限定で、イベント仕様に少しばかりドレスアップしたうちの猫どもと、お客様との写真を撮るもので、なかなかに好評だった。
それを、今年はカップルのお客様を対象として何かしてみるか、と周囲に漏らしたら、友永さんの奥さんから、こんなものを作ってみた、と提供されたのだが、
「……いい年の男が、ひとりピンクと赤のハートに囲まれてるって、シュールですよね」
まさか、吉野さんを斜め上に焚き付けた上に、こんな手回しまでされてしまうとは。
カフェゾーンの、壁際の一番長いソファのど真ん中に座って、どこか花びらにも似た、やたらとファンシーなクッションに両脇を固められつつ、俺はまた息をついた。
またこれが、店の名前と猫どもの顔、そして、何パターンかのバレンタイン向けの短い英文が刺繍されていて、クオリティの高さに脱帽しつつも、気恥ずかしくて。
「猫の別嬪さんがいるだろうが。景気の悪い顔してんな、宣伝だったらとにかく笑え」
ファインダーを覗きながら、半ば叱り飛ばすようにそう言ってきた吉野さんの言葉に、膝のアユタヤは俺を見上げ、ストライプは悠々とソファに身体を伸ばして欠伸をして。
そして、白玉はソファの背に乗り、俺の頭の上に手を掛けて、ふん、と鼻息を漏らした。
……こいつら、本気で『写される』ことを分かってるよなあ。
ちょっとばかり感心しつつも、とにかく力ない笑みを浮かべると、さらに眉を寄せつつ、それでも吉野さんはシャッターを切った。納得がいくまで連写で撮ってしまうと、すっとカメラを下ろして、厳しい表情をしながら画像をチェックしている。
いかにも堅そうに突っ立ったごま塩の短髪に、だいたいいつも咥えている禁煙パイプがやけに似合う、見るからに職人気質、という感じのこの人は、吉野カメラ店の店主だ。
もっとも、店番は主に奥さんがやっておられて、本人は専ら広告用写真などをメインに忙しくあちこちを走り回っている。そして俺も、依頼する側のひとりというわけなのだが、
「猫はいいが、お前の面が悪いな。屈託がまともに顔に出てやがる」
寸鉄人を刺す、の言葉通り、とにかく辛口だ。しかも、的を外すということがまずない。
とはいえ、受け切れるだけの相手を選んでいるところもあるから、その腕を含め、俺も信頼はしているのだが、
「すみません。もう一回お願いできますか?」
「やめとけ。雄二匹と入れ替わった方がよっぽどいい」
「……そんなに酷い顔ですかね」
さすがに少し堪えて、思わず頬を手で撫でると、大人しく立ち上がる。その動きにつれ、アユタヤは膝から降りてソファに移り、白玉は俺の座っていた位置にどすん、と着地した。
と、ストライプが何かを察したように、俺の足元に寄ってくると、響きの良いアルトの声を上げて、その身を摺り寄せてきて。
「そいつの態度で分かるだろ。慰められるような面だってことだ」
さらに追撃を加えてきた吉野さんは、コーヒーくれ、と言いながらカメラを抱え直すと、さっさとカウンターへと行ってしまった。
身を屈めて、ストライプの喉を撫でてやってから、俺もそれに続くと、左手のスイングドアをくぐって厨房に入り、ドリンクサーバーを稼働させる。意外な好み通りに、ミルク多めのカフェオレを入れていると、ふっと彼女の顔が浮かんで。
「おい、零れるぞ」
鋭く声がかかると同時に、ボタンから手を離す。と、元より定量しか出ないマシンなのだから、その心配はなかったことに今更ながら気付くと、俺は無言で眉を寄せた。
「そんだけ惚けてるんなら、さっさと連絡でもなんでもしやがれ、若造が」
「そりゃそうなんですけど……どうにもそれがやりにくくて」
既に椅子にどかり、という風情で座っている吉野さんに鼻で笑われつつも、店名入りの白のマグをその目の前に置いてしまうと、頭を掻く。
結局、曽根さんと友永さんの目撃証言から、あっさりと『例の彼女』が中屋さんであることは割れてしまった。即座に迷惑が掛かりかねないから手出し無用、と言ったものの、親しい間柄の商店街仲間には、やはりじわじわと広まってしまって。
「興味本位で彼女を見に行く人まで出るし、友永さんの奥さんには『彼女とツーショが義務だからね!でないと報酬吹っかけるから!』とか言われるし、吉野さんには精神攻撃容赦なく食らうし、既に色んな意味で散々な目に遭ってるっていうのもあるんですけど」
「そりゃ、お前くらいしか、あー、適齢期ってのか?独身の若いやつがいねえんだから仕方ねえだろう。友永の坊主の時もそうだったからな」
「……所詮、他人事は楽しいんですね」
前に食らってるんなら、こっちの気持ちも汲んでくれてもいいのに、と思っていると、吉野さんは半分ほど減ったマグをカウンターに置いて、隣の椅子にちゃっかり座っていたストライプを撫でた。嬉しそうに目を細めるのは、俺よりも彼女と長い付き合いだからだ。
もっとも、それは彼女も同じで、ゴロゴロと機嫌よく喉を鳴らしていて。
「愚痴ってたところで始まらねえぞ?お客さんなら、今度のイベントでもなんでも送るネタはいくらでもあるじゃねえか」
「そのへんはもう知ってるんですよ。彼女、うちのブログ毎日見てくれてるんで」
まあ、昨日も当該の記事にコメントを残してくれているし、お伺いします、とも書いてくれているから、そこは素直に嬉しいところだ。
しかし、よりによってバレンタイン当日に来てくれるらしい、というのが、また複雑で。
そんなことをつらつらと零すと、吉野さんはひょい、と半白の眉を上げて、
「なら、それこそあれで写真撮りゃあいいだろう。俺ならあんなこっぱずかしい真似はまっぴらごめんだがな」
「俺だって無理ですよ!だいたい難易度が高すぎますから!」
「めんどくせえ奴だな……ほら、これ貸してやるから、さっさと取り込め」
言うが早いか、カウンター越しに小さなものを放り投げてくる。
反射的に上げた利き手でどうにか受け取ると、それは、カメラ用の薄いメディアで。
「あいつらを勝手に撮っとくから、好きにしろよ」
そう言うなり、カフェオレの残りを一息で飲み干した吉野さんは、またカフェゾーンへ戻っていった。その後をストライプが尻尾を立ててついていくのを見ながら、条件反射でマグを取り上げ、すぐ傍の流し台で洗ってしまう。
それから、いつも店を閉めるまでは出しっぱなしにしてあるノートパソコンを手にして、俺はなんとなく和室ゾーンに移った。ちゃぶ台で使うのが割と好きなのだ。
途端に寄ってきたクロエに膝に乗られながら、スロットにメディアを差し込み、画像を取り込んでしまう。その中から、さっき指摘された画像を開くと、はたと気付く。
……こんなもん、送っていいのかな。
どことなく情けない風情の自分の顔を見て、しばらく悩む。周りの猫三匹はといえば、お前らは女優か、というほどの見事なカメラ目線なので、こちらは喜んで貰えそうだが。
とりあえずスマホに転送し、そこからメーラーを起動して、さらに悩んでしまった。
というのは、臨時休業の時は必ず、と自分で縛りを設けてしまっていることがネックで、単なる私情で送るのもどうか、ということなのだ。しかも、教えたのは店のアドレスでもなんでもなく、俺個人のものだから、余計に何か微妙な気がして。
……個人アドレス教えてる時点で、下心満々だといえば、反論もしようがないけど。
やっぱり顔にスタンプでも貼っとくか、などと我ながらうだうだと考え込んでいると、いつの間にかカネルまでが膝に乗ろうとして、それを嫌がったクロエが、俺の腕の間からするりと顔を出してきて、
「あ、こら!」
黒い足にキーボードを思うさま踏まれ、マウスを蹴られて、それを止めようと手にしたスマホをとっさにちゃぶ台に置く。が、それがまずかった。
畳に落ちたマウスに手を伸ばしている間に、クロエを追ったカネルがちゃぶ台に上がる。入れ違いにすぐさま床に降り、壁際へと逃げていくのに、何かのスイッチが入ったのか、カネルは背中を丸め、ひとしきり毛を逆立ててから、思うさまロケットスタートを切った。
そして、その後足で、俺のスマホが見事に吹っ飛ばされて。
「あーもう、お前ら!」
「あーあ、しばらくおさまんねえな、ありゃ」
スマホを拾い上げてから、吉野さんの声に顔を戻すと、カネルに追い立てられつつも、キャットウォークのてっぺんに座り、嫌そうにそれを見下ろしているクロエがいて。
まだ威嚇の声を上げて飛び掛かろうとしているカネルの背後から、白玉の大きな身体が素早く忍びよるのを見て、もう任せといていいか、と俺はスマホに顔を戻した。
と、液晶に表示されている『送信が完了しました』の文字が、一瞬理解できなくて。
「うわ、まずい!」
中途半端な状態で放っておいたのが仇になり、件名なし本文なし、しかし添付ファイルのみ、という異様に怪しい状態で送信されてしまっている。液晶には肉球の跡がばっちり残っているから、踏んだ瞬間に、だろう。
取り急ぎ、もう一度メールを打ち直そうとするものの、焦るばかりで、なかなか本文が思いつかない。我ながら何やってんだ、とうろたえていると、着信音が鳴って。
From:中屋さん
Sub:店長さんですよね?
本文:
いきなり凄い画像が届いたので、びっくりしました。
これ、バレンタインのものでしょうか。
白玉のなんだか得意そうな顔と、店長さんの困り顔に、
ごめんなさい、ちょっと笑っちゃいました。
それに皆、とっても可愛いです!
でも、もし間違って送ってしまわれたのなら、
こちらはそっと削除しておいた方がいいでしょうか…
こっそり取っておいては、だめですか?
あつかましいことを申し上げて、すみません。
「……言ったら、全然こっそりじゃないでしょうが」
思わず呟きつつ、どことなく可愛い内容のメールに、分かりやすいほどに頬が緩む。
猫どものおまけ、ではあることは重々承知の上ではあるものの、それでも何か嬉しくて。
なんかまずいな、と、あらためて自覚しつつも、どうにか口元を引き締め、返事を打ち始めたところ、突然シャッター音が近くで響いて、俺は顔を上げた。
すると、どう見ても、レンズの先端は何故か俺の方を向いていて。
「ちょ、吉野さん!なんで俺を撮ってるんですか!」
「さっきよりはマシな面だったからな。なんなら、こっちも送ってやるか?」
「……送れるわけないでしょう」
何が悲しくて、自分のすっかり油断した顔などを、惚れた相手に送りつけなければいけないのか。しかも、単独でだとか、どんだけナルシストなんだよ。
完全に面白がりつつ、恐ろしいことを言ってきた吉野さんに、俺は心底さっきの誤送信メールをなかったことにしたい思いに包まれて、力なくうなだれた。
その後、さんざん唸りながら文面を考え、返信をするまでの一連の様子を、ちゃっかり吉野さんに動画で撮られていて。
後日、これをネタに嫌というほどからかわれることになるのだが、それはまた別の話だ。
……よくよく考えたら、なんでこの人に素で恋愛相談とかしてたんだ、俺は。
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