猫と絵本

 児童書担当としては、いわば書き入れ時となるのがクリスマスだ。お子さんに、そしてお孫さんに、という方々がもちろん多いけれど、ご家族にも、また彼に、彼女に贈る方もたくさん来られる。

 特に絵本は、受け皿が広い。楽しさや面白さや、ほろりとくる切なさや悲しみ、それに時にはどこか懐かしさも伴って、あらゆる年齢層の方が手を伸ばされるのを見てきているから、やはり、自分でも買ってしまうことが多いのだけれど、

 「おー、一花ちゃん、今年も結構買ったねえ」

 「……その、ついつい」

 クリスマス(イブではなく)の営業が違算もなく無事に終わった、帰り際。

 藤宮駅のホームに向かう、上り階段の途中、後ろから追いついてきた池内さんに笑いながら言われて、わたしはちょっと顔を赤くした。

 「いやー、書店員としては見上げたもんよー?やっぱ、全然興味のないもの人様に売るのもなんだしねー。ところで何冊?」

 「五冊です。あと、父と母に頼まれた新刊も二冊」

 普段レジで使用している中でも一番大きなバッグに、みっちり、という感じで詰まったそれを持ち上げてみせると、わたしはそう応じた。

 社割があるからと言って、あまり調子に乗ってはいけない、と思いつつも、仕入れ先の営業さんに勧められ、自分でも色々と売れ筋も含めリサーチしているうちに、これだけになってしまって、おかげで大変重くなってしまった。正直、紐が切れないかだけが心配だ。

 「ま、絵本は結構大判が多いもんねー。よし、ちょっと持ったげる」

 「え、そんな、申し訳ないです」

 「いいからいいから、あたし腕力には自信あるしー。それにさー」

 あっさりとわたしの遠慮を抑えつつ、文字通りに軽々と重いバッグを持ち上げてみせた池内さんは、にっ、と何か含んだ笑みを向けてくると、

 「千穂ちゃんと津田、なーんか雰囲気変わった気がすんだよねー。そこらへんちょっと聞いてみっかなーなんてさー」

 ……そんな予感はしていたけれど、やっぱり。

 「でも、あんまりご期待に添えられそうにはないんですけど」

 そう前置きしてから、わたしは並んで階段を上り始めた。微妙に出て来るタイミングを誤って、次の電車まではまだ七分ほどあるから、幸い時間的には支障もない。

 高架の上にあるホームに辿り着くと、途端に身を切るような冷風にさらされて、慌てて待合室の中に入る。と、無事に並んで座るなり、池内さんは深々と息を吐いて、

 「津田がね、みょーに大人しいんだよねー。って言っても、落ち込んでるとかそんなんじゃなくて、なんかふっきれたっぽい?みたいな」

 「……ですよね」

 それは、わたしも少し感じていたところなのだ。あの、バルイベントの日以来。

 結局あの後、わたしと店長さんは先に決めたルートで駅前まで戻り、津田くんと千穂はなんとか手帳も見つけて、遅くなったのでそのまま別々に解散、となったのだ。

 千穂のところに日参するのは相変わらずだし、テンションも前と変わらないように見えるのに、なんというか、押しが若干緩くなった感じがする。その分、千穂の反応もどこか柔らかくなった気がして。

 しかも、昨日はちゃんと、二人でご飯を食べに行ったりしてるみたいだし。プレゼント受け取ってもらえました!という、お礼含めた歓喜の報告も来ていたから、少しづつ何か近付いてはいるのかな、とは思うのだけれど。

 と、わたしの話(ちなみに、メールのことは除く)に、池内さんは軽く頷くと、

 「千穂ちゃんさ、ぶっちゃけ身持ち固いじゃん?好みじゃなかったらさりげなく引くし、かわし方も上手なんだけど、その分、相手が本気入ると弱そうなんだよねー」

 「……池内さん、楽しんでますね」

 「あ、ばれたー。いいじゃん、色恋沙汰って対岸からにやにや見てるのが一番楽しいんだもーん」

 でも、ポリシーとしていらないことは言わないよ!と、胸を張ってみせた池内さんは、ふとわたしに視線を向けてくると、ずばりと聞いてきた。

 「で、一花ちゃんの方だけどー、あの店長さんとはどうなってんの?」

 「ど、どうにもなってません!」

 突然そんなことを振られて、一瞬でうろたえてしまったわたしは、その後電車が入ってくるまでの間、次々と繰り出されてくる矛先をかわすので精一杯だった。

 ……というか、池内さん自身は、とか返さない方がいいよね、多分。



 そして、その翌日。

 わたしは、しろくろの入口の前で、呆然と立ち尽くしていた。

 「……どうしよう」

 常ならず、きっちりと閉まったシャッターの上には、白い貼り紙がしてあって、


 『都合により、本日12月26日は臨時休業とさせていただきます

  明日以降の営業予定は、お電話またはブログにてご確認ください』


 クリスマス需要で、連勤の波をようやく越えて辿り着いた、お休み。

 いざ癒されに、と思っていたところで、まさか臨時休業などとは思いも寄らず、しばしぼうっとしてしまっていたが、

 「ブログ……見れば、何か分かるかも」

 ようやくそれに思い至って、わたしは鞄からスマホを取り出すと、しろくろのブログを開いてみた。すぐに最新の記事を確認すると、目に入った文字にすっと胸が冷える。



 本日、臨時休業致します


 店主です。

 今朝がた、アユタヤが右前足を負傷しました。

 状況から推察すると、どうしたものかケージの隙間に挟んだようです。

 現在、かかりつけの病院にて検査結果を待っているところで、

 本猫は足を軽く引きずっている以外は、元気な模様です。

 取り急ぎ、お知らせまで。



 ……良かった、大怪我というわけじゃないみたい。

 画像も添付されていて、店長さんの膝の上に座っているアユタヤが、ちょっと右前足を曲げているものの、青い瞳は生き生きとして綺麗なままだ。

 記事が更新された時間を見ると、午前十一時過ぎ。今は午後三時を過ぎたところだから、もう診察も終わっているはずだろうけれど、こういう事情ならば仕方ない。

 また来よう、と踵を返しかけたところで、ふと何か聞こえた気がしてそちらを向く。

 すると、通りに面した窓から、すっかり見慣れた姿がこちらを覗いていて。

 「あ、白玉!」

 硝子に手を掛けて、かりかりと引っ掻くようにしているのを見つけて、思わず走り寄る。

 よく見ると、奥には他の皆もいて、気付いたクロエとストライプが揃って寄ってきた。夜には寝床部屋に入れる、とは聞いていたけれど、まだ昼間だから店内にいるのだ。

 カネルはどこかな、と、白玉に声を掛けつつも奥を見てみると、何故か、和室ゾーンでうろうろと落ち着かなげに歩き回っていて、どうしたんだろう、と思っていると、

 「あいつ、多分責任感じてるんですよ」

 「わ!?」

 いきなり背後から掛けられた声に、わたしは変な声を上げつつ振り返った。

 と、そこには、肩から布製のキャリーケースを下げた、店長さんが立っていて。

 「あ、ええと、お、お帰りなさい」

 まさかこんなタイミングで戻ってこられるとは思わず、目に見えてどもりながら、そう挨拶をしてみると、店長さんは驚いたように眉を上げて、

 「……はい。ただいま帰りました」

 いささか苦笑気味にそう返してくれると、今開けますから、と、コートのポケットから鍵を取り出す。キャリーケースをそのままに開けようとするのに、わたしは傍に寄ると、

 「あの、宜しければそれ、持ってますから」

 「いいんですか?でも、結構重いですから、気を付けて」

 そう言って、揺らさないように気遣いつつ、肩から持ち手をゆっくりと外すと、バッグ部分を高く持ち上げて、こちらに手渡してくれた。

 両腕でしっかりと抱えてしまうと、中から小さく、アユタヤの甲高い声が耳に届いて、良かった、と息をつく。その間に、店長さんは屈み込むと、勢いよくシャッターを上げ、引き戸の鍵も手早く開けてしまうと、

 「有難うございます。良かったら、猫どもと遊んでいってやってください」

 「え、でも……お休みなんじゃ」

 「そのつもりですけど、もうこいつがおさまらないと思うんで」

 と、キャリーバッグを引き取ってくれた店長さんが顔を向けた方を見ると、その足の間から白玉が、頭をぬっと突き出していて。

 とても不服そうに、うーなんっ、と一声鳴くと、じっと緑の瞳をわたしに向けてきた。



 それから、少し申し訳ない気持ちながらも、お店にお邪魔させていただいて。

 アユタヤが落ち着けるよう、店長さんが別室で段取りをしている間に、白玉たちを見ている役目を仰せつかってしまったのだが、

 「落ち着かないの?カネル」

 いつもの如く和室ゾーンに座ったわたしは、ちゃぶ台付近をうろうろと歩いている彼にそう声を掛けてみた。んなっ、と鳴き声が返ってきたものの、動きは止まらない。

 他の子たちは、帰ってきたアユタヤの匂いを嗅いで、病院で移ったのだろう薬品の残り香に反応したりはしたものの、店長さんにも宥められて、すぐに落ち着いた。だけれど、カネルだけはずっとこの通りなのだ。

 今は、厨房横の奥に向かう廊下は、普段は開け放たれている引き戸で遮られている。時々そこまで行っては、短く鳴き声を上げて、しばらくすると戻ってくる。

 わたしは、膝の上の白玉を床に下ろして立ち上がると、彼に近付いていった。何事か、という風に見上げてくるカネルを、身を屈めて撫でてやると、

 「大丈夫、アユタヤ、もう帰ってきたから。心配なら、治るまで、優しくしてあげるといいよ」

 通じるかどうかは分からないけれど、そんな思いを込めて、そっと喉を撫でる。眉間や耳の横も、指先でゆっくり撫でてやると、気持ちいいのか、じっとされるままになって。

 そうしていると、ようやく引き戸が開いて、アユタヤを抱いた店長さんが入ってきた。途端にぱっと顔を上げたカネルが、一目散に走り寄っていったかと思うと、

 「あ、こら!お前もでかいんだから飛びつくな!」

 ……も、というのは、白玉のことだろうか。

 ともかく、店長さんのパンツに爪を掛ける勢いでよじ登りかけるのをそのままに、和室ゾーンに踏み込むと、座布団の上にそっと彼女を下ろす。まだ、怪我をした足をやや引きずっているものの、わたしと目が合うと、すぐに寄って来ようとするのに、

 「無理しちゃだめだよ!今日はサービスしなくていいんだよ!」

 焦ってそう言う間にも、彼女はゆっくりと目の前までやってくると、反射的に伸ばした手のひらに、ぐりぐりと頭をこすりつけてきてくれて。

 その横に、カネルが座り込むと、揃えた足に長い尻尾を巻き付けて、じっとその様子を伺っていて。

 「結局、捻挫でした。レントゲンの結果も異常なしです」

 店長さんの声に顔を上げると、これまでの経過を説明してくれた。

 今朝早く、枕元に置いていたスマホから、突然何かが落ちる音が響いたので飛び起きてみると、ライブカメラには、倒れて派手にゆがんだケージと、その間に前足を挟んでいるアユタヤが映っていたそうで、急いで駆け付けたのだそうだ。

 かかりつけの病院に着いて、待ち時間の間に映像を確認したところ、カネルがケージに飛び乗った時に、爪を掛け損ねてバランスを崩し、重みと勢いで倒してしまって、それにアユタヤが巻き込まれた、ということだったのだが、

 「こいつ俺が来るなりアユタヤよりにゃあにゃあ鳴いて、周りをうろうろするんですよ。助けてくれ、って感じで、それに他の猫どももつられてうろたえちゃって」

 「大変でしたね……それで、アユタヤはこのままで大丈夫なんですか?」

 「ちょっと動く様子見てたんですけど、平気そうです。炎症を起こしてるので、抑える薬は貰ってきたし、もう、一回飲ませてくれたんで、だいぶ効いてきてるみたいですよ」

 確かに、ゴロゴロと喉を鳴らして、機嫌も良さそうだ。撫でてやりながら、良かったね、とほっと息をつく。しばらくそうしてやっていると、やがて自分から座布団の上に丸まり、あくびをしたかと思うと、短く息を吐いて目を閉じ、眠ってしまった。

 そこに、カネルが寄ってくると、しばらく鼻を近付けて、ひくひくさせていたけれど、やがて寄り添うようにして丸くなる。

 「……看病、かな」

 「さすがに、いつもより調子が落ちてる時は分かるみたいです」

 ちょっとそっとしときましょう、という店長さんに促されて、わたしはカウンターへと移動した。気付けば、白玉たちもその周りに集まって、固まって眠り始めている。

 まるで定番のようになってしまった暖かい緑茶を受け取ると、わたしはあらためて店長さんに謝った。いつもブログの更新は夜だから、昨晩見てすっかり油断していたのだ。

 カプチーノを淹れた店長さんは、珍しいことに隣の椅子を引いて座ると、いえいえ、と笑って、

 「めったにないことですからね。今までは暴れても怪我はしたことなかったんですけど、ひょっとすると、カネルが太ってきたのもあるかもしれません」

 「……そのうち、白玉サイズになるんでしょうか」

 「それは勘弁して欲しいですね」

 通院が大変になるんで、と言って思い切り眉を寄せた店長さんに、つい笑ってしまって。

 それから、お茶がなくなるまで、あれこれと話してくれた。カネル発見時の大捕り物のこととか、ストライプを狙っていた近所の雄たちの話とか、裏話的なことを。

 やがて、窓の外から差してきたオレンジの光に、ふと顔を上げると、もう午後四時半になっていた。猫たちに目をやると、姿勢は微妙に変わっているものの、アユタヤを中心にまだ眠っているようで。

 本来お休みだし、いくらなんでもそろそろおいとますべきだ、とわたしは内心で頷くと、今日の目的を果たすべく、持参したものを鞄から取り出した。

 動きに気付いて、つとこちらを見てきた店長さんに、ずい、とそれを突き出すと、

 「これ、クリスマスプレゼントです。当日は来れなかったので」

 「え?……俺にですか?」

 当然ながら、面食らった様子にちょっとひるみつつも、はい、と応じて、

 「その、こちらの蔵書に加えて頂ければ、って」

 紙のバッグに入った、リボンをかけた薄い包みの中は、今月発売されたばかりの絵本だ。

 細密な風景の中に、猫を始めとしてさまざまな動物たちがどこかに隠れている、というもので、探す楽しみがふんだんに盛り込まれている。

 特に、猫たちは作者のお気に入りなのか、見開きに必ず一匹はいて、姿も色々で、実はこっそりと、白玉たちに似ている子もいて。

 そう説明すると、店長さんは包みを開けて、しばしぱらぱらとめくっていたけれど、

 「いいですね、これ。有難うございます」

 ふっと目を細めて笑うと、そう言ってくれた。……良かった。

 緊張が解けて、俯いて詰めていた息を吐き出していると、また笑い声が聞こえて。

 「やっぱり、職業柄選ぶのが上手いですね」

 「いえ、まだまだ、です。好きこそものの、くらいにはなりたいんですけど」

 でも、それだからこそ、こんな風に喜んでもらえると嬉しいから、日々なんとかやっていけているわけで。

 と、包装紙を几帳面に折り畳んでから、バッグに戻しかけた店長さんが、もうひとつの包みに気付いて、戸惑ったように取り出してくると、

 「これも、ですか?どうして」

 「本当にたくさん、お世話になったので。それと、見てもらったら分かるかな、って」

 開けてみてください、と、遠慮を吹き飛ばすように勧めてみると、店長さんは困惑した表情のまま、ツリー型のタグのついた袋を、そっと開けて。

 中身を取り出すと、手のひらの上にそれを乗せて、目を見開いた。

 贈ったのは、この間『熊とみつばち』で買った、猫のぬいぐるみだ。これは差し上げるべき、と思ってしまったのは、いくつかの理由がある。

 まず、毛色が白黒のぶちであること。そして、アクセントに掛けられている、眼鏡だ。

 小さなそれを、まじまじと上から下まで見つめていた店長さんが、ふと呟く。

 「……なんか、俺っぽい?」

 ようやく零れ出た言葉に、わたしはぱっと顔を上げた。

 考えていることが、同じところに辿り着いてくれた、ということが、無性に嬉しくて。

 「そうなんです!何か細めてる目のあたりとか、眼鏡も掛けてるから、余計に雰囲気が店長さんだな、って!だから……」

 そう言葉を続けかけて、音になって零れる前に、ふっと気付いて。

 うろたえが表に出てしまう前に、次を待ってくれている店長さんが、すっと顔を向けてきて、まともに視線が合って、しばし。

 「……中屋さん?」

 「は、はい!あの、ですから宜しければ、受け取ってください!」

 語尾を濁しまくりつつも、有無を言わせない勢いで、わたしはそう言い切った。


 だって、そんなの、言えるわけがない。

 だから、手元に置いておこうか、凄く迷ってしまった、なんて。


 しきりと恐縮してくれる店長さんに頭を下げつつも、顔が赤くなってないといいな、と思いながら、わたしは膝に置いた拳を、ぎゅっと握りしめた。

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