二人と二人

 師走も二十日ともなれば、一気に年の瀬、という雰囲気が周囲に満ちてくる。

 商店街あげての歳末セールは言うに及ばず、どの店もクリスマス・お正月関連のものが入り乱れているし、特に紅白をそこここのディスプレイにあしらった陳列の様を見ているだけで、今年もあっという間だったな、と空を仰ぎたくもなるわけだが、

 「あーもう楽しみっすねー!小倉さんどんな格好してきてくれたのかなー!あ、今朝はせっかく俺も早出だったのに、すれ違いでぜんっぜん見れなかったんすよね!」

 すぐ隣で、相変わらず無駄にエネルギーを放散している感じで喋っている津田に、何もかもが吹き飛ばされた気がして、俺は眉を寄せると、

 「ほとんど立ち飲み食べ歩きがメインなんだから、そんなに綺麗な格好はしてられないだろ。年々来場者も増えてるみたいだし」

 「それでもやっぱ期待したいじゃないですか!個人的な希望としてはやっぱスカートがいいなーって思うんですけど、日置さんはどうっすか?」

 「……常識的な格好であれば、俺は文句ないよ」

 何しろ、津田は仕事帰りなわけだから、グレーのスーツにシングルのトレンチコート、というベーシックな通勤スタイルだし、俺に至っては普段の格好と寸分違わない。第一、ついさっきまでいつも通りに猫どもの世話をしていたわけだから、着替えるという発想もそもそもなかった。一応、食べることを考えて、猫の毛だけは念入りに取ってきたけど。

 それにデートってわけじゃあるまいし、と内心で呟いたところで、前に津田が主張していた単語をふと思い出しはしたものの、軽く首を振ってその考えを振り払う。

 ともかく余程奇抜な格好でなければそれでいいし、彼女の性格からしてそんな妙な服はチョイスしないだろう。前に見た私服も、大人し目の可愛い感じだったし。

 「それにしても、人多いっすねー。去年より確実に増えてますよ」

 「協賛店が増えたせいだろ。ちょっと距離あるけど、北町の商店街も参入したし」

 女子二人を待つのに、俺と津田が立っているのは、リーヴル長月の非常階段前だ。本来職員しか入れない位置だが、混雑を避けるのに有難く便乗させてもらっている。

 元より立地がまさしく駅前一等地なので、改札からの人の流れを見て取るのには最適な場所になる。実際、広い駐輪場の一角にはテントが建てられ、事務局が案内所として借り上げているし、スタッフの腕章をつけた人達が入れ代わり立ち代わり、忙しそうだ。

 今年は参加要請人員からは外れたので、少しばかり気は楽だ。去年はこんな風に、のんびり構えてなどいられなかったし、と思い返していると、

 「すみません、お待たせしました」

 もう、すっかり聞き慣れた声を耳にして、俺は振り返った。

 いつか見た白のショートコートに、ふわふわとした素材のクリームイエローのマフラー。それに暖かい色合いのランダムボーダーのスカート、ブラウンのブーツ姿の中屋さん。

 そしてグレーのフードコート、ゴールドのスタッズの散ったネイビーのフレアパンツに、黒のヒールの高いブーツを合わせた、小倉さん。

 ふんわりとすっきり、という感じで、どっちも感じがいいには違いないのだが、二人の性格が出てるなあ、とか思いながら、どうも、と会釈する。と、

 「小倉さん!スカート……じゃないけどミニ丈可愛いっす!」

 「もう、飛びつかない!待て!ハウス!」

 「……津田、リアルで犬扱いですね」

 「条件反射に期待した方がいいよ、って、池内さんがアドバイスしたみたいです」

 「あいつの場合、真面目に犬笛使った方がいいかもしれませんね」

 間髪入れずに走り寄った津田を、思い切り突き出した両の腕で押し戻している小倉さん、という状況に、俺は思わずそう提案してしまった。

 と、中屋さんが俺を見上げて、何か確かめるかのように幾度も瞬くと、とん、と自身の眉間を指してみせた。

 「店長さん、今日は、しろくろじゃないんですね」

 「ああ、あれは宣伝用なので。普段はもっぱらこれです」

 そう応じると、俺も鏡写しのように、フレームの中心を指で上げてみせた。

 至極シンプルな、表は黒、裏面は渋めのグリーンのセルフレームで、ともかく軽いし、ズレも緩みもほとんどないから、長く使っている。

 ちなみに両方とも実家近くの眼鏡屋で買ったものだが、たまに店主がとんでもセンスを発揮するため、あんなめったと需要のなさそうなものが、普通に陳列されていたわけで。

 そう言うと、中屋さんは小さく微笑んで、

 「でも、どっちも、なんだか店長さんにぴったりです」

 「……それは、どうも」

 不意打ちで、こうも真っ直ぐに言われてしまうと、妙にくすぐったい。もちろん、嫌だというわけではないけど。

 津田みたいなあからさまな方がダメージ少ないな、と一瞬考えていると、

 「二人ともー!さっさと行きましょうよー!」

 「ちょ、馬鹿、まだご挨拶もしてないでしょ!?」

 ちゃっかり小倉さんの腕を取って、いつの間にか人波の中に入り込んだ津田が、少し先からぶんぶん手を振っている。……やっぱり、前言撤回しとこう。

 「じゃあ、行きますか」

 「はい。宜しくお願いします」

 丁寧に頭を下げてくると、いざ行かん、という感じで、肩に掛けた鞄から、チケットと出店マップを取り出した中屋さんに、俺は自然に笑みを誘われていた。



 それから、喧騒の中を四人揃って右往左往しつつ、ぐだぐだながら小倉さんとも挨拶を済ませ(何故かいきおい全員の名刺交換になった)、ようやくアーケード内に入って。

 「うっわ、すっげえ込み具合……これ、片っ端から攻略してくしかないっすよね」

 「だろうな。テイクアウトメインだし」

 そう言いながら、俺は混雑している会場を見渡した。それなりに道幅のある商店街は、常なら無造作に停められている自転車なども綺麗に撤去され、代わりにさまざまな屋台とベンチがずらりと並んでいる。それでもまあ、ほぼ満席だが。

 すると、中屋さんと額を寄せて、マップを覗き込んでいた小倉さんが頷いて、

 「じゃあ、近いところから行こうか。一花、タコス食べてみたいって言ってなかった?」

 「うん。でもかなり辛いらしいし、飲み物用意した方がいいよね」

 「あ、じゃあ、俺と日置さんでドリンク班、小倉さんと中屋さんでタコス班でー」

 「ちょっと待て、メニュー結構種類あるぞ。どれにするんだよ」

 などと、手分けして進み始めると、後は早かった。最初にビールとタコス、次がケバブ、バルイベントらしくタパスの盛り合わせ、各種ピンチョスなど、なんだかんだと食べて。

 少し進んでは座って、皆で持ち寄ったものをつつきあったり、隣に座った団体とあれが美味かった、などと情報交換したり、お互いに持ってる食べ物をトレードしたり。

 周囲も皆、多少アルコールが入っているせいか、いい感じに上機嫌で、騒がしいけれど、声高にはなっても険悪にはならなさそうな、どこか緩やかな雰囲気だ。

 と、ふと気付くと、隣に座っている中屋さんが、真剣な面持ちでマップを見つめていて。

 「中屋さん、何か悩んでますか?」

 「あ、はい……そろそろお腹いっぱいになってきたんですけど、どうしてもこれが気になって」

 その指先が指していたのは、意外にもピロシキだった。ひき肉、ジャガイモ、茹で卵、チーズや茸など、中身には色々と種類があるようで、デザートっぽい果物入りもある。

 揚げじゃなくて焼き、って珍しいな、と思っていると、津田がさっと手を挙げて、

 「はーい、俺も締めにあといっこだけー。このフィッシュアンドチップスが食べたいんですけどー」

 「でもそれ、美味しいけど量あるよ。ひとつだけにしとく?」

 「ですね。四人だったら楽勝でしょうし。あとデザートなんかはー」

 「まだ入るんだ……ていうか、全然いっこだけじゃないじゃない」

 続く会話に顔を向けると、残りチケットとマップを前に、小倉さんと間近に顔を寄せて話している様子は、どう控え目に見てもカップルにしか見えない。

 ちなみに、酔いがそれなりに回りつつも、津田は常にがっちりと彼女の横をキープすることだけは忘れていない。ある意味、見上げたものだ。

 と、ルートを確認するように、顔を俯けて、マップを指先でなぞっている小倉さんを、津田がじっと見つめていて。

 ためらいつつも何か言いかけるように唇を動かしたけど、声になることはなくて、また口を閉じる。その思い詰めたような表情に、何かばつの悪い思いになって顔をそらすと、丁度、ぱっと顔を上げた中屋さんと目が合って。

 「決めました!この林檎とカスタードにします!」

 いきなりきっぱりと宣言されて、俺は思わず眉を上げると、とりあえず尋ねてみた。

 「もしかして、ずっと悩んでたんですか」

 「……はい。優柔不断なもので」

 三分くらい悩みました、と、どこか恥ずかしそうに返されて、硬くなっていた気持ちがほろりとほぐれる。……なんか、ちょっと。


 可愛いな、この人。


 「あ、やっと決まったんだ。じゃあさ、広場経由で一筆書き出来るから、こう行けば」

 「分かった。それで、ポミエの横の裏道から抜ければいいよね」

 すぐさま向き直ってきた小倉さんと中屋さんが、てきぱきと最終ルートから帰り道まで決めていくのをぼうっと見ていると、ふと、視界に津田のにやにや笑いが入ってきて。

 うるさい、お前だって人のこと言えないだろ、と声に出さずに睨み返すと、やれやれ、とでも言いたげな、肩をすくめる仕草が返ってきた。

 ……どうでもいいけど、やられると結構むかつくな、これ。



 ともかく、そこからは女子二人に先導される感じで、ゆるゆると人込みを抜けて。

 少し前を歩きながら、予想よりは小さかったピロシキを半分こにしている中屋さん達を眺めつつ、なんとなく津田と並んで歩いていると、ふいにため息が聞こえてきた。

 「なんだよ。せっかく望み通り彼女も一緒だってのに、何へこんでんだ」

 「いやー……なんか、時々すっごい波が来ちゃうんですよね」

 「波?なんだそれ」

 「あー、マジでこの人好きだな、って」

 さらりと、それこそ臆面もなく吐き出された台詞に、呆れるよりはむしろ感心してその顔を見ると、意外にも真面目な表情で。

 伸びをするように両腕を上げてから、そのまま頭の後ろで組んでしまうと、

 「でも俺もう、小倉さんに一回言っちゃってるんですよねー。だからって、何回も言うのもおふざけみたいに取られちゃいそうで、それだけは口に出来なくなっちゃって」

 お誘いだけなら何パターンでも浮かぶんですけどねー、と、どこか自嘲気味に呟くのに、俺は先を行く二人に目をやった。

 つられるように、津田も視線を動かすと、すっと目を細める。

 辿る必要もなく、それぞれに追う先が異なっていることを、確かめたいかのように。

 「別に、そう気負わなくてもいいんじゃないのか」

 「……どういう意味っすか?」

 組んだ腕を解いて姿勢を正すと、こちらをじっと見据えてくるのを放っておいて、俺は足を進めながら言葉を投げた。

 「どうせ、言わずにいられなくなる時が来るだろ」

 お前のことだから、とはあえて付け加えなかったのは、言えた義理か、と、胸の奥底で何かがさざめいた気がして。

 「……うん、そうかもしんないっすね」

 背中に、苦笑交じりのような津田の声がぶつかって、ついてくる気配が続く。そろそろ前の二人に追いついた方がいいか、と振り向きかけると、何やらばたばたと音がして、

 「何やってんだ?」

 「いや、手帳が見当たらなくて……こっちのポケットに突っ込んどいたはずなのに」

 「落ち着けって。とにかく全部調べてみろよ」

 コートのポケットをひっくり返して、やけに焦っている津田に、とりあえずそう勧めてみる。と、内ポケットからパンツ、ジャケットまで調べてみても出て来ないようで。

 途端に顔色を変えると、しばらくその場に立ち尽くしていたが、はっと顔を上げて、

 「あー!さっきの店で俺、たぶんカウンターに置いた気がする!すいません、ちょっと行ってきます!」

 でかい声で叫ぶと、一瞬のうちに踵を返して、まだ流れてくる人波の中へと飛び込んで行ってしまった。見る間にその背中が遠ざかって、視界から姿を消してしまう。

 すると、こちらの様子に気付いたのか、軽い足音とともに中屋さんが駆け寄ってきた。

 「店長さん、津田くん、どうしたんですか?」

 「何か、手帳を忘れたそうです。さっきの店かもしれないって言ってたんですけど」

 えらく慌てていたことも伝えると、追い付いてきた小倉さんが、さっと心配そうに眉を寄せて、

 「それ、たぶん仕事用のものだと思う。津田くん、普段からマメにメモ取ってたから」

 「あ、あの黒いやつ……」

 「ごめん、一花、ちょっと探してくる。店長さん、この子宜しくお願いします」

 また連絡します、と言い置いて頭を下げると、小倉さんも津田に負けず劣らずな勢いで背中を向けて、そのまま走り去ってしまった。

 「えっ、待って千穂、わたしも手伝うよ!」

 それを追って、慌てて駆け出そうとする中屋さんに、俺はとっさに手を伸ばして。


 コート越しに掴んだ腕が、えらく細いな、とひとごとのように思って。

 驚いて振り向いたその表情に、なんでだか一瞬、見入ってしまったけれど。


 「その、中屋さんまでいなくなったら、俺ひとりになっちゃいますから」

 やっと転がり出た台詞はといえば、またこれが、あからさまともいえるようなもので。

 俺は誤魔化すように、コートのポケットからスマホを取り出すと、津田に向けて、ごく短いメールを打ってから、

 「とりあえず、あいつから連絡来るまでは、二人ずつで」

 そう言って、なんとかいつものように笑ってみせると、中屋さんは瞬きをひとつして、それから、おずおずと小さく頷いた。

 「すみません、わたしまでうろたえてしまって……それで、あの」

 「はい。こちらこそ、大変失礼を致しました」

 そう軽く言ってみせながら、ずっと掴んでしまっていた腕を、そっと離す。


 少しだけ惜しいような、でも今は、これでいいような。


 触れていた熱の名残りを、曲げた指先に感じながら、俺はふとそんなことを考えていた。

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