雲と月
そこそこ遅い時間に店を出たので、電車で帰る中屋さんを、二人で駅まで送って。
日置さんはいつものようにチャリで移動、俺はといえば、たかだか二駅の距離だから、腹ごなしがてら歩いて帰ることにした。途中まではルートが一緒なので、ついでに色々と話も聞いて欲しかったし、小倉さん関係で。
「なんか、相手の人三つ年上の人だったらしいんすけど、やっぱ急遽来ることになったから乗り気じゃなかったみたいでー。いやー、小倉さん好みの人じゃなくて良かった!」
「はいはいおめでとう。しかし、彼女の好みのタイプって、お前と真逆だろ?ここからどうすんだよ」
「避けられない事実を投げて来られても俺はくじけませんよ!だって年下なのはしょうがないし、落ち着きと頼りがいはこれから徐々に築いていくものですから!」
もちろん甲斐性も重要ですよね!と力説してみると、日置さんは俺の顔を一瞥してから、しみじみとため息を吐いた。
「悪いけど、落ち着いたお前とか、ぜんっぜん想像もつかないわ」
「そんなひどい!それにそういうものは年齢相応に備わっていきがちじゃないですか!」
「ある程度、性格もあるとは思うけどな……まあ、まず仕事からちゃんとやってけよ。初年度はともかく、二年目からはお前自身が先輩になり得るんだし」
「半年前に池内さんにマジ蹴りされてからはケアレスミス消えましたよー……それに、小倉さんからも中屋さんからもチーフからもアドバイス貰ってますし、マニュアル作りも頑張ってますよー……」
「そこで小声になるなよ……さっきの無駄な勢いをエネルギーに変換すればいいだろ」
「いやー、一旦ブーストかかるとなかなか止められなくてー」
「小倉さんに軽蔑されるシーンとか思い浮かべてみれば?」
「……リアルに想像出来そうで怖いです」
真面目に有効そうだけど、下手すると立ち直れなくなりそうだ、などと思っていると、日置さんはわずかに声を低めて、
「それと、俺はいいけど、あんまり中屋さんをダシにするなよ」
そう言われて、さすがに俺はぎくりとした。顔を向けると、細めた目が静かにこちらを睨んでいて、
「……すいません」
言い訳のしようもなく、俺は頭を下げた。確かにここのところ、小倉さんを誘うのも、話しかけるきっかけにもさせてもらってて。
というのも、彼女はあまり恋愛系の話に乗ってこない。自分のことになると照れがあるのか、すぐにはぐらかしちまうしで。だから、中屋さんと日置さんの話を切り口にして、それとなく誘導したりしていたのだ。実際、ほんの少しだけど、聞けたこともあるし。
やっぱ弁解じみてるな、と思いつつもそう言うと、日置さんは眉を上げて、
「俺に謝るくらいなら、さっさと自力で進めろよ。年末も近いし、色々とイベント的な機会もあるだろ」
「そ、それはもちろん頑張りますよ!」
「……なんでそこでどもるんだよ」
すかさず突っ込まれて、俺はいやー、と頭を掻きつつも誤魔化した。だって、ちょっと考えてたこともあるんだけど、先に釘刺された格好になっちゃってるし。
また戦略練り直さないとなあ、とへこみつつも、ふっと小倉さんの横顔が浮かんで。
「それにまあ、全く見込みがないってわけじゃない、って思うんだよなあ……」
「口に出てるぞ。お前、考えが年中だだ漏れなのは真剣になんとかしろよ」
「……だって、常に言っとかないと、他の男に取られるかもしんないじゃないっすか」
正直な話、俺フィルターがかかっていなくても、小倉さんは綺麗だと思う。同期会とか、すぐ隣に男が寄ってくるっていうし、頻繁に来る営業さんたちにも人気あるし。
だから、気持ちは変わってないし、絶対諦めません、って、いつでも示しときたくて。
まあ、興奮するとストッパー外れるのは、元からだけど。幸いというか、周りの人達がよってたかって突っ込んでくれるので、それに甘えてる部分もあるかもしれない。それに、
「真面目に迫ったら、なんか、それこそ逃げられそうな気もすんですよねー……」
ほんとはもっと、距離を詰めたい。一緒に飲んでる時だって、触れたりしてみたいけど、まだそこまでは踏み込ませてくれない気がして、いつも手を止めてるのに。
と、日置さんが明らかに意外そうな顔で、こちらをじっと見ているのに気付いて、俺は慌てて話題を変えた。
「それに、日置さんだって人のこと言えないっすよ。さりげなく『中屋さん』って呼称変わってるじゃないすかー」
「この間言われたんだよ。様付けは落ち着かないから、外してくれないかって」
「……それ、店の中でじゃないっすよね?」
すかさず返ってきた答えに、雑談的に、小倉さんの中屋さん評をあれこれと聞いていた俺は、すぐにピンときた。
真面目、大人しくて人見知り気味、慣れるまでに時間が掛かる、という、俺から見てもそうだよなー、とすぐに分かる特徴の他に、どこまでも内と外をきっちりと分ける、という点がある。
実際、上司や先輩にあたる立場の人なら敬語を決して崩さないし、お客様の前となれば、うっかり誰かを名前やあだ名で呼ぶことなど、まず考えられない。
そんな人が、店長たる日置さんのお店の中で、『中屋さん』呼びなどをさせるわけがないわけで。
と、論拠を嬉々として述べてしまうと、日置さんは心底嫌そうに顔をしかめて、
「変なとこでカンの良さを発揮するよな、お前」
「それで今までの人生八割方クリアしてきましたから!それに、中屋さん、親切だから特にご年配の方に人気だし、よく息子のお嫁さんにー、とか話しかけられてますし」
だからさっさと攻めちゃってもいいんじゃないすか、などと軽く言ってみる。
と、日置さんは寄せていた眉を緩めると、ふっと顔をそらして。
「……ただでさえ呪われかけてる自覚あるのに、勘弁してくれよ」
呟くように、微妙によく分からない台詞を言うと、そのままチャリを押して、また歩き始めた。その様子に、さすがにふざけ混じりの言葉を投げる気も失せて、黙って続く。
さっきの、スマホでのやりとりが一通り終わるまで、二人とも律儀に待ってくれてて。
俺が顔を向けると、何やら仲良さ気に少しだけ顔を寄せて、小声でやりとりもしてて、なんていうか、いい感じなんじゃねえのかな、って突っ込みたかったんだけど。
……もしかして、まだ、気持ち一方通行的な?
小倉さんも、あの子はほんっと鈍いんだよね、ってはっきり言ってたし、日置さんも、何かと慎重そうだし。
だけど、相当気に入ってなければ、わざわざ戸口近くに『マイコロコロ』置き場を作ってあげるとか(まあ、これは他のお客様にも好評っぽいけど)、今日みたいに、店のことを手伝ってもらうとか、なかなかしないと思うんだけど。
日置さん、元々自分で何もかもやりたいタイプだ、って、雲井さんも言ってたし。
そう考えているうちに、さっき泣く泣く没にしたはずの案が、再び俺の中でむくむくと頭をもたげてきた。……よーし。
「日置さん!俺、マジで頑張って彼女誘いますよ!」
「いきなり叫ぶなよ!……ったく、立ち直り早いなあ」
呆れたような声を上げつつ、肩を竦めた日置さんの視線が、何かを捉えて細められる。
その先を追うと、住宅街のしん、とした道なりにぽつぽつと灯る街灯の向こう、遠景の黒い山並みの上に、薄く雲がかかっていて。
「あー、光ってるけど、見えないっすね」
それを透かすように、白い光を放つ源があるのは分かるけど、丸いのか半月なのかすら見て取れない。ただ、何か引っ張られるような、そんな感覚があるような気がして。
いつか、薄雲が晴れて、見れる日がくるのかな。
柄にもなく、少しだけ詩的なことを思いながら、俺は空を仰いで、見透かすように手をかざしてみせた。
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