パンと昼食

 午後一時になると、一旦店を閉めて、俺はたいてい駅前の商店街にチャリで向かう。不足しているものの補充はもちろん、銀行に行ったり昼飯を食ったりと、何かとやるこ とはあるもので。

 しろくろの近くには、どちらかといえば事務所などの店舗が多く、飲食店はあまりない。 だから、買い物を済ませた俺は、なんか買って帰るかな、とチャリを押していたのだが、

 「……あれ、中屋さん?」

 一瞬反応が遅れたのは、それがウィンドウ越しだったというのもあるが、初めて見る姿 だったからだ。つまり、猫対応仕様のパンツスタイルではなく、白の暖かそうなショート コートに、何か花のようなレースのような模様の、膝丈スカート姿で。

 彼女を見つけたのは、喫茶店併設のパン屋だった。カスクートやらサンドイッチやら、 惣菜系パンをメインにした店で、近所のよしみもあり俺も良く使うのだが、


 ……なんか、凄い楽しそうだな。


 店に何度か来てもらっているうちに分かってきたことなのだが、彼女は惹かれるもの、つまり猫どものことだけど、それらを目の前にすると、なんというか、幸せそうな気配をぱあっと振りまくのだ。この前も、カネルに初めてごろん、と腹を出された時がそうで。

 今も同じように、頬をちょっとだけ染めて、たくさんのトレイや籐の籠に盛られているそれらを、トング片手に迷いながら店の中をうろうろとしている。

 手にした白いトレイの上には、結構な量のパンがすでに乗っていて、何人前なんだろう、と思いつつも見ていると、やがてぴたりと足を止めた。

 目の前には、色々な形のフランスパンが並んでいて、丸いボールのようなものと、切れ目のような線が縦横に入れてあるものとを見比べながら、ちょっと困ったように眉を下げ、じっと考え込んでいるようだった。

 その表情が、どうにも初めて見かけた時のような、微妙な表情で。

 思い出し笑いをしつつも、俺は手を伸ばして、こんこん、とガラスを叩いてみた。

 途端に、何事か、とびくりとして顔を向けてくると、こちらを見つけて。

 慌てて会釈をしようとして、はたと気づいたかのように山盛りのトレイとトングを見比べて、何故かおろおろと赤くなってしまった。

 しまった、困らせたかな、と思いつつも、なるべく平静を装ってチャリを軒先に止めると、俺も店内に入って行った。と、おずおずと中屋さんから挨拶をしてくれて。

 「こんにちは。お昼ですか?」

 「ええ、そのつもりで。そちらは買い出しですか?」

 その時点で、トレイに乗ったパンは、ざっと見た限りで十個。デザート的なデニッシュから、がっつり系惣菜パンまで色々だったから、まさかこれだけを一人で、という訳ではないだろう。

 そう水を向けると、案の定、まだほんのりと頬を染めた中屋さんは、小さく頷いて、

 「家族の分もなんです。わたしも好きなんですけど、特に父が良く食べるもので」

 「そんな感じですね。あ、さっき、迷ってらしたやつですけど、俺は個人的にこっちが好きです」

 と、切れ目の入った方のパンを指差してみせた。表面がパリッとして、中がふんわりとしているのはどっちも同じだが、手で簡単に割れるところが楽でいいのだ。

 「なるほど……今日の献立には向いてますね。じゃあ、こっちにしよう」

 実にすんなり決定してしまうと、有難うございます、と律儀に頭を下げた中屋さんは、次第に混んできた店内を見て、そろそろレジに向かおうというのか、踵を返しかける。

 その肩を、俺は手を伸ばして、何気なくぽん、と叩いてしまった。

 驚いたようにこちらを向いた彼女に、内心で少しだけ焦りつつも、気付けばすらり、と言葉は出ていて。

 「良かったら、一緒にイートインで昼飯食べて行きませんか。お急ぎじゃなければ」


 ……ちょっと待て、なんだよ、このナンパみたいな台詞。


 反射的にセルフツッコミを入れつつも、返事を待っていると、中屋さんはぱっ、と顔を明るくして、

 「丁度、食べて帰れたらな、って思ってたんです。こちらこそ、お願いします」

 そう返してくれながら、初めてふわっ、という感じで、笑ってくれて。

 思わず、まじまじとその表情を見返していると、中屋さんはふと慌てた様子になって、

 「ごめんなさい、店長さん、まだ選んでらっしゃらないですね。どうしましょう、先にレジ済ませて、席取っておきましょうか?」

 「そうしていただければ、助かります」

 後から追い掛けますから、と言うと、はい、と頷いて、今度こそレジへと向かっていく。

 それをなんとなく見送りながら、何かえらく感慨深い心地で。

 というのも、最初に会った時から、数えておよそ一か月。

 やっと笑ってくれたのが、猫相手じゃなくて、まさか俺に向けてなどとは思いも寄らず、どうにもくすぐったいような気持ちを、俺はひたすら持て余していた。



 それから、しっかり取っておいてくれた窓際の席に、向かい合わせで座って。

 俺はオリジナルブレンドにハムとチーズとレタスのカスクート、中屋さんは砂糖なしのカフェオレにBLT。イートインだと、もれなくサービスでポタージュ付きだ。

 いただきます、の挨拶ののちに食べ始めながらも、なんとなく彼女の様子を見てしまう。

 俺の方は片手で掴んでそのままかじれるけれど、中屋さんの方はトーストサンドだから、しっかりと両手で持って、中身が零れないようにしつつも、そっと一口かぶりついて。

 ゆっくり咀嚼していくうちに、次第にじんわりと、あの幸せそうなオーラが滲んできて、俺は笑いながら声を掛けた。

 「美味いですか?」

 「あ、はい、美味しいです」

 そう言うと、集中して食べていたのがほろりと崩れる感じで、小さく息を吐く。まるで猫の相手をしている時と同じで、失礼ながら面白い。

 いい加減、俺も腹が減っていたので、しばらくそうしてお互いに黙々と食べていたが、

 「そういえば、さっき言ってらしたことなんですが」

 ふと、引っ掛かっていた一言について、そう切り出してみた。不思議そうに顔を向けてきた中屋さんに、言葉を続ける。

 「確か、『食べて帰れたらな』って思ってた、でしたね。もしかして、何か予定があったとかじゃないんですか?」

 見たところ、あの時点で店はピークを過ぎて空いていたし、座れないということはない。これが『食べて帰ろうと』思ってた、なら話は分かるので、気にならなかったのだが。

 すると、中屋さんは、何故かわずかに頬を染めて、恥ずかしそうに口を開いた。

 「その、大変情けない話なんですが……ひとりで、こういうお店で過ごすのが苦手で。というか、ちゃんと行けたためしがなくて」

 聞けば、いわゆる『おひとりさま』が、勇気が出なくて出来ないそうなのだ。今日は、久しぶりの半日休暇の日で、買い出しついでに挑んでみよう、と思ったらしいのだが、

 「一度は、よし、って思ったんですけど、いざ、ってなると身構えちゃって。それで、ひとまず落ち着こうと思って店内を巡ってたら、パンは増えちゃうしで」

 そこに、俺が現われて声を掛けたものだから、ああいう反応になってしまった、ということだった。……しかし、それだと、俺が結果的にチャレンジを邪魔したわけか。

 そう考えてみると、さらに気になることが出てきて、続けて尋ねてみる。

 「それじゃ、しろくろに来てもらった時も、かなり緊張してたんですか?」

 「……お見込みの通りです」

 まるで小さくなりたいかのように身を竦めた中屋さんに、俺は何やら申し訳ない気分になってしまった。

 というのも、店の前で彼女に声を掛けるまでに、その姿をニ度ほど見かけていたのだが、一度目は、一旦店を通り過ぎて、戻ってきはしたものの、そのまま帰ってしまって。

 二度目は、通りの向かいまではやってきたけれど、しばらく様子を伺ってから、諦めたように立ち去ってしまって。

 だから、三度目で、ようやく手の届く所まで来てくれた時は、正直嬉しかったのだ。まるで、おそるおそるだけど近付いてきてくれた、警戒心の強い猫のようで。

 「すみません。何度も驚かせてしまって」

 俺が軽く頭を下げると、慌てたように、いいえ、と返してくれた中屋さんは、しばらく言葉を選ぶようにしていたが、


 「あの時、店長さんが声を掛けてくださったから、猫たちにも会えましたし。だから、今日も、背中を押していただいて、有難うございます」


 ひとりで、はまた頑張ります、と、小さく口元をほころばせて、控え目に笑ってくれた。

 どういたしまして、と無難に返しつつも、にわかに沸き上がるくすぐったさに襲われるのは、どうにも避けようがなくて。

 再び、前職と今の商売で鍛えたポーカーフェイス(と言う名の愛想笑い)を無理矢理に貼り付けて、俺は誤魔化すようにコーヒーを口に含んだ。



 その後は、まだ彼女も時間があるということだったので、外出中及び帰宅中限定ライブカメラの様子を、俺のスマホで見てもらうことにして。

 しろくろがややアシンメトリーな巴になっていたり、ちょっかいを出されたアユタヤがカネルに相当容赦ない蹴りを入れていたり、それを、ストライプが悠々高みの見物をしていたりと、結構楽しんでもらえて。

 おかげで、三時から店を開けるのに、あやうく間に合わなくなるところだった。

 ……津田の呪い、なんか微妙に発動してる気がしてきた。まずいな、これ。

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