名前と由来
名前というものは、人に限らず、何かと話題になるものだ。例えば、どんな理由付けでそうなったのか、だとか、何故あえてその字にしたのか、など、話し出せばきりがない。
だから、父がそのあたりに言及し始めたことも、当然の流れだったわけで。
「……どうしてクロエは
「そうみたい。でも、クロじゃいっぱいるから、エをつけたら響きが気に入ったので、って聞いたよ」
自宅のリビング、母の趣味でキルトのカバーを掛けた、ふかふかとしたコーナーソファ。
ノートパソコンをテーブルに据え、その短い一辺を陣取っている父に、わたしは、店長さんから聞いたそのままの話を返すと、膝に置いていたタブレットに目を落とした。
開いていたのは、しろくろのブログだ。そして父もやはりというか、同じものを自身のパソコンで、じっと見つめている。時折、おお……というような嘆声を上げたりしつつ。
今日も更新されていて、メインには大あくびをしながら伸びをしているカネルの写真が載せられている。昨日はストライプが中心だったから、万遍なく五匹のファンに配慮してるんです、という店長さんの言葉通り、日替わりでメインがきちんと変わっている。
それにしても、いい瞬間を切り取るのが凄く上手だなあ、と感心しながら見ていると、また父が顔を上げて、
「すると、白玉は見た目通りなのか。ストライプも
「あ、でもその二匹は、店長さんが付けたんじゃないんだって」
「なんだ、どういうことだ?」
髪よりもなお黒々と濃い眉を寄せ、眉間に皺を寄せつつ尋ねてきた父に、わたしはその経緯を話し始めた。
しろくろにお伺いするようになって、三回目の時。
前回と同じように、入るなり白玉がまた全力で懐いてきてくれたので、抱えたまま和室ゾーンに移動して、温かいお茶を出していただいて。
他の常連さんにかなり羨ましがられながらも(彼女のファンだそうだ)膝に乗っている白いふかふかの背中を撫でながら、かねてよりの疑問を店長さんに尋ねたのだけれど、
「ご推察の通り、白玉は見たまんまです。小さい白毛玉から、でかい白毛玉にはなりましたけどね」
「小さい……」
あまり子猫を見たことのないわたしは、思わずじっと彼女を見つめてしまった。御年は四歳ということだから、すっかり成長しきっているので、なかなかその姿は想像できない。
すると、ふいに立ち上がった店長さんが、カウンターの向こうに入って行ったかと思うと、ノートパソコンを持って戻ってきた。ちゃぶ台の上にそれを乗せると、何やら素早く操作を繰り返していたが、
「あ、あったあった。これ、白玉の小さい頃です」
三か月くらいだったかな、と説明してくれながら、今よりもずっとふわふわとした毛玉(もう、そうとしか言いようがない)の動画を見せてくれた。
それはもう、惹き付けられる、としか表現しようのないもので。
「……可愛い」
幼い生き物には、生き抜くために、問答無用で守りたくなるような愛らしさが備わっているというが、それをまざまざと見せつけられるようだった。
三分ほどの長さの間、微動だにせずじっと見ていると、ふいに膝の白玉が身じろぎして。
ふと顔を向けると、何やら不服そうに、なーおぅ、という感じで声を上げる。と、
「それ、今は見る影もないけどお前だぞ。何ヤキモチ焼いてんだ」
呆れたような店長さんの言葉に、わたしは慌てて白玉を撫でてやると、酷く言い訳めいたことを言ってしまった。
「今は今でちゃんと可愛いよ?でもあの、ちっちゃい頃の魔力みたいなものがあって」
「ああ、わかります。綿毛みたいで素直に可愛い、って思えただろうな、って」
その言葉にふと顔を上げると、店長さんはわたしの顔に浮かんでいた疑問を察したのか、またマウスを動かすと、
「白玉は、俺が最初から飼ってたわけじゃないんです。事情があって譲り受けたんですけど」
それがこいつです、と、背中に白い猫を貼りつかせた男性の画像を見せてくれた。
こちらに背を向けているので、顔は分からない。だけど、肩幅が広く上背のある方で、白玉を負っていても苦にもならないように、ぴんと真っ直ぐな姿勢を保っている。
……それにしても、白玉、背中に登るのがほんとに好きなんだなあ。
「前の仕事してた時の同期なんですけど、ちょっと遠い支店に転勤することになって。長くなりそうだから、こいつをどうするか、って話になったんです」
その方のご実家は猫を飼ったことがなく、預かるのは無理だというので、里親を探すということになったのだが、挙げられた要件を満たす相手がなかなかいない。
そこで、当時一人暮らしを始めて間もない店長さんに白羽の矢が立った、ということで。
「そいつ曰く、『完全室内飼い、猫を飼った経験がある、俺の納得するだけの知識がある』ってことで、まあなんとかいけるかな、と」
ちなみにこの場合の知識とは、例えば食物に関する禁忌だとか、猫の命に関わるような項目だったそうだ。他にも幼いころから、ご実家にはいつも猫(時には犬や鶏も)がいたということが決め手になったそうなのだが、
「でもまあ、最終的な決め手は別にあったんですけどね」
「どんなことですか?」
「俺が病気した時とかに、代わりにこいつの面倒を見られる人間が用意できるか、ってことだったんですけど、うちは親も姉も揃って猫好きだったんで」
今も、店長さんが体調不良だったり、所用でお休みを取られる時は、ご家族と調整して猫たちの面倒を見てもらうそうだ。それは、盤石の態勢でとても良いことだ。
「それで、しばらく警戒されながら暮らしてたら、次にクロエが来たんです」
その店長さんの声に、呼ばれた、と思ったのか、二つのゾーンを仕切っている棚の上で寝そべっていたクロエが、むくりと起き上がった。前足を伸ばして、背を大きく反らせ、うん、とばかりに伸びをして身を震わせると、そのまま近付いてくる。
丁度棚を背もたれにするようにしていたから、こちらが向けた顔に構わず突進してくる様子に目を見開いていると、ふいに白玉が膝を蹴って飛び上がった。
あ、と思っている間に、棚の上に軽やかな動きで乗ってしまうと、顔を寄せたクロエと、そっと鼻面を合わせている。まさしく、しろくろ、だ。
そんなことを思いながら見ていると、手を伸ばした店長さんは、クロエの頭を撫でて、
「今みたいに、俺の家の窓越しに、こうやって白玉と見合ってて。また、白玉が怒りもしないんで、半月くらい様子見て、飼うことにしたんです」
初めて会った頃のクロエは、生後六か月ほど。まだ育ち切っていない子猫だったそうで、野良らしくやせ気味で、こんなに艶々はしていなかったという。
そこから、何故か、猫が次々と店長さんの元にやってきたそうだ。
アユタヤは、知人の知人が拾ったものの、飼育不可な物件に住んでいたため、メールでヘルプが飛んできたのがきっかけ。温和なので、すぐ他の猫とも馴染んだという。
カネルは、ご実家の物置にどうやってか入り込んでいるところを、タヌキと間違えられつつも、お姉さんとご両親が大騒ぎの末捕獲。……確かに、遠目ならそう見えるかも。
彼は、やってくるなり全ての猫たちと喧嘩したけれど、三日目に、見事に白玉にノックアウトされて、それからは『分をわきまえる』ようになったそうだ。
ちなみに、アユタヤは原産国の地名から、カネルはある言語で『
そして、最後がストライプだったそうで、
「このビル四階建てなんですけど、俺が来る前から、気付くと階段に寝そべってたそうなんです。で、テナントに入ってる人たちが餌やって面倒見てるうちに、皆が好き勝手に呼ぶようになって」
彼女を引き取ることとなり、そのうちのひとつを選んだそうだ。それ故に開店してからも、テナントの方々を始め、近所の方から餌などをご厚意でいただいているとのことで。
「縞々の、招き猫ですね」
「おかげさまで。実際、上の階に入ってる会計事務所さんなんかは、『猫カフェが目印です』って説明してくださってるんで、ついでに来て下さる方も多いですね」
いっそのことカネルと対にしましょうか、と小さく笑いながら、ふと店長さんが何かに気付いたように目を見開く。それを見て、何だろうとその視線を追って首を巡らせると、思わず声を上げてしまった。
「は、申し訳ありません!つい子猫に我を忘れまして!」
「お前は……全く、電車の座席に登る子供みたいなことを」
そこにいたのは、カフェゾーンに座っていらした背の高い男性と、ソファに乗り、棚に手を掛けて、精一杯背伸びをしているらしい(というのも、随分ぷるぷるしていたので)、小柄な女性のお二人で。
「無念ですが、そろそろ限界です……!」
顔を真っ赤にしつつも、いよいよ力尽きたのか、とすん、と踵を下ろした女性の頭を、男性がたしなめるように軽く叩くと、
「すみません、連れが不躾な真似を致しまして」
「あ、いいえ、わたしも見入ってしまっていたので……あの、交代しましょうか?」
「いや、良かったら、こちらでご一緒にどうぞ」
と、立ち上がった店長さんが、ちゃぶ台の周囲に座布団を並べながら言ってくれた。
「まだまだ秘蔵の画像がありますから。そうですね、クロエの子猫時代とか」
「それは見たいです」
つられて即答してしまったわたしに、店長さんはしてやったり、という感じで、すっと口角を吊り上げた。……本当に、こちらの気を惹くのが上手だなあ。
そんな次第で、そのカップルさんと並んで、次々と繰り出される可愛いものを見させてもらって、今回も満足して帰ってきたのだが、
「なに、子猫の画像はどこだ!ブログにはアップロードされていないぞ!」
「まだ編集中、だって」
子猫時代は、たくさん撮りためてはいるけれど冗長なので、試行錯誤しているそうだ。
アドベントカレンダー的にアップしていく予定です、と聞いているので、年末にかけて楽しみが増えるよ、と伝えると、低く唸りつつも、父は納得した様子で。
「仕方がないな……それにしても、随分、その店長さんとやらは親切だな」
「うん、良くしてくださるね」
わたしが一人で行く、ということもあると思うのだが、必ず何かと話し掛けてくれるし、白玉の重みで足が痺れそうになっていると、上手くタイミングを見計らって抱いて行ってくれたり、とても目配りが行き届いている。
もちろん、常連さんや、お会いしたカップルさんのような初めての方にも、親切で。
そう言うと、父は何故か眉間の皺をひときわ深くして、軽く咳払いなどしてみせると、
「一花、つかぬことを聞くが、その男性は、その、ひ……」
「ひ?」
「いや、まあ、そのな」
何やら、にわかに口ごもっている様子に、わたしはしばらく考えて、ふと思い当たった答えを告げてみた。
「日置さん。名前、間違いないよ、津田くんに聞いたから」
「……そうか。日置くん、だったか」
ゆっくりと、噛み締めるように店長さんの名前を繰り返すと、また眉根をきつく寄せた。
その後は、母が淹れてくれた紅茶を三人で飲んで。
しろくろからの帰り際、タイムセールにつられて買ってきたショートブレッド(幸い、大変美味しい)を食べながら、父がとんでもない要望を出してきた。
「ガラス張りの、例えばサンルームのようなスペースを設ければ、私のような体質でも、間近にあの子たちの姿を拝めると思うんだが……」
どうだろうか、と真面目に提案されたわたしは、店長さんに話しておくね、とは言ったものの。
……きっと触りたくなって、余計に身もだえしそうなんだけど、どうだろうか。
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