十一月
小春
人の繋がりというのは、意外なところから判明したりして、驚かされることがある。
わたしの職場は、本当に地元近くだから、たまにご予約のお客様が同じ学校出身と判明したり、社内でも結構、その手の話では盛り上がったりもするのだが、
「え、しろくろの店長さんと、知り合いなの?」
午後十二時五十五分、リーヴル
昼休憩のついでとはいえ、わざわざここに寄ってきた津田くんに報告されて、わたしは驚いた。というのも、いつも彼はシフトが合おうが合うまいが、真っ先に
「そーですよー、高校が一緒だったんです。つっても、年が全然違うんでかすりもしてなかったんですけど」
それにしても、中屋さんが猫好きだったなんて知りませんでしたよー、と続けられて、素直に色々と驚いていたわたしは、はたとあることに気付いた。
「ちょっと待って。そもそもなんで君が、わたしがあのお店に行ったことを知ってるの?」
店長さんは、元よりわたしと津田くんの関わりなど知らないはずだし、何よりその日は
それなら、お店に伝えた情報が、何らかの形で彼に伝わった、としか思えないわけで。
そう指摘した途端、やべっ、という感じの焦り顔になった津田くんに、わたしは思わず眉を寄せると、
「そういう顔するってことは、君が原因?それとも店長さんが言ったの?」
「いや、日置さんは言わないっすよ!その、俺が見たのはたまたまで!」
「見たって、何を?」
さらにそう切り込んでいると、口を開きかけた津田くんの背後から、見慣れた姿が近付いてきた。
「一花ー、今日はチーフに早く出してもらったよー。ご飯行こー……」
と、小さく手を振りながら、いつものように声を掛けてきた千穂が、そのままの格好で驚いたように眉を上げて、
「津田くん?また何か一花に怒られてるの?」
「うわ、小倉さん!?いや、違わなくもないんですけど仕事のことじゃないっすよ!」
「だったら、個人的なこと?それだったら、余計に悪いじゃない」
目に見えてうろたえる津田くんに、ますます厳しい視線を向けた千穂は、すっと視線をわたしに移すと、
「ま、とにかくもう昼休みになっちゃうし、吐かせるのは仕事終わってからにしようか」
「ええっ、じゃあ小倉さん、今晩俺に付き合ってくれるってことですね!?うっわマジ嬉しいんですけど!」
「……いいの?千穂、この解釈で」
「一花も来てくれるんなら別にいいけど、なんか予定ある?」
一気に満面の笑みに変わった津田くんのあしらいにももう慣れた様子で、さらりとそう尋ねてきた千穂に、わたしは頷くと、
「猫カフェに行くの。さっき、津田くんと話してたところなんだけど」
「ああ、こないだ言ってた……」
と、千穂の言葉にかぶって、店内放送が流れ始めた。音楽とともに午後一時、つまり前・後シフトの休憩時間終了と開始を知らせるものだ。というわけで、
「やっべ、
「はいはい、転んでもいいけどお客様と商品にはぶつからないようにねー」
「何気にひどい!でも俺、負けませんからねー!!」
千穂にそう叫び返して、四階に向かって足早に歩き去っていく(さすがに社会人だし、走ったりはしない)津田くんを見送りつつ、少し離れた書架の前に立つ、フロアチーフに声を掛けてから、二人並んでバックヤードに向かった。
フロアの構造は各階とも概ね同じで、北端の職員用扉を出ると真っ直ぐに廊下が伸びていて、左手に広い倉庫がある。その奥に、女子は二階、男子は三階に、それぞれ更衣室があり、ともに十畳ほどだ。
二階の更衣室は、壁際のぐるりに個別のロッカー、部屋の真ん中に長めのソファが据えられていて、ここでお弁当を食べたり喋ったりも出来るので、なかなか過ごしやすい。
ともかく、時間が勿体ないので、制服の上に付けていたエプロンを外して鞄を持つと、更衣室を出る。廊下奥にある通用口を抜け、非常階段に出ながら、千穂が振り向いてきた。
「で、猫カフェだけど、確か先週行ったんでしょ?また頼まれたの?」
「それもあるけど、猫って、意外と可愛かったから」
実は、千穂にはしろくろに行くことになった事情を、簡単に話してある。というのも、ジャージを着ているのを、その日の朝、更衣室で見とがめられたからなのだけれど。
まあ、いつもは無難にニットアンサンブルに膝丈スカート、それからブーツにコート、というような格好だから、周囲のツッコミは覚悟で職場に来たのだ。
……予想よりも厳しかったのは、致し方ない、だろう。多分。
そう言うと、千穂はうーん、と声を漏らして、
「猫は私も嫌いじゃないからいいんだけど、今日の服装はやばいんだよね……」
「そういえば、ふわふわしたニットだったね」
「うん、正直、爪引っかけられたら泣くかも。けど、津田くんと二人も微妙だしなあ」
「……彼、泣くと思うよ、それ聞いたら」
とは言いながらも、常にあのテンションで接してくるのだから、気持ちは分かる。彼はなんというか、懐き方が大型の犬みたいだ。しかも、あまり躾けられていない、というか。
硬い音を立てながら、金属製の非常階段を降り切って、通りに出てしまうと、わたしは言った。
「じゃあ、わたしは先にお店に行くから、その後で合流しようか?」
今日のシフトはわたしが早番、千穂と津田くんが遅番だから、二時間半先に出ることになる。それだけあれば、猫たちと遊ばせてもらうには、十分だ。
「いや、それだけ拘束されるのもかなりきついから……うーん、ちょっと対策考える。一花は、明日また早番でしょ?なんとかするから、ゆっくり行ってくるといいよ」
「分かった。でも、万が一の場合は連絡」
してね、と言いかけた時、目の前をすうっ、と、何か見たような色が過ぎていって。
思わずぱっと顔を向けると、向こうも気が付いたのか、視線の数メートル先で、とても鮮やかな空色の自転車(でも、どう見てもママチャリ)が止まって、乗った人がこちらを振り向いてきた。
……やっぱり、しろくろだ。
あの左右ツートンの眼鏡を今日も掛けている店長さんは、わたしを認めるなり、器用にくるりと自転車の向きを変えて、そのまま引き返してきた。さすがに寒いから、カーキのフード付きのコートを羽織っている以外は、初めて会った時のような格好だ。
「やっぱり、中屋様でしたか。お久しぶりです」
「あ、はい、ご無沙汰しております」
わざわざ自転車を降りて、軽く頭を下げながらそう言われてしまって、わたしは慌てて礼を返した。……でも、様付けされるような身分じゃないのだけれど。
なんだかこそばゆいような気持ちになりながら顔を上げると、眼鏡の奥の瞳がちょっと細められて、口元が微かに緩んで。
「ひょっとして、今日あたりご来店いただけますか?」
「え、そのつもりだったんですけど、どうしてお分かりに」
驚いてそう尋ね返すと、店長さんは目を見張って、それから小さく吹き出して、
「いや、またカマ掛けてみただけです。なんとなく、っていう兆候はなくはなかったんですけど」
「兆候……?」
それはなんでしょうか、と聞きかけたわたしの肩を、後ろに立っていた千穂がぽん、と叩いてきたかと思うと、
「一花、お昼、時間やばいよ。先に行って席取っとこうか?」
「ごめん、行く。あの、店長さん、お引き止めしてすみません、またお伺いします」
「こちらこそ、お待ちしてます。特に、白玉が」
気になる一言を付け加えてきた店長さんに、あらためて頭を下げると、千穂に謝りつつ目的の店に向けて歩き始める。まだお昼時だから、楽しみにしていたランチが売り切れてしまうかもしれない。そういうわけで、二人とも早足になっていると、
「さっきの人ってさ、一花が言ってた猫カフェの人でいいの?」
「うん、店長さんだけど」
千穂の言葉に何気なく顔を向けると、何故だか真面目な表情で、そのままじっと見つめられてしまって、わたしは少しうろたえた。彼女は、元々はっきりとした二重で、大きな瞳をしているから、こうされるとなんだか落ち着かなくなってしまうのだ。
「な、なに?」
「んー、なんでもない。小春日和かなーって」
「……結構寒いと思うよ、今日」
突然、見当違いなことを言い出した(時期的には合っているけれど)千穂に、わたしはどんよりとした曇り空を見上げて、とりあえずそう返しておいた。
そうして、幸いなことにさほどの波乱もなく、いつもの通り仕事を終えて。
わたしは、宣言通りにしろくろに向かうと、思わず左右を確認してから、引き戸に手を掛けた。
「……失礼します」
万が一だけれど、猫たちが飛び出してくるといけないから、そろそろと開ける。今日は時間が早いから、さすがに他のお客様もいるようで、
ともかく、靴を揃えて上がると、この前のように消毒を済ませ、藍ののれんをめくろうとしたところで、隙間からぬっ、と突き出てきた腕に先手を取られてしまった。
「あ、これはすみません。いらっしゃいませ」
「い、いえ、こちらこそ。こんばんは」
ぶつからなくて良かった、と思いながら手を引っ込めて、本日二度目の挨拶をなんとか返すと、エプロン装備の店長さんは、いえいえ、と応じながら、ちょっと笑って、
「白玉センサー、なかなか高性能ですよ。ほら」
不思議な台詞を告げてくると、その足元から、するりと姿を現したのは、言葉通り白玉だった。相変わらず、艶々とした綺麗な毛並みの尻尾をぴん、と立てて、のしのしと傍にやってくるのに、撫でようと身を屈めると、
「わ!?」
前触れも何もなく、いきなり軽く曲げた膝の上目がけて、大きな身体が飛びついてきて、わたしは慌てて声を上げた。とっさに腕を回して、落とさないように抱きとめたものの、
「ま、待って、白玉。コート脱ぐから、あの」
「こらお前、甘え過ぎだろうが。すみません、一旦引き取ります」
そう宥めるように言いながら、店長さんがすぐに助けてくれようとするものの、白玉はがっちりと爪を立てて、しがみつくようにして、さらには肩にまで登ってきてしまって。
そのままとても機嫌がよさそうに、耳元でゴロゴロと喉を鳴らし始めたので、わたしは息をつくと、
「……差支えなければ、このままお邪魔してもいいでしょうか」
「もちろん。けど、そいつが重くて辛くなったら、すぐに言って下さい」
苦笑交じりにそう言ってくれた店長さんに頷きを返すと、わたしは白玉の背中を撫でてやりながら、よいしょ、とどっしりとした身体を抱え直した。
……なんだか、小さな子に甘えられてるみたい。
可愛いな、と思いながらのれんをくぐると、どうしようかな、と店内を見回す。今日は、見たところカップルらしき男女が二組という状況で、綺麗にカフェゾーン、和室ゾーンに分かれている。
そして、それぞれに猫たちが二匹ずつ(カフェがストライプとカネル、和室がクロエとアユタヤ)ついていて、なんというか、肩を寄せたりして、大変に仲睦まじい感じで。
「あの、カウンター、座ってもいいですか?」
「どうぞ。良かったら、ここで飲み物お出ししますから」
あれはきっと邪魔をしてはいけない、との意図が伝わったのか、店長さんは、わざわざ椅子を引いて、座るように勧めてくれた。
白玉はまだまだ降りる様子が見えないので、有難く掛けさせてもらうと、カードスタンドに挟んである、小さなメニューに目を向ける。
と、その隅にも白玉と、縞々のストライプらしきイラストが、ちょこんと描かれていて。
「それ、津田にさんざん突っ込まれたんです。ヘタウマだとかって」
唐突に後輩の名前が耳に飛び込んできて、わたしが顔を上げると、店長さんはすまなさそうな表情で、困ったように髪に手をやると、
「あいつから、さっきメールが来てたんです。『すんません、中屋さんに俺うっかり言っちゃったっす!』って」
「あ、昼の……」
それから店長さんは、津田くんにわたしのことが漏れた経緯を、細かく話してくれた。
彼が高校時代の後輩、ということも驚きだったけれど、一緒にご飯を食べに行くような仲の良さだと聞いて、余計にびっくりしてしまった。ちなみに、しろくろを開店したのは二年前、それから津田くんが今年の春、新規採用で入ってきた、という時系列だそうで。
お互いに、最近までその関係性すら知らなかったそうだけれど、偶然にしては恐ろしいくらいのニアミスだ。
「とはいえ、俺がうかつだったんです。営業時間外とはいえ、トップに表示したままで開いてあったのは、完全にこっちのミスですから」
そう言って、申し訳ありません、と深々と頭を下げられて、わたしはすっかり恐縮してしまって、慌てて立ち上がると、
「いえあの、凄く危険な姿を見られたとかいうわけではありませんし、ジャージ姿は、もう職場でそれはありえない!とかさんざん突っ込まれたので、今更というか、とにかく全然平気ですから!」
腕に白玉を抱き締めたまま、そう一息に伝えてしまうと、一瞬、店長さんは虚をつかれたような表情になって。
それから、くるりとわたしに背を向けると、俯いて、肩を小さく震わせ始めた。
「……店長さん?」
「いや、大丈夫です。失礼をして……けど」
片手を軽く挙げてみせてから、ようやくのことで振り向いてきた店長さんは、くくっ、と喉を震わせると、
「なんか今の、ツボで。すみません、笑ったりして」
……笑ってたんだ。何か、機嫌悪くされたのかと思った。
ともかく、まだ少し笑いの余韻が残っているのか、抑えるように咳払いをしたものの、わたしと白玉を見直すなり、さらにこらえきれないように吹き出してしまった。
「ええと、いいですよ、おさまるまで存分に笑っていただいても」
「すみません、ほんとに。あー、呪いの余波かなあ、これ」
そんなことを言いつつ、他のお客様のこともあるのか、控え目に笑い続ける店長さんを、わたしはいささか、複雑な心持ちで見つめていた。
それから、しばらくして落ち着いた店長さんに、お詫びです、とお茶をご馳走になって。
結局、また閉店ぎりぎりまで猫たち(主に白玉)と、たくさん遊ばせてもらった。
最後に、カードにスタンプ(小さな肉球)を押してもらったのだけれど、こっそりです、と、ふたつ余分につけてくれたので、ふと思い立って尋ねてみた。
「これがいっぱいになったら、どうなるんですか?」
カードには、『30個溜まったら、なにかいいものを差し上げます』とだけ書いてあって、気にはなっていたのだ。すると、店長さんは、軽く口の端を上げて、
「今、絶賛作成中です。もし気になるんなら、またいらしてくだされば有難いんですが」
「あ、はい。お伺いします」
思わず、興味をそそられてしまうような言葉に、一も二もなくそう応じると、よし、というように、白玉は小さく鼻を鳴らした。
何か、わたしの言ってること、分かってるみたい。
……スタンプが一杯になる頃には、もっと、他の子とも仲良くなれてるかな。
そんなことを考えながら、わたしの右足に身体をこすりつけている白玉の眉間を、店長さんに教えて貰った通りに、ぐりぐり、と指先で撫でてやった。
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