某大賞一次落ち  作品の戦闘シーン

 答えは明白だった。まるで、ドブ川を沸騰させたかのような叫び声を上げて全裸男が突進してきたのだ。股間のイチモツを盛大に揺らして。わざわざ近付いてくる敵を前にして鬼灯は右横へ軽く跳び、渾身の下段蹴りを敵の両足へと叩きつける。フルコンタクト空手を模倣した硬い脛による一撃だった。《ブレイク酵素》によって活性化された細胞は脛と股関節を重点強化し、鞭のようにしなる強撃へと、フレイルのインパクトを完全再現する。

 筋肉が軋み、骨が折れる音が室内に響き渡る。男が〝その場〟で一回転し、そのまま盛大に尻餅をついた。鬼灯は今、蹴りだけで男を回したのだ。唖然とする龍子の前で、少女は嫌悪感丸出しの表情で小さく鼻を鳴らしたのだった。

「右足の頸骨と左足の膝蓋骨を折らせてもらった。これでもう貴様は歩けん。貴様のような糞野郎には二足歩行という高尚な行為を許さない。私が貴様を見下ろす。貴様は私を見上げる。これこそが、真理。ああ、なかなかに愉快だぞ、我が同胞よ」

 裸男は呻きながら少女を見上げる。虚ろだった瞳に映るのは憎しみか、怒りか、あるいは悲しみか後悔か。一方、鬼灯の目は爛々と輝くのだ。頬が上気する愉悦が心臓を甘く揺する。口の端からついつい、笑みが零れてしまう。そして、とうとう《ホルダー》の娘はケタケタと笑いだした。まるで、山に住まう人食い鬼が小僧の尻に包丁を突き立てたかのように。あるいは、ようやく死に場所を見付けた軍人のように。

 倒れていた男の顔から切り傷が消えていたのだ。少なくとも瘡蓋になって剥がれ落ちるまで十日以上かかる傷がわずか数分足らずで治癒していたのだ。だから、鬼灯は泣くように笑いながら、優しく、激しく、ゆっくりと、早く、語るのだ。

「見付けた。ようやく見付けたぞ〝同胞〟。我が〝はらから〟よ。こんなところで出会えるとは思ってもみなかった。ええ、おい。なんで今更になって出てきた? 何があったコイツ? 珠樹はまた何かを隠してるのか? 私はな、糞野郎。あの日、どれだけの数が逃げおおせたのか知らん。だからこそ、決めたのだ。手掛かりには貪欲になろうとな。――しかし、しかしなぁ残念だ。貴様の商品的な価値はない。何故なら、他に見ている者がいるからだ。私の眼はホルスの心眼ではないが、自分が撃ち殺したい敵程度なら、容易に見通せる。何故か? そのように私自身がカスタマイズされているからだ。だから、残りの言葉はそこで丸くなっている〝貴女〟に与えよう」

 鬼灯が首だけを曲げて龍子と目を合わせた。切れ長の目を持つ女は、びくりと肩を震わせながらも、こちらから目を背けようとはしなかった。少女は嬉しそうにウンウンと頷く。

「良い心がけだ。ならば、私も親切になろう。こういうのは徹底的に痛めつけるべきだ。そうでなければ、後々で面倒だからな」

 鬼灯はおもむろにテーブルの上に置かれていた分厚い硝子製の灰皿を掴み取った。それを、両足が折れて立てなくなった男の頭部目掛けて全力で投げつける。まるで、鉄球がコンクリートを砕いたような重い音が空中で破裂した。後頭部に直撃した硝子が粉々に砕け散る。おびただしい量の鮮血が漏れ出し、まるで後ろ髪が伸びるかのように男の背中を赤い汁が撫でた。確実に頭蓋骨が二、三センチ陥没している。突き刺さったままの硝子は、まるで鬼の角のようにも見えた。衝撃が脳を揺らしのだろう。ぐらぐらとヤジロベエのように上半身が揺れ出す。

 男の口から言葉にならない声が漏れ出すも、折れた足ではどうしようもない。鬼灯は薄い三日月のような寒々しい笑みを浮かべたのだった。

「どれだけ身体を鍛えても、どれだけドラッグジャンキーになろうとも、どれだけ人外に成り果てようとも、脳への衝撃など克服は不可。私はクロノスの神ではないが、人間の時間を止める方法などいくらでも知っている。貴女に教えてやろう。〝化け物の殺し方〟を」

 鬼灯は手品のようにいつの間にか大振りのナイフを右手に握っていた。逆手に構え、頭を地面にくっつけようとするかのように不自然な前傾姿勢を取る。それは獲物を見付けて殺気立つ狼の後ろ姿に良く似ていた。少女の可憐な唇から鉄錆びを想わせるほど禍々しい妖気が漏れ出す。――《ブレイク酵素》発動。ギアを一段階、加速させる。

「         スッ        

 シィイイイッ!!」

 瞬間、鬼灯の姿が消えた。いや、いた。ちゃんと地面に両足をつけていた。――ただし、今の彼女にとって天井が地面で、地面が天井だった。それは、一蹴りの軽やかな跳躍から三メートル以上の高さがある天井に吸いつくように着地した結果だった。あまりにも流麗だからこそ、見る者に重力の存在を忘れさせるほどの冴えとなっていたのだ。ツーサイドアップの髪だけがだらりと下がり、さらに動きは加速する。天井を蹴り、一気に墜落。逆手持ちの刃で、男の背中を首筋から腰椎の半ばまで一気に切り裂く。ぱっくりと、まるで熟れた柘榴に指を突き立てたかのように赤黒い〝中身〟が顔を出す。刃よりも数秒遅れて血が溢れ出す。ただ、見た目の傷に反して出血量が比例していない。傷を負った端から急速に細胞が再生していくのだ。それでも、少女は喜々として笑う。想定済みだからだ。

 とうとう足の骨を折ったはずの男がのそりと立ちあがった。床に左手と両足を当てていた鬼灯が転がるように旋回し、敵の真正面に移動する。まるで、昭和の日本で流行った喧嘩独楽のように。あるいは、男を軸にしてブレイクダンスするかのように。

「背開き。続けて、大腿二頭筋及び大腿四頭筋。膝の曲げ伸ばしを遮断し、バランスを崩させる。さらに、頸動脈を削り取る。首は早めに傷付けろ。血が噴き出して良い眺めだ」

 敵の足を斬ったばかりの少女がどうやって首を斬ったのか? 床がバネにでも変わったかのように、ふんわりと鬼灯が身体を浮かしていたからだ。男が蝿でも追い払うかのように両腕をブンブンと振り回すも、そこにはもう誰もいない。再び背後に回った狩人は血でベットリと汚れた刃を強引に脊髄へと埋め込んだ。鍛造造りの刃が、根元から砕けてしまう。背中から刃を生やした男は激痛による苦悶の雄叫びを上げる。

「敵に攻撃する隙を与えるな。徹底的に急所を斬れ。徹底的に、徹底的に、徹底的にだ。血を飛ばせ、体液を飛ばせ、命を飛ばせ。さあさあさあ、動きが鈍くなるぞ、動きが緩慢になるぞ、動きは致命的になるぞ。だが、私はあえて〝加速〟する!!」

 天井、床、壁。鬼灯は三秒と同じ場所にいない。次々と位置を変え、一撃を加えた後に撤退する。超至近距離によるヒット&ウェイ。男がどんどん血に染まっていく。再生能力など、まるで追いついていない。肉が切られ、血管が裂かれ、重要な部位、臓器を重点的に傷付けられていく。

「我々には〝限界点〟が存在する。《ブレイク酵素》は大量のカロリーを消費する以上、外部から栄養を摂取しなければ待っているのは〝餓死〟だ。自分自身に食われて死ぬ。ほら、見てみろ。――そろそろ、内側に飼っている鬼が空腹で暴れ出すぞ」

 鬼灯が男を跳び越えるように月面宙返りを決めてベッドの傍に着地した。少女の右手に握られていたナイフは、今日の戦場では四本目だった。男の右眼窩、右胸、脊髄に刃が埋め込まれていた。もはや、どこからどう血が流れているのか判別は無理だった。頭の先から足先までほぼ全てだったからだ。それでも、傷口に新しい肉が盛り上がった時、唐突に男の腹が凹んだ。まるで、皮下脂肪や内臓脂肪が全て消失したかのように。傷は再生し、その分だけ脂肪が全身から消失していく。血はだんだんと止まっていくのに、手足が棒のように細くなっていく。再生と破壊が同個体の中で同時進行する。生命の矛盾、その間隙を突く。脚の傷が治った代わりに体重を支えきれずに倒れる。腹部は露店で売っているスルメと化し、腕は老人よりもなお細い枯木の枝。頭部はもっと酷い。頬肉が全てこそげ落ち、頭蓋骨に皮が張っているだけだった。

 傷は全て癒えたというのに、骨と皮だけになってしまった男の呼吸はか細く、虫の息だった。鬼灯は大きな欠伸を噛み殺し、野球のピッチャーよろしく足を高々と上げたフォームでナイフをブン投げた。――スコン! と小気味良い音を立てて刃が男の脳天へと突き刺さった。びくんと一度だけ大きく痙攣した男は、それ以上は動かなかった。通常の人間なら五人は生命を失っているだろう血が床に広がっている。だから、この戦いはけっして嘘ではなかった。

「うむ。やはり〝化け物〟を殺すのは苦労する。下手をすれば首の骨を折っても、心臓を抉っても再生するからな。これが確実だ。いやー、暴れた暴れた」

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