飯を食う描写⑤

「足が震えたのは手前が俺の尻を蹴ったからだろうが阿呆! 痔にでもなったらどうしてくれやがる。ったく、わざわざ家まで送ってやるんだから感謝しろっての」

 肩にかかるまで伸びている髪はウェーブがかかった昆布あるいはワカメ。気障ったらしい顔付きはホストにお似合い。もっとも、その顔に張り付くのは気苦労が大半の見かけは情けない男だ。その実、鬼灯の仕事をサポートするのが彼の仕事である。今も、留三郎他八名を仕留めた彼女を自宅まで送る途中である。青になった。ゆっくりアクセルを踏みクラッチを操作する。赤いセダンが徐々に加速しながら走り出す。 

「珠樹よ、腹減った。何か食わせろ。これ以上空腹が続くとお前のことをついナイフで刺しそうだ」

「ああん? 我慢しろよ。我慢できねえのかよこん畜生が!」

 コンビニで買った食料はすでに空っぽである。珠樹がやれやれとばかりに嘆息した。

「……後ろの席に、この俺が〝自分の朝飯〟用に買った物があるから、それで我慢しろ。ったく、なんでこうも《ブレイク酵素》の〝ホルダー〟は腹ペコ野郎が多いんだか」

――政府にさえ秘匿されて開発された特殊酵素ブレイク酵素は、細胞の働きを数倍から数十倍まで活性化させる。機関銀鎚の果てが開発した〝強化人間〟の成功例が鬼灯なのだ。彼女は既存生物の常識から外れたパワー・スピード・スキルを備えている。まさに、人体兵器の名を冠するに相応しい〝殺人の道具〟なのだ。もっとも、仕事がなければ鬼灯はただの〝腹ペコ乙女〟だ。喜々として腕を伸ばし、一切合切の遠慮も躊躇もなく紙包みを奪い取る。珠樹が負け惜しみのように『こうなるのは予想したけど』と呟いた。

 鬼灯が膝に乗せた紙包みをうやうやしく解いていく。現れたのは秋刀魚寿司だった。開いた秋刀魚を一匹丸ごと使った押し寿司である。同じく押し寿司で有名な鯖の旬は十月頃。九月下旬なら脂が乗った秋刀魚の方が美味だ。少女はさっそく手――消毒済みの綺麗な指で一貫摘まみ、ぱくつく。もぐもぐと咀嚼し、むふーと満足気に頬を緩める。

「うむ。炙られている秋刀魚に施された絶妙な塩加減。甘めの酢飯には潰した梅肉が隠されている。まさに〝良い塩梅〟だ。魚の脂が広がる口の中に駆け抜ける酸味。全てを優しく包み込む甘さ。終わり良ければ全て良しと余韻を残す塩気。全てが合わさった至高の逸品だ。あー、緑茶が美味い。なんかもう、これで今日一日が終わってもいいかなー」

「なんでわざわざ口に出して語るのかねー、この子は。報酬があれば、いくらでも美味い物が食えるだろうに。どうして毎度毎度人が食ってる物を奪うんだよ手前は」

「んぐんぐ、むふー。後ではなく、この私は今、美味い飯が食いたいんだ。……ところで珠樹よ。〝あっちの連中〟にはどうやって〝落とし前〟をつけるつもりなんだ?」

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