某大賞三次落ち作品の戦闘描写①

 行動は突然だった。老人が急に駆け出し、店から飛び出した。腰をぶつけたせいで、丸テーブルの酒瓶が転がり、床へと落ちる。硝子が割れる音を、リーネとリオラは背中で聞いていた。二人も店を出たのだ。

 老人が走っていく方向はコヴェンド・ガーデンを南下して、貧困街のストランド街へと続く道だった。深夜という時間帯、ここに人気は無い。ゆえに、リーネ達は迷わなかった。

「リオラ」

 名前を呼ぶだけで事足りた。

「分かっています!」

 老人とは思えない脚力で、その背中はどんどん小さくなる。リオラがすかさず右の袖口から一本の小枝を引き抜いた。雪のように白い花を咲かせるトネリコである。北欧神話では世界樹・ユグドラシルの眷属とされ神聖視されていた。また、硬く丈夫であり、武器の材料にするには最適である。これだけの〝意味〟を持つのなら、魔術に使えない筈もなかった。つまりは、〝呪具〟として。魔女は、走ったまま鋭く冷たい呪文を開始する。

 大気中の魔力が励起しリオラの右手へ集約する。数秒足らずで、高密度の魔力が展開、構築されていく。

「我が古き騎士へ問う。即ち《ラディオンの琴音》《グリーン・ゼルの崩壊》《マキアの剛槍》。されば成せ。我が名の元に敵を捕える鎖と化せ!」

 トネリコの枝をリオラが前方へと投擲する。矢羽根も無い枝が見事に飛翔した。

 まるで、春風を追う燕の如く風を裂きながら駆ける枝が老人との距離を十ヤードまで縮めた瞬間、変質した。まるで、世界の管理を任せられた聖天使が持つ、時計の針が加速でもしたかのように、トネリコが爆発的に成長し出したのだ。リーネが瞬きした時には既に、スプーンよりも小さかった枝がガス灯よりも体積を増していた。伸びた枝が先端でねじくれ。まるで槍の如く。

 トネリコの木を柄にした北欧神話の神槍・グングニル。その特徴は〝必ず当たる〟。

 このまま当たれば確実に老人の脊髄を貫くタイミングで、リオラが右腕を前に突き出し、硬く握った拳を一気に開いた。鋭利な槍の先端に白き花が無数に咲き誇り、枝がさらに増加。鎖となって十重二十重に広大、投擲される。まるで、投げ網漁のように。

 老人の身体が白き化粧を施した枝に捉えられ、槍が地面に突き刺さる。強制的に動きを抑制された男がようやく足を止めた。逃げようとしてもがくも、細き枝はびくともしなかった。例え、捉えられたのが大熊だろうが獅子だろうが、結果は同じだっただろう。魔術的に強化された枝は、鋼鉄の硬度と同等なのだから。

 リーネが足を止め、リオラの頭を帽子越しに撫でた。

「見事だ」

「ざっと、こんなものですわ」

 リオラが優雅に微笑んだ。老人は地面に這い蹲るようにもがいている。まるで、見えない海の底で溺れかけているかのように。

 小さな魔女が紺青の瞳を細め、もう一本新しい枝を取り出した。音も立てずに老人へと歩み寄り、立場を押し込むように見下ろす。

「私の公用ネームを、どうして手前が知っていたのでしょうか? 五体満足で家に帰りたいのなら、口を噤まない方が賢明ですわよ?」

 その時だ。老人の肉体に変化が起こる。全身から禍々しい魔力が溢れ出したのだ。強固であるはずの枝がブチブチと腐った紐のように千切れ出す。

「肉体変化? やはり、魔術師でしたか」

魔女が追撃を放とうとした時だ。――頭上から風を滑る音が一つ。

「リオラ!」

 リーネが一気に駆け出し、リオラの肩をぐいと掴んで後ろへと強引に引いた。彼女が後ろへと、数歩、バランスを崩しながらもなんとか両足を踏ん張った。

「コイツは一体全体、どういうことだ?」

 彼が見たのは、頭上から飛び降りてきただろう人間の影だった。老人の背には四階建ての安い集合住宅が軒を連ねていた。まさに、大きな一個の壁と成している。そのせいだろうか。まるで、その影が表と裏の境界線を飛び越えたような印象を受けるリーネだった。

 老人の口から真っ赤な吐瀉物が漏れ出した。枯れた身体からだとは信じられない量の鮮血が、口腔と腹部から漏れ出した。背中から一本の鋼が伸びていたのだ。いや、貫かれていたと表現した方が正しいだろうか。

 突如現れた一人の女が、地面へ片膝を付き、両手を組んで祈るような仕草をして、老人を貫いたのだ。両手で握った、鋼の剣を以って。

「私は問おう。これは挨拶でしょうか?」

               ②

 明らかに英語慣れしていない妙なニュアンスの言葉だったが、声は美しかった。凛々しくも女性としての柔らかさが兼ね揃っている。まるで、硬質的なナイフの刃が緩やかな円弧を描いているかのように。リーネはコートの内側からナイフを引き抜いた。一時間ほど前の戦闘で使用した《妖精の炎》で鍛えられた魔性武器だ。

 相手はただの人間ではない。ただの人間が四階建ての建物から飛び降りて老人を剣で串刺しにするものか。リーネの脳内ではチリチリと、火種が燃え上がるのを待っているかのような緊張感が広がっていた。

 女性の歳は十五、六程度だろうか。リージェント・ストリートで売られている高級なインクを濃く溶かしたような漆黒の髪は艶やかで、頭の後ろで一本に纏められている。先っちょが、腰の半ばで小さく揺れていた。瞳はやや切れ長で、黒曜石ように硬質的な、確固たる覚悟の色が灯っていた。纏う服は膝まで隠す長い本革のスカートに、白いブラウスだった。ロンドンの秋は時として真冬並みに冷える。いささか、寂しい服装だ。もっとも、その程度の特徴は彼女の腰に巻かれたベルトに差された〝それ〟に比べれば、ちっぽけなものだった。

「名乗りましょうか。私君(わたし・くん)は、ツバキ・L・E・アマノヤです。そちらは名乗らずに申し訳ないでしょう。承知なので既に」

「喋り方おかしいぞ。こっちを舐めてんのか?」

「……失礼承知。勉学進みですので」

 ごめんなさい、勉強中なんです。とでも言いたいのだろうか。血で濡れる剣を握る光景との落差に、リーネは目眩を覚えた。

 ツバキと名乗った女はおもむろに立ち上がる。地面まで突き刺していた剣が抜かれ、老人の開いた穴から盛大に血が零れ出した。とうに死亡しているだろう。男の眼窩に収まる瞳は既に光を失い、指先が小刻みに痙攣していた。温かい液体が零れることで、湯気が朦々と昇る。ツバキの姿が湯気の向こうに霞み、リーネはナイフを振っていた。

 上等な銀食器を打ち鳴らしたように澄んだ音が街角で震わした。

「ぐっ!」

 彼が履く革靴の底がガリガリと地面を削るように滑り、白い粉が煙のように舞った。花崗岩の砂利を押し固めたマカダム式道路は摩耗性に弱く簡単に削れてしまうのだ。隣に、驚愕したリオラの顔があった。リーネの記憶が確かなら、彼女は七ヤードばかり後ろに居たはずだった。リーネは大柄な自分が此処まで押し返されたことと、死なずに済んだことの両方に驚きを隠せず、痺れた右手が掴んでいるナイフへと視線を落とす。本来、刃渡りが十インチ以上もある肉厚の刃が半分ほどまで縮まっていた。

ツバキの剣を受けた際に切られたと判断するのに、五秒も要してしまった。

ナイフの硬度は物理的、魔術的にも相当な水準だ。真っ向から破壊する人間に出会ったのは、これで何人目だろうか。ツバキは切った証拠とばかりに剣を下段に構えたままだ。リーネは、彼女のような存在を良く知っている。

「……《十字連合》か。で、どこの流派なんだ?」

 リーネやリオラが属する《猟華魔女兵団》と敵対する機関の一つに《十字連合》というものがある。一億六千万人の信仰者が属し、二千四十九の機関を従え、五千万の戦力を所持する世界最大の派閥だ。名前の通り十字――イエス・キリストを神の子とする〝キリスト教〟の機関である。

 魔術師とは相対する関係であり、仲は最悪。魔女狩りの歴史が続くように、良好の欠片も無い。 

 その証拠に、生粋の魔女であるリオラが犬歯を剥き出しにせんばかりに嫌悪で顔を歪めていた。

リーネは背中でリオラの殺気を感じつつ、敵の言葉を待つ。ツバキは、律儀に答えたのだった。

「ドイツに本拠を構える《神狼の牙》。第十四隊の騎士ですよ。私君は」

 己が息を飲む音を、リーネは歯を食い縛って誤魔化した。中世のドイツで、カトリック教会公認の騎士修道会として《チュートン騎士団》が誕生した。現代では様々な流派に分裂し、《神狼の牙》とは、流派の中でも武闘派として知られている。弱卒など存在せず、まず間違いなく強敵だ。

「……そうか。あっちは血の気が多い奴が大勢だからな。それにしても、若いのに大した腕だよ。これ、《妖精の炎》で鍛えた鋼が材料なんだけどな」

 リーネから話しかけられ、ツバキが怪訝そうに眉を潜めた。敵が悠長に語ってくるとは、思いもしなかったのだろう。

「私は貴方方を倒すが目的では無さそうです。ただし、交戦するなら、それらを望んでみましょう」

「それは、つまり、ここで勝負するってことだろう? ――リオラ。半径五十ヤードに人避けの魔術を展開しろ」

「言われなくとも、すでに発動済みです。《頭目》からは余計な風波は立てるなと申し付けられていますが構わないでしょう」

 リーネとリオラはけっして、好戦的ではない。ただし、目の前に剣を抜いた敵が立ちはだかっているというのに踵を返して逃げるような臆病者ではない。ツバキの目的は不明でも、目の前に居るだけで戦う理由には十分だった。彼の息がだんだんと短く、細く、早くなる。心臓がだんだんと加速している。まるで、疾走するのを待つ機関車の内燃機関のように。歴史的な観点から、《十字連合》は剣を主体とする技を多用する。瞬き一つの瞬間に肉薄されていてもおかしくはない。

 吐いた息は当然のように白く、ろくな熱源も無いというのに、リーネの頬へ汗が滲んだ。足元の感覚が気に要らず、革靴で軽く地面をなぞる。じゃらり、と音が鳴り、ツバキの両腕が反応した。先に動いたのは、彼だった。

「――しっ!」

リーネは、砕けたナイフを敵の眼前へと投げ捨てる。くるくると回る中折れの刃を、十字騎士が容易に剣で撃ち払った。稼いだ時間は僅かに三秒。それだけで十分だった。後ろへと大きく跳び、腰の後ろへと手を伸ばすことが出来たのだから。差した鞘から一気に引き抜いたのは、片刃の直刀だった。刃渡り一と半フィート。彼が現在携帯している刀剣類では最大の大きさを誇る。

 剣の名は《後期エデバンス型Ⅳ式・フレイゼル》。真っ赤な溶岩を透明なケースに注いだかのように刃の表面は対流を起こしていた。高密度の魔力を刃に練り込んでいる結果である。実際に熱があるわけではないが、耐久性と切れ味は折り紙つきで、《妖精の炎》が鍛えた剣の中でもかなりの業物だ。リーネは体重が乗り易いように両手で柄を握り、上段に構えた。対比するように、ツバキが下段に構える。まるで、獲物に覆い被さろうとする荒熊と、獲物の喉元に跳びかかろうとしている狼の構図だった。

「魔術師も剣を使うのですか?」

「俺はロンドンを守るのが仕事でね。こういった戦闘は慣れっこなんだ」

 すると、後ろに控えている魔女から冷たい視線が飛んできた。守るのを仕事と評したリーネの言葉が不服だったのかもしれない。悠長に振り向く時間は無く、彼は大きく地面を蹴った。同時にツバキも地面を蹴っていた。照らし合わせたように、事前に打ち合わせしていたかのように、ほぼ同距離を互いに埋めた。

 リーネの歩は豪快に大きかった。頭蓋骨も脳味噌も纏めて叩き斬らんと真上から真下へと紅蓮の刃が振られた。

 ツバキの歩は繊細に流麗だった。股下から腹部に詰まった内臓を全て零してやろうかと真下から刃が跳ね上げられた。

 ゆえに、激突は中間だった。互いの剣が音叉のように震え、澄んだ音色が冷たく大気に溶けていく。リーネは柄から伝わる重く鈍い感触に顔を顰めた。《後期エデバンス型Ⅳ式・フレイゼル》の一撃を真っ向から受け止める騎士に会ったのは、かれこれ二年振りだった。驚きも通り越して、つい呆れてしまう。ツバキは表情をぴくりとも変えなかった。この結果が当然であるかのように。熱い口づけを交わした剣が再び放れる。互いに中段で構え直し、距離は一足一刀。どちらの刃も届く距離だった。言い返れば、一秒先にどちらかが死んでいてもおかしくない領域だった。

 ガス灯が闇を薄くさせた世界で二人は対峙する。リーネは敵の動きを先読みせんと、視界に全神経を集中させていた。だというのに、

「これにて失礼しましょうかね」

 嘆息一つ零し、ツバキが剣を握った両手から力を抜いたのだ。それだけではない。十字騎士は剣を鞘へと収めてしまったのだ。

「正気かよ、お前……」

 騎士は等しく好戦的だ。目の前で剣をしまったなんて話、聞いたこともない。ゆえに、リーネは阿呆のように口を半開きにした。一方で、ツバキは殺し殺そうとした男へ丁寧に頭を下げたのだ。

「こんなものでしょうと、私は納得せん。では」

 そうして、本当に踵を返してしまう。その時だ。ずっと黙っていたリオラが全身から炎が噴き出しそうなほど憤怒を孕んだ声を紡いだのは。

「――お待ちなさい。まさか、このまま逃げおおせられるなんて思ってはいないでしょうね?」

 リオラのプライドは人一倍だ。喧嘩をふっかけた相手が消化不良のまま逃げるのをよしとするはずもなかった。鈴が鳴るようなソプラノボイスは本音を隠そうともしなかった。

魔女の右手には、紫水晶(アメジスト)が握られていた。形状は全長約三インチの六角柱で、神秘的な輝きを秘めている。呪具としては、まず一級品だ。リーネは、それを親指で弾いた。虚空で紫水晶がクルクルと回り、彼女の手に戻ろうとした瞬間だった。宝石を基点にして、秋夜を真昼近くの明るさまで照らされたのだった。

「その右腕。此処に置いていきなさいな。――《聖域アルダの邂逅》!」

 光が瞬き、一気に爆発する。紫水晶を基点に肉体で循環させた魔力を高圧縮、高加速させ、一気に臨界点へ届かせたのだ。魔力とは一種の高エネルギー体ゆえに、わざと暴走させて撃ち出す技法が理論上可能だ。もっとも、髪の毛一本単位の精密な魔力操作が必須となる。ほんの僅かでも誤れば、腕の一本や二本、簡単に千切れ飛ぶだろう。

 魔弾――魔力を弾丸として撃ち出す高等技法の総称。これだけの短時間で発動可能なのは、相当なてだれである証拠だ。リオラが放った魔弾は濃い紫色の光を帯び、巨大な蝶となる。当たれば人間の上半身など薄紙一枚の抵抗も無く吹き飛ぶ攻撃がツバキへと迫った。背中を向けている、完璧な不意打ち。の筈だった。

「勘違いなどするのは愚かと思いましょうや」

 リオラに、ツバキの声が聞こえていただろうか。瞠目した少女は声も無く、目を見開くだけだった。リーネもまた、行動出来ずにいた。まさか、背中に放たれた音速の魔弾を素手で掴み取り、握り潰す人間がいるなど思いもしなかったからだ。紫の蝶が燐粉を散らすように炎の欠片は周囲に降らせる。煉瓦造りの三階建てなら、二発も撃ち込めば倒壊させるだけの威力を持っている魔弾を掴み、騎士の右手は火傷の痕すら無かった。

「これは警告としませんか? 夜は長いのですから」

 そうして、ツバキは夜道の向こう側へと消えていったのだ。

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