序章を丸ごと①美少女ガンアクション風味


 鋭き銃声が一発。後頭部にシルバーチップの弾丸をくらった男が大胆な前転でも決めるように一回転して、背中から硬いセラミックタイルの上に倒れた。首筋を伝って脳髄混じりの鮮血が滴り落ちるよりも速く、少女は灰色の床を滑るように移動し、流し台の奥へ身を潜めた。二秒前までいた部屋と隔てくれるような都合の良いドアは無く、角をちょっと曲がった先から怒声が飛んできた。まるで、こちらが撃った鉛弾のお返しのように。

「出てこいや雌餓鬼いいいいいいいいいいい! ぶっ殺してやる!! ここ、こんなことしてタダで済むとおもっとんのか! ここは天下の海龍会の事務所やぞ! 生きて帰さんからな! おいっ!! 早く殺せ! グチャグチャに切り刻んで野良犬の餌にすっぞ!!」

 汚い罵りをうけた少女、航海難杏受(こうかいなん・あんじゅ)は、晴天の海を連想させるように鮮烈な深い青を湛えたサマードレスに、灰色のジャケッドを着こなした姿だった。革のブーツでコツコツと床のセラミック床の感触を確かめつつ、うんざり気味に頬の端を吊り上げた。それは、嘲弄だった。声無く笑い、ふと流し台の傍にあった鏡へと首を曲げる。さっと笑みが消える。この三十分ばかりで十人以上を殺した〝掃除屋〟と目があったからだ。

 銃声も怒声も遠く、濃密な血の臭いもその瞬間だけは忘れてしまった。

(相変わらず、仕事中は〝ぶっさいく〟な顔してるわねー、私)

 歳は今年で十六歳。身長は百六十センチ程度で細みの体躯だ。同年代よりも、やや幼い顔付きで、綺麗よりも可愛いという言葉の方が似合うだろう。もっとも、その瞳に宿るのは暗く、冷たい殺気だ。張りのある肌、尻から太股の曲線美、薄桃色の唇、さらりと揺れるセミロングの髪。その全てが、静かな戦意という薄い膜に覆われている。だからこそ、その可憐な容姿よりも先に、右手に握られた〝銃器〟へ視線がいってしまうのだ。

 情熱の国・スペインが誇る銃器メーカーであるアストラ社のアストラ・モデルNCⅥ。

 三八スペシャル弾を扱う回転式拳銃(リボルバー)である。これが、杏受の相棒だ。汗を瞬時に吸収してくれる木製グリップの感触を確かめ、自分がおかれている状況を再確認する。

(OK。落ち着くのよ私。海龍会の事務所を一つ潰すのが今回の仕事。で、ここは麻雀クラブに偽装した事務所の三階。裏で行われていたのは、違法な賭け麻雀。まあ、そんなの〝どうでもいい〟わ。懸念すべきは、標的を全滅させるはずだったのに、反撃されたこと)

 裏口から突入して一気に全滅させるはずだったのだが、敵が予想よりも〝荒事慣れ〟していたのだ。お陰で、こちらの襲撃にもすぐに対処されてしまい、現在にいたる。敵は半分以上殺したものの、まだ残っている。それも、相手も銃器を持っていた。そのうえ、こちらは逃げ道の無い流し台へと追い詰められている。八方塞とは、まさにこのことだろう。焦りが恐怖と一緒に背筋へ込み上げてくる。先程から鉛弾が飛来し、壁に次々と穴を開けている。コンクリートの破片が小雨のように床を叩く。

 一秒ごとに死が迫る光景に、杏受はとりあえず拳銃の撃鉄を起こした。肺に溜まった汚い空気を吐き出し、細く長く呼吸をする。まるで、数少ない新鮮な空気を選別しながら吸っているかのように。こんな時、焦って飛び出すのは悪手だ。銃器はけっして、無敵ではない。それは、敵も同じ。銃声のリズムで、相手がどんな武器を持っているのか、少女は大まかに理解していた。数年間の間に身体と魂に染み付いた〝人を効率良く殺すための知識〟が思考を細分化し、再編成する。

 恐怖も焦りも、この時ばかりは殺意が噛み潰して嚥下する。杏受は、瞬き一つせずに敵がいる部屋に続く出入り口を、流し台と繋いでいた短い廊下の先を凝視する。そうして、拳銃弾に紛れて散弾の細かい粒が飛来し、鏡を粉々に撃ち砕いた瞬間、一気に駆け出した。

 身を極限まで低くし、草原を駆ける狼の如く疾走。痺れを切らして短い廊下へと顔を出していた敵と目が合った。そして、淀みなく撃鉄が絞られる。

 まるで、杏受の殺意が硬質化したように。線香花火を十数倍にしたように鮮やかな橙色のマズルフラッシュが咲き乱れ、海龍会のヤクザである男の左胸と穿つ。呻き声一つ許されず、拳銃を握ったまま糸切れた人形のごとく倒れ、二度と起き上がらなかった。セラミックタイルの上に、鮮血が小さない水溜りを作る。これで、死体がもう一つ増えた。

 半ば雀荘と化している室内は濃密な死が充満していた。自動式の卓の上に首の無い死体が転がっていた。床に頭部や心臓、腹部を撃たれたヤクザ達が永久の眠りに落ちていた。壁や床、天井、余すところなく鮮血が飛び散っている。そして、なおも生きている標的が七、八名ばかり。杏受の姿に、まるで、幽霊にでも出会ったかのように顔を強張らせる。

 一秒。杏受は一気に駆け出す。遅れて弾丸が飛翔してくる間に合わない。壊れていない卓の背後に身を潜め、右腕だけを伸ばして発砲。今度は、脳が潰れた空気が鼻から飛び出す『ぶん!?』という音がした。

 アルミ合金で被甲されたシルバーチップは体内で潰れて広がり、効率良く内部を破壊する。それが臓器だろうが、血管だろうが、脳味噌だろうが。三十八スペシャル弾は、同口径の三五七マグナム弾と比べて威力は四割から五割程度しかない。しかし、それはあくまで弾丸重量と速度による物理的なエネルギーでしかない。

 腕を強く振ったところで初速は変化しない。ならば、弾薬に工夫を施せばいい。ウィンチェスター社の特別弾は、敵を〝効率的〟に殺してくれる。杏受は再び撃鉄を起こし、近くに転がっていた麻雀牌を、左腕をめいいっぱい伸ばして数個掴み取った。それを、卓の裏に隠れたまま放り投げた。数牌も字牌も関係なく放物線を描き、相手の銃声よりも先に壁へ当たる。

 戦場で〝テンパった〟者は正常な視界を失っている場合が多い。そんな時、どんな些細な音にも身体が反射的に動いてしまうものだ。ヤクザの男のうち、一番の火力を握る散弾銃の男が壁に銃口を向けた。それが、杏受にとって、絶好のチャンスとなった。長い銃身はすぐに方向転換が出来ない。アストラの回転式拳銃が黒き残像を生み出す速度で獲物を捉えた。そして、また発砲、今度は三度だった。ほぼ一秒のうちに吐き出されたシルバーチップが散弾銃の男の側頭部と腹部を抉った。これで、残りは六人となった。

 拳銃の回転式弾倉をスイングアウトし、空薬莢を排出する。ジャケットの内側からスピードローター(弾丸数発を纏める留め具)を一個取り出し、一括装填。杏受は、ついつい吹き出してしまう。

「死体のオープンリーチって、意味不明だけど面白いネーミングね」

「こんの、糞餓鬼が! シャブ漬けにして犯してやんぞド畜生が!」

 言語能力が低下している標的へ、杏受は吠える。あどけない顔が明確な殺意で歪んでしまう。

「――餓鬼餓鬼五月蠅いわね! そういうあんたらは何様のつもり? こんな〝馬鹿げた事〟しないと生きられない塵野郎じゃない! 汚い金を稼いで女を抱いたら王様気取り? 笑わせんじゃないわよ!! この世界は、あんたらの〝食い物〟じゃないっ!!」

 静かだった怒りが烈火に変貌する。両眼の煌めきが鋭さをました。杏受は皮膚の下でのたうちまわる〝憎悪〟に身を任せた。思考の歯車が急加速して一気に〝臨界点〟に達する。

 そして、杏受は理性を砕き〝殲滅用〟に再構築したのだ。それは、一種の暗示でもある。

 ブーツがセラミックタイルを蹴る。――杏受の身体が、風の速さを手に入れる。卓から飛び出し、標的がこちらへと向ける銃口を全て〝捉える〟。さらに大きく一歩、床を蹴り、別の卓へ移動する。弾丸は飛来するも、当たらない。発射速度、弾薬の威力は関係ない。銃口の外、つまりは射線上から外れれば弾丸はこちらを傷付けはしない。理屈こそシンプルだ。しかし、それを戦場で〝やってのける〟少女は戦乙女に魂を売った戦姫だった。

 いや、それは違うだろう。杏受は死神だ。古臭い鎌の代わりに銃器を得た冥府の番人だ。

細くしなやかな指が巧みに動き、シルバーチップの弾丸が吠える。二秒あれば六発の弾丸は自由を得る。杏受の眼光に射竦められ、硬直した敵へ次々と弾丸が当たる。

 心臓を貫かれ、左胸に真っ赤な花を咲かせて死んだ。右目から脳に弾丸が刺さり、麻雀牌の海に沈んで死んだ。喉を抉られ、傷口を掻き毟るように苦悶の悲鳴をあげて死んだ。死が積み重なる。何度も何度も積み重なる。鉄錆びの臭いと硝煙の臭いが混ざり合い、濃密な殺意だけが場を満たしていた。常人なら、まず狂ってしまうだろう。ここは、人間が足を踏み入れてはいけない狂気の場だ。夏の熱気以上に重い熱を孕んだ惨劇の舞台だ。

「畜生!! 殺せ! 殺せええええええええええええええええええ」

「なんだってんだ糞! なんだってんだ糞! お、うおうおうおうおう!」

 杏受とヤクザが放つ鉛色のアンサンブル。雀荘兼事務所が戦場になって三十分が経過しようとしている。少女が以外にまだ生きている人間がいることを考慮すれば、海龍会の男達は善戦していた方だろう。だが、それも数分しかもたないだろう。人の限界を〝踏み越えた〟杏受の戦闘速度にまるで〝ついていけていなかった〟のだ。

 一人、また一人。スピードローターで弾薬を交換。発砲。

 一人、また一人。駆け出して、身を潜め、一方的に撃つ。

 三分後。鮮血の前衛芸術となった舞台には杏受しか立っていなかった。思考の歯車が急激に速度を落とす。その落差に、杏受はようやく、自分が肩で呼吸をするほど疲弊しているのに気が付いた。汗でべったりと張り付いた前髪を額から剥がし、壁に背を預けて嘆息を零す。その横顔に、勝利を得た充足感などない。あるのは、虚無にも近い嘆きだけだ。

銃身がすっかり過熱し、微かに大気を揺らしているアストラに視線を落とし、杏受はつい愚痴を吐いてしまった。

「私みたいなのが〝相棒〟になって、あんたも大変ね」

 彼女が銃器の腕を磨いたのは、ほぼ必然的だった。杏受に剣一本で戦場を無双する能力などない。いや、いかなる人間も、敵が銃器を持っている以上、近接戦だけで勝利するのは不可能だ。銃器は体格差を無くし、プロレスラーだろうがヘビー級のボクサーだろうが一発の弾丸で傷付けることが出来る。だからこそ、銃の腕がなによりも必要だったのだ。

 捕捉すると、杏受の使う回転式拳銃、アストラ・モデルNCⅥには様々なカスタマイズが施されている。クラシックな木製グリップは少女の手に合うように設計し、加工され、撃鉄は片手でも操作が可能なように肥大化させている。引き金には溝(セレーション)が刻まれ、滑り防止の役目を付け加えた。張力も低減させ、操作し易くなっている。また、回転式弾倉の穴を〝面取り〟することで、弾薬の装填をよりスムーズにしている。

 アストラ・モデルNCⅥ〝フルカスタム〟。それが、杏受の相棒だった。

「あーくそ。こんな仕事、やっぱり大嫌いよ。さっさと帰って眠ってしまいたいわ」

 もう誰もいないと、苛立ち混じりに不満を口にして――真横に跳んだ。そして、銃声。

 もしも、反応するのが半秒でも遅ければ、杏受は真後ろから脊髄に弾丸をくらって致命傷を負っていただろう。耳を劈くような轟音は、間違いなく三五七マグナム弾以上の大口径拳銃弾の音だった。そして、それは正解だった。殺し損ねていたのか、肺に赤黒い穴を開け、口から血の泡を吹き出す男が一人、こちらへと拳銃を向けて立っていたのだ。

 三五七マグナム弾を扱うリボルバー、コルト・パイソン。もっとも、危険性はすでに消えていた。

男は、間違いなく致命傷だったからだ。あまりにも血を失い過ぎたせいで、顔色は蒼白を軽くこえて土色に変わり、過呼吸をおこしかけていた。少しだけ開いた窓から吹く隙間風のような呼吸音が杏受の耳にまで届く。もう長くはないだろう。十分以内に出血多量からくる痙攣が始まり、立っていることすらままならなくなって、すぐに息絶えるだろう。あれは、死ぬ一歩手前の〝死体〟でしかない。もう、撃つ力もないのだろう。腕がだらりと下げられている。今なら、敵が動くよりも杏受が先に発砲する方が数段速い。

なのに、その眼はぎらぎらと殺意の瘴気を孕んでいたのだ。まるで、こちらを道連れにしようとするかのように。 

「あら、随分と元気なのね。けど、もう〝お眠〟の時間じゃないかしら?」

 会話する必要も、挑発する意味も無い。時間が解決するからだ。それでも口を開いたのは、単なる〝気まぐれ〟だった。それを知ってか知らずか、男が唇を引き攣らせながら言葉を紡ぐ。血が零れるのも構わず、胸の内を吐露するのに全力を注ぐように。

「お前が、〝掃除屋〟か。なる、ほど。こんな、可愛い嬢ちゃんだとは思わなかったよ」

 三崎市に一人の掃除屋在り。つまりは、彼女、航海難杏受であると。少女こそが、裏の世界で暴力的な正義を振りかざす者だ。出会ったが最後、悪人は等しく殺され、慈悲の一欠片も許されない。だからこそ、恐怖の象徴であり、逆らってはいけない魔女の一人なのだ。男達は、杏受の強さは侮っていたのだ。それが致命的な敗北へと繋がるとも知らずに。

 仕事名を呼ばれたせいか、杏受は『あら』と僅かに関心を示す。

「今頃、おべっか使っても遅いわよ。賭けは、あんたの負けね。ちょっとだけ驚いたし、褒めてあげるわ」 

 すると、男が引き攣るように笑ったのだ。

「そうか。なら、嬉しい……な」

 そうして、重力に引っ張られるように男が前のめりに倒れた。ゆっくりと、倒れた。

 例外など許さぬと冥府の姫が音なく歌ったかのよう。二度と、起き上がりはしなかった。

 杏受は、息をしている者がいないか軽く確認してから部屋を出た。このまま廊下を抜け、階段を下りれば外へ出る。いつものように仕事が終わったのだ。

アストラ・モデルNCⅥは右手に握ったままだ。銃身が過熱しているせいで、ジャケッド裏に隠したホルスターに戻せないのだ。仕方ないし銃器をぶらぶらさせる。その横顔は、少しだけ緩んでいた。仕事がやっと終わったと、安堵していたのだ。太く長い楔が心臓から抜けたような感覚と表現してもよい。恐怖も焦りも体外へ吹き出し、肩が軽くなるのだ。

 杏受は掃除屋として生き、今年で二年目だった。もう、どれだけの人間を殺したのか覚えていない。それだけ、濃密な死を体感し、体現してきたのだ。

 外へ出る前に、拳銃をジャケッドの裏に縫い付けたホルスターに戻す。右手から拳銃の重さを失った杏受はふと、手の平に視線を落とした。

 容姿こそ、可憐な少女。しかし、その手は銃撃による肉刺で皮膚が潰れ、硬くなっていた。とてもではないが〝か弱い乙女〟の柔肌とは言えない。しかし、これも払わなければいけない代償だったのだ。全ては、一個の願いのために。何年経っても色褪せない復讐心こそ、杏受の原動力だった。

「……やっぱり、仕事終わりは駄目ね。自分が届いていないことを思い知らされて、どうしても悲観的になっちゃう」

 ドアノブに手を伸ばし、自嘲気味な笑みを最後にして惨劇の場から外へ出る。もうすぐで、サイレンを鳴らしたパトカーに乗った〝重い腰〟の警察が訪れるだろう。面倒事になる前に、人気の無い路地裏を辿る杏受。

「帰ったら、何を食べようかしら?」

 日本の夏特有の蒸し暑い空気を頬に感じながら帰路に着く杏受の脳内に、もう死体の光景は残っていなかった。

 彼女は〝掃除屋〟。この街の汚れを掃う者。

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